あたしの弟
「シオン!!」
叫びと共にマリーは起き上がった。
マリーが目を覚ましたのは病院の一室だった。
ベッドに寝ていたようで、ご丁寧に寝巻に着替えさせられている。
ふと、怠惰病に罹っていた時のことをマリーは思い出した。
あの時も同じだったなと思うと、すぐにベッドから降りた。
シオンのところへ行かなければならない。
すぐに私服に着替え、剣を持って部屋を出ようとした。
するとノックが聞こえ、誰かが入ってきた。
ウィノナだ。
目の下に隈があり、覇気がない。
いつもの元気な姿とはかけ離れている。
ウィノナはトレーを持っており、その上には料理が乗っていた。
「お、おはようございます、マリー様」
「……おはよう。シオンは見つかった?」
「い、いえ、まだ」
「……そう」
ウィノナはどこか余所余所しく、マリーは不機嫌だった。
とにかくまだ見つかっていないのならば、余計にすぐに行かなくてはいけない。
シオンが待っている。
妙な空気が流れる中、マリーは部屋を出ようとする。
「あ、あのお食事を」
「いらない、シオンを助けないと」
お腹は空いているが、そんなことはどうでもいい。
不思議と体は動く。
だったらゆっくりしている時間なんてない。
そう思い、歩き出すとガクッと力が抜けた。
倒れそうになるところをウィノナが支える。
「無茶です! マリー様は丸一日も寝ていらっしゃったのですよ!」
「丸一日……? そ、そんなに寝ていたっていうの?」
「そうです。だからまずは食事をしないと……せめてこれだけでも」
ウィノナに渡されたのは水筒とサンドイッチだ。
「……ありがと、いただくわ」
マリーは逡巡するも受け取ると、食事をしながら歩き出した。
マリーの後ろをウィノナが慌てて追いかけてくる。
はしたないとわかりながらも食べ歩きをしつつ、思考を巡らせた。
寝ていた間にもシオンの救助作業は進んでいるはず。
あれだけの活躍をしたシオンを見捨てるはずがない。
シオンは必ず生きている。
死ぬはずない。
だってあのシオンなのだ。
考えなしに一人残ったりしない。
きっと生き残る算段があって自分たちを逃がしてくれたのだ。
マリーはそう確信していた。
はぐはぐとサンドイッチを咀嚼しながら、マリーはふと別のことを考えた。
サンドイッチ伯爵がなんとかって、シオンが話していたことを思い出したのだ。
頻繁に変なことを言う弟だから、何を言っても不思議はなかった。
サンドイッチを水で押し流すと、身体に力が戻ってくる。
食事をしてすぐに体力が戻るはずもないのだが、マリーは確かに回復していく実感があった。
看護師や医師に何やら言われたが、素通りして病院を出た。
ウィノナが医師たちに謝っていたが、今は構っていられない。
申し訳ないという気持ちはあるけれど、一番大事なのはシオンのことだ。
我ながら盲目的だと思う。
だけど大事な人を優先することは、マリーにとって当然のことだった。
だってシオンはずっとそうしてくれたのだから。
だったら自分もそうすべきだし、そうしたいと思っていた。
病院の外へ行くと馬車が待っていた。
御者はおらず、馬車の窓からはドミニクとゴルトバ伯爵の姿が見えた。
二人はマリーに気づくとすぐに馬車から降りてきた。
「マリー先生、起きられたのですね!」
「おお! マリー殿、よかった。目を覚まさないかと心配していたのですぞ」
「心配かけたみたいで悪かったわね。ごめんなさい、今は時間がないの。
シオンのところへ行かないと」
ドミニクと伯爵は視線を交わして、すぐにマリーへと向き直る。
「い、今は馬車もありませんし、先に儂たちと一緒にいらっしゃいませんか??
