仲がいい証拠
今日も今日とてアルスフィアで妖精言語の解析は続く。
最近ではメルフィとの会話が中心となっているため、メルフィも楽しそうだ。
口腔魔力を使い妖精言語を介して、メルフィとコミュニケーションがとれるのは僕も楽しかった。
メルフィが口腔魔力を放出する。
『今日、湖、行った。綺麗、楽しい、嬉しい』
僕はメルフィの言葉の意味を理解すると、うんうんと頷いて口を開いた。
『いいね、楽しそうだ。僕、一緒に、行きたい』
メルフィがぱぁっと表情を明るくした。
彼女は感情豊かだ。態度も感情も行動も言葉も、人間とそん色がない。
一緒にいると楽しいし、色々なことが知れる。
僕とメルフィが会話している間も、ゴルトバ伯爵は一つ一つの会話の魔力種、魔力色、魔力量、魔力数を記録してくれている。
正直、かなり大変な作業だと思うけど、不満を一切漏らすことなくやってくれている。
僕一人だとかなり骨が折れただろうから、本当に助かっている。
姉さんやウィノナに頼もうかとも考えたんだけど、伯爵でなければ難しい作業だと考えて、結局、伯爵に任せることにした。
口腔魔力の微細な変化を見て、正確に記述し、更にそれがどういう意味なのかを理解しなければならない。
そんなことを短時間でできるのは伯爵くらいだろう。
しばらくメルフィと会話し、一区切りがついた。
一旦、メルフィとの会話を打ち切ると、僕はゴルトバ伯爵に向きなおる。
「新単語は二十語ってところですか」
「まさに。今日も新たに言葉が増えましたな! これで……大体1000単語、といったところでしょうか」
「……なんとか日常会話ができるくらいですね」
「ええ。もう少し複雑な話をするにはもう少し単語が欲しいところですな。
例えば妖精の生態、魔物との関係、魔力、魔法に関してなど。
そのあたりを聞くにはやや心もとないかと」
「しかも魔覚の要素が繊細で、習得するのが難しいですし……視覚的な部分だけでもかなりの種類がありますからね」
「妖精言語はまさに人言語と同じレベルの語彙がある様子。
ほとんど一度で覚えてしまうシオン先生でも、完全習得には何年かかることやら……。
そもそも魔覚がなければ完全に妖精言語を理解することも、話すことも、聞くこともできませんからな。
儂の場合は、大味な……それこそ片言以下のレベルで話すのが限界ですぞ」
「魔覚があってこそ微妙な変化がわかりますからね……おおまかな文言の分類はわかりますが」
以前、妖精言語の魔力色を分類したことを思い出す。
例えば、赤の意味合いはこんな感じだ。
●赤 感情…憤怒、腹立たしい、イライラ、著しい感情など
意味…火、熱、太陽など
魔覚がわかれば、その微細な違いがわかるが、魔覚がない場合は、赤は赤としか感じられない。
もちろん、魔力の大きさ、数によっても意味がくみ取れるので大雑把な理解は可能だ。
例えば、怒っているという意味をあらわすために、赤い口腔魔力が放出されたとする。
魔力種や魔力そのものの性質、微細な違いがわからない場合は、魔力量や魔力の数からくみ取れるのは『怒り』程度にとどまる。
憤怒、激情、憤死、苛立ち、腹立たしいみたいな、同じ意味合いだが微妙に違うニュアンスの文言と判別がつかないのだ。
赤という魔力色だけでも、多種多様な意味が含まれるため、魔力の量だけで分類することは不可能ということ。
そしてその『怒り』という意味をくみ取ることさえ、普通は難しい。
伯爵の慧眼、微細な変化を汲み取る能力、瞬時に妖精言語を想起する記憶力などが必要だ。
人間の言葉であれば明確な違いがある部分も、妖精言語では非常に小さな差しかない。
「妖精言語って難しいですね……」
「恐らく、シオン先生レベルの魔覚が使える人間しか、妖精言語を正確に理解はできませんな。
常人には儂と同じように視覚的な情報で判別する程度が限界でしょうか。
それでも最低限のコミュニケーションはできそうですが」
難しい顔をしている伯爵だが、どこか楽しそうでもあった。
それもそのはず。
妖精とコミュニケーションがとれる方法なんて今までなかったのだ。
でも、今は違う。ある程度は妖精と言葉を交わすことができるようになったのだ。
