ドミニク・イェルク
「――シオン様、マリー様、見えてきましたよ!」
ウィノナの声に、僕と姉さんはすぐに窓から顔を出した。
遠くに見える森のような街がそこにはあった。
中心に大樹がそびえたっている独特の様相の都市は、メディフの首都アジョラム。
自然を重要視しているメディフでは、植物と共生しており、街中には木々が生い茂っているという。
その話通り、アジョラムの景観はまさに緑であった。
出発から二十日と数日。
馬車での生活を過ごしていた僕たちは、ようやく目的地に到着したのだ。
「やっと着いたんだぁ」
「さすがに疲れたわね……鍛えていても関係ないものね」
「魔法もほとんど役に立たなかったよ。乗り物酔いする体質じゃなかったのが救いだったけど」
幸いにも車酔いする人はいなかった。
もしも一人でも酔っていたら大惨事になっていただろうし、到着はもっと遅れていただろう。
アジョラムへと続く道はかなり広く、馬車が数十台横並びになっても十分な幅がある。
しかしその道を囲うは自然の威容だ。
メディフは必要以上に自然を奪わない。
ゆえに伐採も最低限で、火を使う機会もほかの国に比べて少ないらしい。
鉱物に関しては比較的緩いが、それでも他国よりは制限がある。
少し汚い話だが、糞も燃料になるため、それをくべるのかとも思ったが、それもしないらしい。個人的には助かったけど、かなり自然保護には気を遣う必要があるわけだ。
商人や観光客、旅人たちがそこかしこにいる中、僕たちも混じってアジョラムへと向かう。
一時間ほどで正門へと辿り着いた。正確には、正門前に並ぶ列に、だけど。
「人がかなり多いわね。何かあるのかしら?」
「うーん、伯爵からは聞いてないけど。伯爵なら言い忘れそうなんだよね。
あの人、興味ある事以外は後回しにするきらいがあるから」
「へぇ、シオンに似てるわね」
「……否定はしないよ」
ただ伯爵は人を慮る面もある人だ。
問題児組の中だと、フォローする立ち位置でもあったし。
基本は魔力のことにかかりっきりだったけど。
ふと窓から正門を見ていると、先頭付近が騒がしいことに気づく。
なんだ、何かあったのか?
喧嘩か諍いだろうかと思ったけど、列はたいして乱れてはいない。
何かを避けるように人垣が割れていく様子が目に入った。
「何かしら?」
「わからないけど、なんか嫌な予感がする」
何かがこちらへ近づいてくる。
その正体が徐々に視界に入ってきた。
金色の髪と精悍な顔つき。
顔には幼さがわずかに残っているが、体は引き締まっており、明らかに普段から鍛えていることは間違いなかった。
整いすぎている容姿は人目を惹き、特に女性陣を魅了していた。
衣服は騎士然としており、腰には剣を帯びている。
鎧はまだ新しく、使い古されてはいない様子だった。
おそらく十七、八歳くらいだろう。
彼と数人の騎士は豪奢な馬車を見つけると声をかけては、また別の馬車へ、という風に繰り返していた。
どうやら誰かを探しているようだけど。
僕じゃないよな。
僕じゃないよね!?
ウィノナに話しかけた。
「失礼。こちらの馬車にシオン・オーンスタイン様はいらっしゃいますか」
僕だあああああああああ!?
予想通りだった。
けれど勘違いだと思いたかった。
だって、目立っている。
めちゃくちゃ目立っているのだ。
周囲の人たちが何事かと、僕たちの馬車を見ているのだ。
確かに僕は人に注目される立場になったこともあるし、経験もある。
でも、それは仕事であったり、やるべきことがある時にしかたなく受け入れているだけだ。
今回は突発的であり、しかも赤の他人ばかりの中で、いきなり注目の的となっているのだ。
はっきり言って勘弁してもらいたい。
僕は部分的なコミュ障なのだ。
騎士の少年が扉をコンコンと叩いた。
あー、開けたくない。開けないといけないことはわかっているけど。
僕が逡巡していると姉さんが、仕方ないわねとばかりに扉を開いてくれた。
さすが我が姉。僕の心情を読んでくれている。
「失礼いたします。こちらにあなた様がシオン・オーンスタイン様でしょうか?」
「は、はい、僕がシオンですが」
「おお! あなたが、ゴルトバ伯爵のおっしゃっていた、リスティアの英雄であり、怠惰病治療の先駆者である、シオン先生なのですね!?
私はドミニク・イェルク。アジョラム近衛騎士所属の騎士です。
以後、お見知りおきを」
わざとかと思うくらい、懇切丁寧に説明するだけでは飽き足らず、彼は大声で回りの人間に知らしめるように言った。
当然、周りの人たちはその言葉を耳にしてしまう。
「怠惰病治療? そういえば、隣国のリスティアで治療の研修会が開かれたんだよな?」
「ああ。ってことは、あの子供がその治療方法を見つけたってことか? まさか……」
「いや、だが実際に怠惰病はここ数週間で治療が進んでいるぞ?