小用がありまして、ラルフガングのもとへ行く途中なのです」
「そ、そうですね。用が終わればアルスフィアへお送りできますので。
マリー先生は病み上がりですし、徒歩で行くには遠いでしょう?」
「でも時間が……」
「ま、まあまあ、すぐに終わりますから。ささっ、どうぞどうぞ。
馬車は四人用ですから、余裕がありますぞ」
妙に陽気なゴルトバ伯爵に誘われ、マリーは馬車へ乗り込んだ。
シオンは心配だ。
しかし、徒歩でアルスフィアへ行けるほどの体力が今はない。
移動しながら休み、体力を戻せばいいだろうとマリーは考えた。
ウィノナが御者台に乗り、馬車を動かし始めた。
体調が良くなさそうだったが大丈夫だろうかと、マリーはほんの少しの不安を覚えた。
それは伯爵たちも同じだったようで、ウィノナの動向を気にしているようだった。
しかしそれも短時間のことで、なにかを誤魔化すようにゴルトバ伯爵が後頭部を掻いた。
「い、いやあ、申し訳ありませんな。儂たちもマリー殿のお見舞いに行こうかと思ったのですが、なにせ時間がなく……。
ウィノナ殿がマリー殿に食事を持っていくというので、彼女にすべて任せてしまいまして」
「別に構わないわ」
病院では病院食も出る。
しかし不味いし、味気ないものがほとんどだ。
だから家族が食事を持ってくることもそれなりにあった。
もちろん病状によっては食べられないこともあるので、患者によって食事は制限されているが。
恐らく、マリーが起きた時に食べられるようにと、簡単なサンドイッチと水を用意してくれていたのだろう。
いつ起きるかわからないのに、ウィノナは優しい。
そんなことをマリーは考えながら窓の外を見ていた。
あれだけのことがあったのに、街は平穏そのものだった。
赫日と赤い魔物、魔族。
危険がすぐそこに迫っていた割には、危機感が薄い。
あるいはシオンがすべてを解決してくれたから、その恩恵を受けているだけなのかもしれない。
その平和さが妙に腹立たしかった。
まるでシオンのことを無視しているかのように見えたからだ。
けれどシオンが頑張ったから救えたのだという気持ちもあった。
だからマリーは不機嫌さを表には出さなかった。
馬車に揺られながら、マリーは口を開く。
「シオンの救助ってどこまで進んでるの?」
「そ、それは……まだ進んでおりませんな」
ウィノナもまだシオンは見つかっていないと言っていた。
進捗はあまりよくないのかもしれない。
だが、だからといって誰かを責めるのはお門違いというものだ。
そもそも自分は丸一日も寝ていた。
だから自分が言えた義理ではない。
それでもやはり不満や憤りはあった。
大事な弟をどうしてまだ助けられていないのかと。
それは自分自身にも言えたことだった。
あらゆる感情がマリーの身体を支配していた。
けれど感情を抑えることにはもう慣れた。
そうやって自分は変わったのだという自負がマリーにはあった。
マリーは小さく呼吸をして、気持ちを抑える。
「そう……じゃあ、もっと頑張って助けないといけないわね」
ゴルトバ伯爵とドミニクがほっと胸を撫でおろした。
昔とは違う、冷静で大人な対応。
それはシオンと再会してから見せ始めた、大人びたマリーの姿そのものだった。
本当なら泣き叫んで、掴みかかって、シオンをなぜ助けないのか、助けるために努力しないのか、なんでここにいるのかと言いたかった。
けれどそれを抑える術をマリーは身に着けていた。
子供で身勝手な自分を抑えつける術を。
馬車はメディフ城へと進む。
すんなりと城内へと入った四人は馬車を預け、侍女に連れられて王の執務室へと向かった。
執務室に入ると、以前と同じ情景が広がっている。
ラルフガング王、王国騎士団長ラインハルト、宰相ウッツの三人が揃っていた。
会議室ではないということは、そこまで大きな話ではないのだろうか。
恐らくは内々の話だろうとマリーは考えた。
内心では早くシオンのところへ行きたかったが、ぐっと堪える。
恐らくシオンや自分たちの功績についてだろうと、マリーは当たりをつけた。
ならばシオン救出に関しての話もするだろう。
「よく来たな。ドミニク、ゴルトバ、そしてマリアンヌ・オーンスタイン」
マリーは一礼し、後方で控えた。
用があるのはドミニクとゴルトバ伯爵だ。
自分はただついてきただけなのだから。
マリーは内心ではそわそわしながらも、なんとか気を落ち着かせた。
「先日の任務、大儀であった。よくぞ妖精を救助した。
すでに妖精たちはアルスフィアへと戻し、無事に生息しているとの報告がある。
また、赫日の進行を止め、魔物と魔族の討伐を遂行したことは聞いている。
アビスの崩壊はすでに確認済みだ」
「ふん」
小さく鼻を鳴らしたのは宰相ウッツだった。
異論があるという顔をしていたが、マリーは無視を決め込んだ。
「赫日に現れた魔物や魔族の存在は確認できなかったが、騎士たちの証言から事実であると私は判断している。
ゆえに此度の功績を称え、褒賞金を取らせる。
また、アルスフィアでの研究制限をなくし、立ち入りを無期限に許可する。
そなたたちは妖精の研究をいつでもしてよい。報告義務もない。
他に望みがあれば可能な限り叶えよう」
「陛下! それはあまりに温情がすぎるというもの!
そもそも赫日とやらも、見える者と見えない者がいるというのは疑問が残ります」
もう我慢できないとばかりに口を挟んできたのは、宰相ウッツだ。
「私も見えると言っている。そなたは私を疑うのか?」
「そ、そこまでは申しておりませぬが、や、やはり信憑性に欠ける部分がありましょう!
さらに言えば、赤い魔物とやらは死体が残っておりましたが、魔族は被害を出していないどころか、姿さえ見せておりませぬ!
