ウィノナはためらわない
元アビスの前は一気に賑わった。
活気に溢れる中、それぞれが作業に没頭する。
瓦礫を撤去し、運搬する人。
支援物資を運んでくる人。
大声を出し士気を上げる人。
そして、ウィノナは作業員をサポートする役割を担っていた。
「こちらをどうぞ」
「あ、ありがとよ」
ウィノナは休憩中の作業員たちに水を配り回っていた。
笑顔で手渡すと、疲弊していた作業員たちの渋面が、一気に柔らかくなる。
救出作業は肉体労働だ。
必然的に、男衆が増えてくる。
むさくるしいが頼もしい光景だ。
「すみません、これどこに置きますか?」
「そこに置いておいてください!」
支援物資を運搬してくれた業者の対応もウィノナの仕事だった。
箱詰めの食料や衣服、生活用品を確認し、在庫を正確に記帳していく。
商売ではないし、仕事でもない。
だが莫大な金銭が関わっている。
こういう部分をしっかりしていないと、問題が起きるかもしれない、そう考えたウィノナは救助に必要な物資の管理を率先して行った。
金銭はゴルトバ伯爵やカルラが管理してくれているから安心だ。
「すみません、これはあそこに、これとこれはそこにお願いします」
「あいよ」
物品整理や管理に、作業を兼任した補佐役が数人ついてくれている。
彼らに運搬を頼むウィノナの指示は、てきぱきとしていた。
おじさん連中はそんなウィノナを見て、嬉しそうに頷いた。
「ウィノナちゃんはしっかりしてるね」
「そ、そんなことはありません」
「俺の娘なんざ、男に呆けてバカみたいなことばっかりしてらぁな。ウィノナちゃんみたいに、自立してくれたらいいんだけどね、がはは!」
豪快に笑いながら荷物を運ぶ作業員に、笑顔を返すウィノナ。
作業員が離れると、ウィノナは寂しそうに笑った。
「……わたしはそんなしっかりしていません」
その小さな声は誰にも聞こえてはいなかった。
●〇●〇
日が落ち始め、今日の作業は終わった。
「今日もおつかれさま! 明日からもよろしくね!」
「「「おつかれさまでした!!」」」
マリーの挨拶を前に、作業員全員が大声を張り上げた。
アルスフィア中に響いたであろう声音が、妙に心地よくウィノナの耳に残った。
「それではまた明日ですぞ」
「早朝から作業開始だな!」
「明日もよろしくお願いします」
「ええ、お願いね!」
ゴルトバ伯爵とカルラ、ドミニクが笑顔で手を振った。
マリーも同様の笑顔で手を振り返すが、彼女の表情には陰りがあった。
きっとマリーの心情を誰もが理解している。
それはウィノナも同じだった。
「さっ、今日は休みましょう」
「ああ、何事も身体が資本だからな。休み、明日に備える。それが肝要だ」
「ふふふ、今日はお母さんがご飯作るわよぉ」
「ほんと!? 久しぶりのお母様のお料理、楽しみ!」
マリーの笑顔が咲いた。
おそらくそれは心からの笑顔だったのだろう。
ウィノナの顔は自然に綻んだ。
「ウィノナも一緒に食べましょう!」
「ありがとうございます」
ウィノナは落ち着いていた。
自然な笑顔を見せたのだ。
マリーやガウェイン、エマは嬉しそうにしていたが、やはり表情にはどこか陰りがあった。
会話をしている今この瞬間も、彼らの頭にはシオンのことがある。
それをウィノナはわかっていた。
だからこそ笑うのだ。
だからこそ大丈夫だと、そう言い続けるのだ。
そうしていないと心が壊れてしまいそうだから。
ウィノナは仮設住宅に向かうマリーたちの後ろに続いた。
基本的に大半の作業員は街へ戻るのだが、マリー一家やウィノナはアルスフィアにある仮設住宅に住んでいる。
朝早く作業をするため、そして可能な限り作業を続けるために。
ウィノナは知っている。
夜になっても、マリーとガウェインが救出作業を続けていることを。
きっとエマも彼らのサポートをしているのだろう。
けれど自分には何もできない。
邪魔にしかならないと知っているから。
彼らは家族だから、気を遣わずに作業ができている。
そこに自分のような部外者が入れば、遠慮をさせてしまうだろう。
だからウィノナは気づかない振りを続けていた。
●〇●〇
食事を終えたウィノナはマリーと共に部屋の前まで戻ってきた。
仮設住宅は狭く、簡易的な木造の家屋を横並びにしているだけだ。
調理場は簡易な窯があるだけで、野営に近い様相だった。
それでも住むには問題ないレベルだろう。
「今日もお疲れ、ウィノナ。明日もよろしくね」
「はい。マリー様もお疲れ様でした」
笑顔で返すウィノナの顔を、マリーはじっと見つめてきた。
「あ、あの?」
「あ、ごめんなさい。なんだか、その……元気が出てきたみたいでよかったなって思って。
あはは、あたしが言うのもなんだけどね」
マリーは気まずそうに笑った。
「ほら、最初の頃、お互いにさ……あれだったから」
シオンがいなくなった時、マリーは理性を失っていた。
そしてウィノナも大事な主人の状況に、心を病んでいた。
ウィノナはマリーほど取り乱しはしなかったが、マリーからすれば何か感じるところがあったのだろうか。
「シオンは絶対に生きてる。だから……だからね、諦めずに頑張りましょ」
「もちろんです。諦めません。絶対に。シオン様を見つけるまで」
「強いのね、ウィノナは」
「……そんなことはありません」
頭を振るウィノナを前に、マリーは苦笑した。
マリーの感情はウィノナにはわからなかった。
だがマリーもまた、ウィノナの感情を正確には理解していないだろう。
数秒の沈黙が訪れる。
妙に気まずい時間だった。
思えば、ウィノナがマリーといる時はほとんど必ずと言っていいほどシオンがいた。
もちろんマリーを嫌っているわけではないが、どことなく居心地が悪く感じてしまう。
「そ、それじゃ。また明日ね」
「はい、また明日」
ウィノナは去っていくマリーの背中を見送ると、部屋に入った。
優しくドアを閉めると、ドアに体重を預ける。
手狭な部屋は真っ暗だった。
簡易ベッドと小さなクローゼットと机があるだけ。
一人になると静寂が訪れ、耳鳴りがした。
誰もいない。
自分一人だけだ。
ウィノナはドアに背を預けたまま座り込んだ。
「……シオン様」
張り詰めていた糸が、切れる音がした。
「シオン様ぁ……」
頬を濡らす涙はとめどなかった。
「シオン様……シオン様、シオン様……ううっ、うああっ……」
しっかりしている?
