シオンの決断
ラプンツェンの攻撃は僕を捉えた、はずだった。
僕の眼前でラプンツェンの拳が止まっている。
「ぐ、が……!?」
小さく声を漏らしたのはラプンツェンだった。
突如として痙攣し、後ずさりする。
吐血し、遂には膝を折り、そして胸を抑えた。
ラプンツェンの身体は真っ赤に染まっていた。
「な、にが、起こって……」
状況を理解できず、ラプンツェンはわなわなと震えた。
目を白黒させ、そして僕を見上げる。
「それは……ま、まさか……」
僕は水魔法を使った。
ただし普通の水ではない。
浮かんでいるものは深紅を彩っている。
そう、これは。
「血を、魔術に……つ、使ったのか……ッッ!?」
驚愕と共に叫ぶラプンツェンの腹部には、ぽっかりと穴が開いていた。
絶体絶命の時、僕は血を扱った水魔法を使ったのだ。
大量の血は僕のもの。
体中から溢れた血を集め、血弾としてラプンツェンに放ったのだ。
これはもはや水魔法ではない。
血魔法。
ブラッドブレットだ。
正確には血魔法と風魔法を使った合成魔法なのだが。
正直、ここまで効果があるとは思わなかった。
咄嗟だったので消費した魔力は五百程度だった。
それなのにこの威力だ。
もちろんラプンツェンの魔力がほとんど残っていなかったことと、集中的なシールドを使っていなかったということも原因だろう。
しかし、それでもアクアブレットや他の魔法ではこんな結果は得られなかったはずだ。
血を使うというのは咄嗟のアイディアだった。
しかし、魔族に有効であるという確信はあった。
エインツヴェルフとの戦いを思い出す。
あいつは僕を眷属にすると言い、首に噛みついてきた。
さながら吸血鬼のように、血を吸おうとした。
その後、あいつは妖精の祝福を受けた僕の血を体内に取り込んでしまい、苦しみだした。
次いで、父さんとグラストさんの攻撃を食らい、腕を切り落とされたのだ。
間違いなく僕の血を吸ったことにより、エインツヴェルフは弱体化した。
弱体化の内容はわからなかったが、物理攻撃が通らなかったはずのエインツヴェルフに、父さんたちの攻撃が通ったことは間違いなかった。
だから僕は賭けたのだ。
妖精の祝福を受けた僕の血で魔法を使い、ダメージを与えればラプンツェンも弱体化するのではないかと。
結果、僕の予想は的中した。
むしろ予想以上の結果を残した。
ラプンツェンの魔力はほとんど枯渇し、残っている魔力も歪んでいる。
恐らく、まともに魔力を編むことはできず、魔術は使えないだろう。
魔覚を得た僕にはそれがわかった。
メルフィのおかげだ。
彼女がいなければ魔族に有効な妖精の魔力や祝福はなく、対抗手段も限られていただろう。
「く、そ……! に、んげん、め……!」
ラプンツェンが力なく倒れた。
だが意識は残っているようで、僕を睨んでいる。
僕は立ち上がろうと足に力を入れた。
しかしそれは叶わず、前のめりに倒れてしまう。
お互いに限界だった。
僕もラプンツェンも体力を使い果たし、魔力はほぼ枯渇し、血を流し過ぎた。
このままでは死ぬかもしれない。
倒れながらお互いに睨みあう。
休んでいる暇はない。
ここでこいつを殺さなくては。
人間に害を為す存在。
僕の大切な人たちを傷つける存在。
殺さなくては。
殺すんだ。
「こ、殺す……殺して、やる……ッ!」
僕は這いずってラプンツェンに近づいた。
鈍麻した身体ではまともに言うことを聞かない。
もはや意思の強さだけで身体は動いていた。
ほんの数センチずつしか進まない。
それでも確実に僕はラプンツェンに迫っていった。
「……や」
僕へ殺意を向けていたラプンツェンに変化が訪れた。
ラプンツェンの僕を見る目が徐々に変わっていく。
「……や、やめろ」
否定と拒絶、そして恐怖がその目に生まれる。
居丈高で傲慢だった魔族の影は薄まっていく。
さっきまでの余裕はそこにはない。
「……く、来るな! こ、こ、来ないで、くれ!」
ラプンツェンを無視して這いずって進む。
純粋な殺意だけを胸に僕は身体を動かした。
「ひ、ひぃ……こ、殺さないで……や、やめてくれ、や、やだ。ヤダァァ!!」
ラプンツェンは僕に背を向けて這いずって逃げ始めた。
僕の身体は怒りに支配される。
人を殺すのは厭わず、皆殺しにすると言った癖に。
自分が殺されるのは怖いのか。
誰かを殺そうとするならば、殺される覚悟を持て。
僕たちはそれを持っていた。
だから誰もが必死になって戦ったんだ。
それをこいつは。
自分は殺されないとでも思っていたのか。
傲慢の上に思考停止しているその態度が、異常に腹立たしい。
ふざけるな。
ふざけるんじゃない。
人間とは違うと言いながら、人間と同じような姿を見せるな。
おまえたちは違う。
人間の敵だ。
考えるな。
こいつは殺さなくてはならない。
僕は怒りのままに立ち上がった。
すぐ傍にまで行くと、ラプンツェンが振り返る。
恐怖に染まった顔で僕を見上げた。
「や、ヤダァ、やだ、殺さないで……し、死にたくない……」
「おまえたち魔族はどれほど人間を殺したッッ!!