国王様から、治療に関しては対処可能だから問題ないとの通達もあっただろう」
「わたしも聞いたよ。それじゃ、あの方が?」
周囲の人たちがそこかしこでひそひそ話をしている。
彼らはこちらを見ると、突然姿勢を低くして視線を落とした。
やめてくれえええっ!
僕はそんなに偉い人じゃないんだよっ!?
そうこうしていると一人のおばあさんが馬車へ近づいてきた。
ドミニクと数人に騎士は警戒態勢をとるが、おばあさんが空手で無害だとわかると、警戒レベルを下げた様子だった。
「あ、あなた様が、た、怠惰病治療を可能にしてくださったのですか?」
「え? あ、ああ。まあ、はい。そうですが」
僕が答えるとおばあさんは、突如として涙を流した。
そしてその場に跪くと地面に触れる勢いで頭を下げる。
「あ、ありがとうございます、ありがとうございます。
わ、儂の孫は怠惰病にかかり数年寝たきりでしたが、先日、目を覚ましました。
あ、あなた様の、おかげです……本当に、ありがとうございます……」
おばあさんが泣きじゃくりながら言う。
僕は狼狽えてしまい、おろおろとするばかりだった。
するとほかの人たちも人ごみの中から躍り出て、おばあさんの隣で頭を垂れた。
「わ、私もです。あなたのおかげで息子が助かりました。ありがとうございます」
「俺も……妹が、げ、元気になって。話すようになってくれた。
もう駄目だと言われて、家族もあきらめかけていたのに……。
ありがとう……ありがとう!」
次から次へと馬車の横に並び、みんながお礼を言っていく。
呆気にとられてしまい、僕は言葉をなくす。
でもみんなが泣きながらお礼を言う姿を見て、心が温かくなるのを感じた。
打算があった。下心もあったんだ。
純粋な善意でやったことじゃない。でもそれでも誰かの救いになったのなら、やってよかったと思えた。
そんな中、よく通る声が上がる。
「それくらいにしてください。シオン様にご迷惑になるので」
ドミニクが毅然とした態度で人々を制していた。
威圧的ではなく、理解を示しながら対応に、患者の関係者たちは立ち去っていく。
去り際にもみんなが頭を下げ、お礼を言い、泣きながら、時には笑顔を浮かべていた。
サノストリアでもイストリアでもこういうことには遭遇した。
僕は善人ではないけれど、でも誰かに感謝されたり、誰かが幸せになることは純粋に嬉しい。
生徒たちはきちんと治療に励んでいるらしいこともわかり、僕は幸福を感じた。
突然、姉さんが僕の肩をポンと叩く。
振り返ると姉さんは小さく、
「あたしからもありがと」
そう言った。
僕は思わず笑ってしまい、
「どういたしまして」
と答えた。
「シオン様。我々の要件を話させていただいてもよろしいでしょうか?」
すっかり存在を忘れていたドミニクは苦笑していた。
僕は慌てて、コクコクと頷く。
「あ、すみません。どうぞ」
「我々はゴルトバ伯爵の使いです。近く妖精祭が催されるため、観光客や商人が多く、街に入るまで時間がかかるため、お迎えにきた次第です」
妖精祭。
なるほど、そのせいで人が多かったのか。
ゴルトバ伯爵はそんなこと言ってなかったけど、まあ、あの人は自分の興味があるもの以外には結構無頓着っぽいしなぁ。
それにしてもゴルトバ伯爵の割には気が利く、なんて言ったら失礼か。
だってあの人、侍女も仕えさせないし、地位にも興味ないような人だし、こんな風に誰かをよこすとは思わなかったんだ。
まあ、伯爵も貴族だったってことか。
別に悪いことじゃない。むしろありがたい。腰も体力も結構限界に近いし。
「そうだったんですね。じゃあ、すみません。おねがいします」
「もちろんです。では……頼むよ」
「はっ!」
ドミニクがほかの騎士に頷いて見せると、彼らは手際よく馬車の先頭に立ち、進路を確保しようと、周囲の人々に呼び掛けていた。
馬車が進む中、先ほどのおばあちゃんのように頭を下げたり、お礼を言う人たちもいた。
何事かと野次馬になっている人もいたし、迷惑そうに顔をしかめる人もいた。
つまり目立っている。さっき以上に。
僕は冷や汗をかきつつ、窓から見える情景を視界に入れないようにした。
けれどもどうしても声は聞こえるし、完全に視界が遮断されているわけではないので、人の姿は見えてしまう。
いろいろと失敗した、そんな風に胸中でつぶやいていると、隣で姉さんがくすくすと笑っていた。
僕がジト目を向けると、あからさまに知らんぷりをする。
姉さんの横顔を見て、僕は仕方ないとばかりに嘆息する。
その時間がなんだか少し嬉しく感じ、そして人々の声で現実に引き戻される。
そんなことを繰り返している中、馬車はアジョラムへと進んでいった。






