妖精と人間の違い
それからさらに数日後。
いつもの広場でいつもの光景。
地面に転がっているドミニクと呆れている姉と介抱するウィノナ。
そして僕はと言えば、敷物の上に座り、伯爵と向き合っていた。
「……ふむ」
「……なるほど」
僕と伯爵がほぼ同時に唸る。
いつの間にか、姉さんが僕たちの隣で屈んでいた。
「どうしたの? もしかして進捗悪いの?」
「え? あ、ああ。いや、悪くはないんだけど」
「そ、そうですな。悪くはありませんな」
「含みがあるわね。どんな感じなのよ?」
僕と伯爵は視線を交わすと、同時に愛想笑いを浮かべた。
「えーと、とりあえず妖精の出す魔力の色を中心に調べてたんだけど、色には感情が表れているって話はしたよね?
一応、これが現状、調べた結果なんだけど」
僕は大量に文字の並んだ羊皮紙の中から、最新の資料を姉さんに見せた。
そこにはこう書かれている。
●妖精の魔力色一覧
赤 憤怒、腹立たしい、イライラ
橙 楽観、楽しい、わくわく
黄 歓喜、嬉しい、興奮、高揚、好反応
黄緑 幸福、愛しい、前向き、愛情、共感
緑 平静、心地いい、穏やか
青緑 厳格、慎ましい、冷静、無感情
青 冷徹、冷たい、理屈っぽい
紺 悲哀、悲しい、苦悶、落ち着かない
紫 混沌、わからない、不明、情緒不安定
ピンク 劣情、欲しい、欲情、性愛
黒(灰色) 残虐、妬ましい、邪悪、破壊願望
白(透明) 無垢、知りたい、好奇心、純粋、興味
度重なるメルフィとの会話、前後の文脈や表情から読み取った内容だ。
多少の違いはあるかもしれないけど、大体はあっているはず。
特に黒と白辺りの意味合いは結構微妙なラインだ。
メルフィは僕たちに対して害意を抱かないし、白は時折現れるけど、表情に比例していないように感じるときもあった。
純粋さというは結構な逃げの表現だ。
ピンクに関して僕はあんまりピンとこなかったし。
伯爵が『これは間違いありませんぞ』と言うものだから、暫定的に入れている感じだ。
……いや、でもそれが正しいなら、僕と会話しているメルフィがその……まあ、深く考えないようにしよう。
羊皮紙に目を滑らせた姉さんは、顔を上げると感嘆の声を上げた。
「結構細かいところまでわかってるじゃない!
何よ、二人の反応が悪いから全然進んでないのかと思ったのに、いい感じなんじゃないの?」
「うーん、まあね。確かに妖精の魔力の色、僕たちは【魔力色】と呼んでいるけれど、それに含まれる意味合いはある程度分かったのは確かに嬉しいんだ」
「しかしですな。進展したからこそまた問題が出まして」
「問題? 何よ?」
「感情がわかっても言葉の意味はわからないんだよね」
そもそも僕たちが妖精語を知ろうとしたのは、彼女たちとコミュニケーションをとりたいという望みもあってのことだ。
もちろん魔法のためとか、妖精のことを知りたいという目的もあったけど、やはり会話ができるレベルになりたいという中目的は設定している。
魔力色を見れば、その時のメルフィの感情はわかる。
ただ何を言っているのかわからない。
つまり単純に会話ができない。
「あー……なるほどね。おかしな話ね。人間の会話って言葉は明確に伝えるのに、そこに感情が伴っているのか、本音はどう考えているのかわからないのに。
妖精は逆なのね」
「言われてみればそうだね……そう考えると妖精は人間と違って素直な生き物なのかも」
だからこそメルフィとの会話では白の魔力色が多いのかもしれない。
何となく伯爵を見ると、目を見開き、ニコッと笑うと別の羊皮紙に何やら書き記していた。
こうしてまた妖精学に新たな説が生まれたのだ。
伯爵、すっごい嬉しそうだな。
伯爵が嬉しそうにしている姿を見るとなんだか嬉しくなってしまう。
同志に同調してるというか、そんな感じだ。
不意に頬に何かの感触がした。
姉さんが僕の頬を指でつんつんしている。
「なーんか嬉しそうね」
「そ、そう?」
「友達が喜んでいると嬉しくなるものだし、わからないでもないわ」
言うと、姉さんは柔和に笑った。
大人びた表情に僕はドキッとしてしまう。