人間を殺すことが当たり前だと考えている癖に、自分が死ぬのは怖がるのか!!」
魔族は人間の天敵だ。
話し合いの余地もない。
エインツヴェルフは無残に多くの人を殺した。
ラプンツェンもすぐに僕たちを殺そうとした。
だから魔族は敵なのだ。
ラプンツェンは恐怖に竦みながらも、壁際まで這いずった。
逃げ場がなくなると、壁に背をつけて向き直る。
恐怖の表情で、僕を見上げそしてすぐに頭を下げた。
土下座だ。
「……ご、ごめんなさい、ごめんなさい。
こ、殺さないで! わし様が悪かった、だからお願いなのだ。
殺すのだけは、ゆ、許してくれぇ、お願いだからぁ!!」
こいつは屑だ。
散々殺そうとしておいて何をしている。
謝罪がなんの意味を為すんだ。
こいつはこの場を逃れたいだけだ。
ここで許しても、心を入れ替えたりはしない。
回復したらまた人を殺そうとするだろう。
「おまえは殺す……人を殺すなら、殺すしかない!」
「も、もう殺さない! 人に手を出さないから! ゆ、許して欲しいのだ!
お願いだ! おまえの下僕になる! なんでも言うことを聞くから!
だ、だから頼むっ! たのむぅっ!!」
僕は右手に魔力を込めた。
奴に魔力はなく、もうシールドもない。
この一撃で確実に殺せるだろう。
「ひぃっ! た、たしゅけぇ、ごろざないでぇ……!」
ラプンツェンは涙ながらに訴えかけてくる。
額を地面にこすりつけ、許しを請う。
僕は拳を振り上げた。
「し、死にたくない。じにだぐなぃぃっ!」
僕はラプンツェンの命乞いを無視した。
許せない、こいつは。
魔族は許してはいけない。
人を殺そうとした。
今後も殺すつもりだろう。
そしてなによりも許せないことがある。
「よくも、姉さんを傷つけたなッッ!!」
僕は拳を振り下ろした。
渾身の力をもって、殴りつけた。
けたたましい音が辺りに響く。
僕の拳は岩壁に埋もれていた。
ラプンツェンの頭のすぐ横の岩壁に。
殺さなかった。
殺せなかった。
別に同情したわけじゃない。
冷静さを欠いていたからだ。
ここでラプンツェンを殺すことが正しい選択とは限らない。
だから僕は殺さなかった。
魔族の情報や千年前の話、そのほかにも聞きたいことが山ほどある。
こいつには利用が価値があるのだ。
殺すかどうか決めるのはそのあとでいいと思った。
ラプンツェンが突如として倒れた。
気を失っている。
あまりの恐怖に失神したらしい。
強者ゆえに追い詰められた経験がなかったのか、死を間近に感じ、恐怖を抱いたのかもしれない。
どちらにしても、このやり取りに意味はないかもしれない。
もうすべてが遅い。
僕はその場に座り込んだ。
崩落は続いている。
地鳴りは響き、そして天井からの落石は絶え間なく続いた。
逃げ場はない。
時間もないだろう。
天井から岩がいくつも落下してくる。
岩壁は崩壊し、無事な場所はほとんどない。
もう動く気力さえない。
何をしても身体はまったく動かなかった。
「……姉さん、ごめんね……帰れそうにないや……」
僕はここで死ぬのか?
何かが裂ける音が聞こえた。
小気味よさと不気味さが同時に僕を襲ってくる。
地面にヒビが走る。
それは無数に増え、やがて地面を覆い尽くした。
一際大きな落石。
大地は震え、ホールは破壊された。
崩壊の中で地面は崩れ落ちていく。
アビスはラプンツェンが作り出したものなのだろうか。
だとしたらラプンツェンの状況によって、アビスも形を変えるのかもしれない。
ラプンツェンが限界間近まで追い詰められたため、アビスが崩壊したのだとしたら。
「まあ、もう、どうでもいいことか……。
全員、無事に脱出できたよね……?」
僕は落下しながらそんなことを呟いた。
風音が鼓膜を揺らす中、僕はただただ思った。
「みんな、ごめん」
無事に帰ることができなかった。
みんなを悲しませるだろう。
世界を救えなかった。
魔法はもう創れない。
使えない。
それでも。
「幸せだった……」
愛してくれる人がいた。
愛する人たちがいた。
魔法が創れた。使えた。
やりたいことや、やるべきことがあった。
そんな日々がどうしようもなく愛おしく思う。
僕は泣いた。
溢れる涙が上空へと流れていく。
僕は下へ下へと落ちていった。
暗闇の中で、僕の意識も徐々に消えていく。
そして僕は意識を手放した。