もちろん魔力を持っている必要があるし、口腔魔力を出すにはコツがいる。
魔覚がなければ深く交流することもできない。
でも0と1では雲泥の差がある。
妖精は身近にいながら不可思議で、何もわからない存在ではなくなってきているのだ。
これから妖精学は大きな進歩を遂げる。
その一端を僕が担っていると考えると、魔法を開発した時とは異なった高揚感や達成感のようなものを感じずにはいられなかった。
「うへへ」
「ふぉふぉふぉ、シオン先生。良い表情をなされてますな!」
「え? あ、ま、またいつもの出ちゃいました?」
「うへへ、というあれですな!」
「いやぁ、すみません。つい嬉しくなると出ちゃうみたいで。特に魔法関連で」
「妖精に関してでも出るのですな。シオン先生がそこまで喜んでくれると、儂も嬉しい限りですぞ! 儂も妖精が大好きですからな!」
思えば僕は魔法にしか興味がなかった。
でも、今は妖精にも興味が出始めている。
それは伯爵と一緒に研究を続けたからか、それともメルフィと関わる時間が多かったからか。
あるいは……妖精が魔法や魔力に深く関わると確信しているからか。
いや、多分全部なんだ。
「どうやら僕も妖精が好きになったようです」
伯爵は嬉しそうに目を見開いて、大きく何度も頷いた。
まるで孫の喜ぶ姿を見て、同じように喜ぶおじいちゃんみたいだった。
僕としては伯爵はおじいちゃんというより、手のかかる生徒で、同じ考えを持つ同志みたいな感じだけど。
そんなやり取りをしていると、魔力が近づいてくる気配を感じた。
こんな場所にやってくる魔力持ちは一人しかいない。
「帰ったわよ」
疲れ一つない様子の姉さんと、疲れすぎて息切れしているドミニクだ。
僕たちから少し離れた場所で食事の準備をしていたウィノナが、手拭いを手にして、姉さんたちのもとへ走ってきた。
ウィノナから手拭いを受け取った姉さんたちは汗を拭う。
「進展あった?」
疲れを見せずに、姉さんは僕の肩をポンと叩いた。
いつもの姉さんの笑顔。僕の好きな顔だった。
半ば、無意識の内に僕は姉さんを見つめた。
ここしばらく魔覚の感覚を掴むため、常に魔力感知や探知をしてきたせいだ。
視覚的な魔力の認識と、魔覚により魔力の感知は似て非なるものだ。
前者はおおまかな魔力量がわかるが魔力種はわからず、かなり大雑把なもの。
魔覚は個々の持つ魔力種が判別できるし、魔力の量もかなり正確にわかるが、繊細なコントロールが必要である。
そして最近、僕はその繊細なコントロールを身につけつつあった。
姉さんの魔力を見て気づく。
やはり魔力が減っている。
ブースト分を加味しても、減り過ぎている。
魔力視認であれば気づかなかったかもしれない。
今まではブーストで減ったんだろう程度にしか思ってなかったし。
ドミニクと森の探索に行ってきたみたいだから、魔物と戦闘しない限りは魔力が余分に減ることはない。
しかし魔物と戦ったのならば真っ先に僕に報告してくれるはずだ。
魔力が減っているからなんだと言われれば、それまでなんだけど。
姉さんは何度も単独行動をしていたこと。
何か用事があると言っていたこと。
そして魔力が減っていたこと。
だとしたら。
僕はなんとなく想像して、そしてなんとなく答えを出してしまう。
姉さんはきっと【自分一人の力で魔法を開発しようとしている】と。
なぜそんなことをしているのか。
なぜ僕に内緒にしているのか。
それはわからないけど、多分、そうなんじゃないかって思った。
指摘すべきか、それとも知らぬ存ぜぬを通すべきか。
そして僕は――。
「いつも通り、少しずつ語彙を増やしてる感じだよ」
結局、黙っておくことにした。
姉さんが敢えて僕に黙っているということは、それだけ姉さんにとって大事だということだ。
何となく黙っているなんてことを、姉さんがするとは思えない。
だって魔法のことなのだ。
僕に敢えて話さない理由がない。
姉さんが僕に隠し事をするなんて、という思いはあった。
けれど僕も同じだ。姉さんに血が繋がっていないことを隠しているんだから。
何となく寂寞感を感じつつも、僕はいつも通りの笑顔を浮かべた。
「妖精言語も話せるようになってるみたいね。すごいわ!」
「ふふふ! 姉さんも練習する?」