自立している?
元気になった?
強い?
「そんな……わけ、ないよぉ……そんなわけ……うあああっ……ぐすっ、ううっ、うああああああ!!」
顔を両手で覆った。
涙は溢れて止まらない。
体中が熱を持っていた。
寂しい、悲しい、怖い。
負の感情が次々と溢れ、脳裏に浮かぶのは一人の少年の姿だった。
シオンの笑顔がずっと瞼の裏に焼き付いている。
彼の顔が頭から離れない。
ずっと、ずっと、ずっと傍に居るように錯覚するほどに。
けれどシオンはいない。
生きているかもわからない。
いや、生きている可能性は非常に低いと言えるだろう。
わたしはマリー様とは違う、とウィノナは考えてしまう。
彼女のように前向きにいられない。
元々、内向的で自立していない人間だ。
シオンのおかげで前に進めはしたが、一人前には程遠いという自覚はあった。
むしろそういう性格なのだろう。
最近はシオンのおかげでマシになったが、それでも根っこの性格は変えられない。
だからどうしても後ろ向きな思考になってしまう。
シオンが生きているとどうしても信じることができないのだ。
確かに彼はすごい。けれどこの状況で盲目的に生存を信じることなどできるはずがない。
信じたい。そう望んでいるが、頭がそれを拒む。
シオンは死んだのだと、そう思わずにはいられない。
けれどマリーは違う。
絶望的な状況でもマリーは進み続けていた。信じ続けていた。
それが羨ましくもあり、そして怖くもあった。
なぜ自分はそう思えないのかと、自分を責めることもあった。
「うううっ、シオン様……シオン様ぁ……うぐっ、ぐすっ」
体中が震え、喉の奥が痙攣する。
涙が止まることはなく、ひたすらに滴った。
心が痛い。痛くて痛くてたまらない。
痛苦は消えず、常に苛まれる。
苦しみから逃れることはできない。
どうしてもシオンの死を考えてしまう。
だったら。
信じられないなら、せめて演じよう。
大丈夫だとそう思い込むために、人前ではしっかりした自分でいよう。
そうすればもしかしたら現実になるかもしれない。
シオンは帰ってくるかもしれない。
そんな風に思うことしか、ウィノナにはできなかった。
けれど一人になると、一気に不安が押し寄せる。
日中に演じる自分が嘘であればあるほど、仮面を失った一人の時間には、蓄積した感情が苛んでくる。
シオンがいなくなって毎日それを続けていた。
会いたい。
あの素敵な笑顔をもう一度見たい。
魔法研究に没頭している純粋な姿をただ眺めていたい。
傍に居たい。
可愛く格好いいあの人を愛している。
愛したい。
すべてを捧げたい。
一緒にいてくれるのであれば何もいらない。
どんな苦労も厭わない。
どんな不幸も享受する。
何でもする。
何でも乗り越える。
ただ傍にいてくれさえすれば、何も怖くない。
彼が望めば何でもできる。
死さえ怖くない。
身体も心も彼に捧げたい。
彼の望む色に染まりたい。
彼がいない人生に意味はない。
こんなに寂しくて、苦しくて、心に大きな穴が開いたような虚無感に襲われるならば。
だったら、彼のもとへ行きたい。
そう思うのに、マリーがあまりにシオンが生きていると信じるものだから、自分も信じてしまいたくなる。
シオンは生きていると、そう信じたくなる。
ほんの少しの希望。
その希望のおかげで、ウィノナはギリギリで心を保っていた。
マリーがいなければ、ウィノナは己の命を絶っていたかもしれない。
それほどの絶望がウィノナを襲っていた。
「……生きて……いて……シオン様。そうじゃないとわたしは……」
か細く、消え入りそうな声が閑寂な部屋に響いた。
ウィノナはシオンの生存を信じる自分を演じ続ける。
そうすることしかできなかった。
マリーとは違う方法で、ウィノナはシオンの生存を信じる。
例え、己を騙しても。
それはシオンを愛することであることは変わらない。
ウィノナの愛は深い。
そしてマリーの愛もまた。
だがウィノナの目的はマリーとは違うのかもしれない。
「諦めない……絶対に……ううっ、シオン様を……見つけるまで」
シオンを見つけるまで。
それはつまりシオンを見つけた後のことを考えての言葉だった。
シオンが生きていればこれ以上に嬉しいことはない。
だが、もしも。
もしもシオンが死んでいたならば。
その死体を見つけたのならば。
ウィノナはためらわないだろう。
シオンのもとへ行くことを。