そんなものを信じろと言われても納得できませぬぞ!」
魔物や魔族を倒したのは間違いない。
だが、倒すのに必死でその証拠を集めるまでには至っていなかった。
そもそも魔族が存在する証拠など、死体くらいしかない。
宰相ウッツの言説はもっともだった。
恐らくは単純に気に食わないという理由が大きいだろうが。
メディフ王の主張は証拠が乏しく、宰相ウッツの言葉は正論だが感情的だった。
その二人の間に割って入ったのは、今まで黙して通していた騎士団長ラインハルトだった。
「我が騎士たちが嘘を吐いていると?
精鋭たる誇り高き騎士隊が虚言により褒章を得ようとしている、そうおっしゃっているですか?」
「そ、そうは言っておりませぬ。
ですが、やはり証言だけで判断するのは早計というもの。
みなを納得させるだけの説得力が必要でしょう」
「王の言は真実。納得するしないではありませぬ」
暴論だった。
しかし妙な説得力があった。
宰相ウッツは何か言おうとしたが、言葉を呑み込んだ。
マリーは三人のやり取りを見ながら、さっさと終わってほしいと思っていた。
いい加減、辟易としていた。
「もうよい。そなたたちの意見はわかった。
だがすでにこれは決定事項である。私はシオン・オーンスタインの死を無駄にはできぬ。
あの者の功績を称え、褒賞を与える。この決定は揺るぎないことと知れ」
「…………え?」
宰相ウッツと騎士団長ラインハルトがラルフガング王に頭を垂れる中、マリーは小さく声を漏らした。
今、王はなんと言った?
「すでに騎士隊には褒賞を与えた。
マリアンヌ・オーンスタイン。そなたは何を望む?」
「な、何を? 何を言っているの……?」
「何をとは? 功績を称え、褒賞を与えると言っている」
「そ、そうじゃない。何を言ってるの……? シオンは死んでないわ。
なぜ死んだことにしているの?」
マリーはわなわなと震えていた。
普段なら、大人を装う自分なら、礼節をわきまえた言葉遣いをする。
だが動揺から、マリーは感情を抑制できなくなっていた。
宰相ウッツが憤りながら前に出たが、ラルフガング王が手で制した。
「アビス崩落によりシオン・オーンスタインは逝去した。
生死の確認をするまでもない。生きてはおらぬだろう」
「生きてるわよッ! シオンは生きてるッ!
どうして確かめもせずに決めつけるのよ!」
「……遺体捜索だけのために多くの人員を割けぬ。
崩落した洞窟の瓦礫を除去するには人員以外にも、膨大な時間と資金が必要だ。
シオン・オーンスタインの功績がどれほどのものであろうとも、救助は出来ぬ」
「な、何を言って……るの……? シオンは、シオンは、あなたたちのために戦ったのよ……?
命がけで、みんなを守ったのよ……?
それなのに、見捨てるって言うのッ!? し、死んだって決めつけて、助けないのッ!?」
マリーは縋るようにドミニクとゴルトバ、ウィノナを見た。
三人は目を逸らした。
三人はすでに知っていたのだと、マリーは理解した。
血が沸騰していく。
「ふっざけんじゃないわよッッッ!!
シオンを利用して、用がなくなったら捨てるっていうの!?
あたしの家族を……弟を……だ、大事な人を……ッッ!!
シオンを何だと思っているのよッッッ!!!」
ギリッと歯噛みすると血の味がした。
これほどの激情は生まれて初めてだった。
濃密な怒りがこみあげてくる。
拳を力の限り握ると、体中に力が溢れた。
魔力が溢れ出し、部屋を覆うほどの膜となった。
ここでブチギレてしまおうかと思う自分と、冷静さを欠いてはいけないという自分がせめぎ合う。
マリーは感情をぶちまける寸前で、なんとか堪えた。
それは大人になりたいという自己欲求ではない。
シオンを助けるための可能性を、むざむざ捨てるわけにはいかないという理性が勝ったからだ。
マリーはその場にいる全員を殺すのではないかと思うほどの殺気を、なんとか抑えた。
騎士団長ラインハルトの額に一筋の汗が流れたことには、誰も気づかなかっただろう。
「…………いいわ。だったら望みを言う。
シオン救助のための援助をして。可能な限りでいいわ」
「……よかろう」
ラルフガング王の返答を聞くと、マリーはすぐに踵を返した。
「あ、あの」
ウィノナが声をかけてきたが無視した。
仲間だと思っていた。
シオンのことを大切に思っている仲間だと。
けれどそれは間違いだった。
シオンを助けられるのは自分だけだ。
シオンを心から愛してるのも、大事に思っているのも。
そして誰よりも、何よりも大事に思っているのも。
シオンがいなければ意味がない。
シオンがいなければ生きていけない。
だからマリーはアルスフィアへ一人で向かった。
もしもシオンが死んだとわかったら、自分も死のう。
そう思いながら。