「うーん、今は遠慮しておくわ。あたし頭良くないし。時間かかりそうだもの」
「そっか。残念」
姉さんは努力家だけど、勉強は不得意だ。
それでも頑張って貴族のことや、家のこと、世界情勢などの勉強をしているらしい。
僕と違って勤勉だ。僕は魔法のことばっかりだもんなぁ。
ふと、全員が揃っていることに気づいた。
丁度いいし、今言っちゃおう。
「そう言えば妖精祭がそろそろ開催されるらしいんだけど。みんなで行かない?」
「妖精祭? ああ、そんなのがあったわね。あれ、まだ開催されてなかったの?」
「毎回、開催されるまで準備に時間がかかりましてな。祭りの内容からして、まあ仕方がないのですがね」
「アジョラムに来たのであれば妖精祭に出ないのはもったいないですね。あと数日で開催されるはずですので、是非ともご参加を」
「妖精祭ですか……じ、実はわたしも気になってたんです。できれば参加したいです!」
「あたしもいいわよ。興味あるし」
姉さんとウィノナは行けるみたいだ。
主役の二人に参加してもらえないと意味がないからよかった。
といってもゴルトバ伯爵とドミニクとも一緒に行きたいところだ。
ずっと研究やら見回りやらで時間を使っていたし。
たまには息抜きも必要だと思うんだ、うん。
「儂は妖精祭には運営側で業務がありまして、参加は難しいのです。申し訳ありません、シオン先生……」
「私も当日は警備業務があるので、皆さんと一緒に回ることはできません。お誘いいただき嬉しいのですが……」
「そ、そうですか。残念です……」
なんか、自分でも思った以上にしゅんとしてしまった。
自分で言うのもなんだけど、僕は自分から誰かを誘うことはあまりない。
魔法関連で言えば、研究や調査の手伝いを頼むことはある。
でも普通に遊びに行ったりする時に誘ったことは滅多にない。というか多分一度もない。
なんか友達を誘って断られて、ちょっと悲しいなみたいな感情に襲われてしまった。
いや、別に誰が悪いわけでもないんだけど。
「ちょっとあんたたち、シオンが誘ってくれるなんて滅多にないのよ! 仕事なんてさぼっちゃいなさいよ!」
姉さんが胸を張り、威風堂々と言い放った。
昔と違い、結構な山々がそこにはあり、僕は一瞬だけ視線を奪われてしまう。
いや本当に一瞬だけだから。
それよりも、姉さんが突然怒り出すものだから、伯爵とドミニクは慌ててぺこぺこと頭を下げだしてしまった。
「も、申し訳ありません、シオン先生! わ、儂ごときがシオン先生のお誘いを断るなぞ、なんという不敬! このゴルトバ、一生の不覚! こ、こうなったらラルフの命は無視し、シオン先生と共に祭りを謳歌しましょうぞ!」
ちなみにラルフとはメディフの王様、ラルフガング・フォルト・メディフのことである。
「くっ! このドミニク、シオン様には数え切れぬほどの大恩がありながら、お誘いを断ってしまうとは……誠に申し訳ありませんでした! シオン様のためならば、業務など放っておき、一生お付き合いすべきでしたね! 騎士の称号を剥奪されようと、シオン様のお傍にいます!」
「い、いえ、そこまでしなくても大丈夫ですから! 二人とも仕事を優先させてください! 仕事は大事! 色んな人にも迷惑がかかりますし! ね? ね!?」
みんな極端すぎて怖い。
嬉しいけど、愛が重い。
半泣きで、ずずいっと僕に迫ってくる二人に僕はたじたじになっていた。
そんな状況なのに、なぜか姉さんは満足げに笑っていた。
ウィノナはおろおろとしていたが、次第にくすくすと笑い始める。
笑ってないで助けて欲しいんだけども!
「シオン先生! 妖精祭では食べ歩きがおすすめですぞ!妖精にちなんで作られた、鱗粉菓子が甘くとろけて最高の一品! 共に食しましょう!」
「妖精祭では見世物として、世界中から集まった人間が闘技を行うのです! 実は、参加したくてうずうずしていたので、シオン様もご一緒にいかがですか!?」
ぐいぐい来るね、二人とも!
一度断った反動か、それとも実は参加したかったのか、二人の勢いは留まることを知らなかった。
僕はひたすらに困惑し、でも少しだけ嬉しい気持ちを持ちながら、必死に二人を諫めた。
その時間が楽しく感じた。