今までの姉さんとは違って妙に大人で女性的な仕草を見て、別人のように思えた。
「ふふふ、伯爵とシオンって似てるわよね」
「……なんか自分でもそう思う時があるよ」
自分を客観視できているとは言わないけど、それでも魔法のことに没頭して、一喜一憂しているという自覚はある。
伯爵を見てると多分、僕もあんな感じなんだろうなとは思う。
書き終えた伯爵がほくほく顔を見せる。
僕たちの様子に気づくと、首を傾げ、ぽんと手のひらをたたいた。
「これは失礼しました。儂としたことがまた夢中になってしまいまして……」
「いえ、大丈夫ですよ。とにかく、調査はある程度は済みましたから、一旦次の段階に移るべきでしょうね」
「ですな! 次は事実に基づいた推察、仮定、検証ですかな?」
「ええ。ある程度の情報は手に入りましたからね。
魔力色とメルフィとの会話から得られた情報を精査して、事実を究明しましょう。
姉さんは、どうする? 今日の見回りは終わったんだよね? 一緒にやる?」
ドミニクは敷物に寝たままだ。
しばらく起きないだろうし、今日の午前中の探索は終わったはずだ。
調査と違って魔物の捜索は日が昇っている間しかできないし、暗くなる前にアジョラムに帰る必要があるため、午前中から午後二、三時くらいまでしかできない。
そのため午前と午後の二回に分けて捜索をしているみたいだ。
ただ、昼休憩後の剣術指南でドミニクが気絶して、午後の捜索がなくなることがしばしばあった。
今日もその日だ。
移動時間やドミニクの公務とか調査のスケジュールとか色々あって、剣術の指南は昼にするしかなくなったせいだ。
ということで、今日はドミニク気絶日だ。
姉さんも暇を持て余しているかもと思ったんだけど。
「やめとくわ。やりたいこともあるし」
「え? そ、そう?」
断られてしまった。
姉さんが僕の誘いを断るなんて、珍しい。
いつもなら二つ返事で承諾してくれそうなものだけど。
僕は姉さんの反応に少しばかりの動揺を抱いてしまう。
「じゃ、またあとでね」
姉さんは僕の心情を知ってか知らずか、立ち上がるとさっさと森の中へと向かった。
「ね、姉さん! 一人で捜索するのはあまりおすすめしないよ!」
「わかってる! 魔物の捜索はしないし、遠くまでは行かないわよ!」
やりたいことってなんだ?
敢えて言わない感じだったけど、僕に言えないことなんだろうか。
姉さんが僕に黙って何かしている。
姉さんのことだから、悪いことじゃないのはわかっている。
けれどこんなことは初めてだったから、何というかモヤモヤした。
子供のころ、母さんを助けられず、姉さんは剣術に没頭したことがあった。
姉さんは悩みをあまり打ち明けない。
いつも僕や周りのことを優先してしまう。
今も、何か悩んでるのかな。
それって……僕のせいなんだろうか。
「老婆心ながら、恐らく後ろ向きな理由ではなさそうでしたぞ。
前向きと言いますか。何かの目的を持って行動しているという印象でしたな」
伯爵は優しい笑みを浮かべて髭をもさもさと動かした。
表情に出ていたんだろうか。
ダメだな。伯爵に心配をかけるなんて。
僕はすぐに表情を取り繕って、小さく笑った。
「お気遣いありがとうございます。すみません、心配をおかけして」
「とんでもありませんぞ!
いやはや年を取ると余計なことを言いがちになりますな!
儂も気をつけねばなりませんな! ははは!!」
伯爵は僕の不安を豪快に笑い飛ばしてくれた。
僕は内心で伯爵に感謝しつつ、姉さんの消えた場所を一瞥する。
最近の姉さんは以前の姉さんとは違っている。
考えてみれば当たり前だ。
姉さんは成長している。丁度思春期だし、変わらないほうがおかしいんだ。
僕は……多分、ずっと一緒なんだろうな。
それでいいさ。僕の精神年齢は問題じゃない。
僕のやるべきこと、やりたいことをしていくだけなんだから。
「じゃあ、始めましょうか」
「ええ! お互いの意見を出し合い、議論し、そして仮定に繋げましょうぞ!」
僕は伯爵と力強く頷きあった。
今は目の前のことに集中しよう。
さあ、次の段階に行くぞ!