鳴瀬敬一
―――S大学にて。
まだ入学式を迎えていないキャンパス内は、
学生の数も疎らで、どこか閑散としていた。
日中日差しが指せばそれなりに暖かいと言えるものの、
空気の冷たさは尋常ではなく、日陰と日向で温度差が実感出来る程であるから、
この有り様も仕方ないのかもしれなかった。
そんな中、経済学部棟の前の開けた空間―――講義が始まれば自転車で溢れかえる―――の中にあるベンチに1人の男が座り、真剣に何かを読んでいた。
男―――鳴瀬敬一はこの春から大学生活を始める予定だ。
第一志望ではない、どころか何とか崖っぷちで手がかかった程度であり経済学に興味があったわけではない。
だが、それでも受かったことは嬉しいし、楽しみにしている。
アパートへの引っ越しも終わり―――荷物を入れただけだが―――、
お昼ご飯がてら、住む所の周りを見て回るのも悪くないと思い、
大学までの道も確認してとそんなことが楽しくて仕方ない。
大学の近くのカレー屋でお昼を取った後、経済学部棟を訪れた敬一は鞄からタウ○ページよりは薄いかという程度の―――とても持ち歩くものではない―――、を取り出す。
上端には頁の半ばからびっしりと付箋が付けられている。
「はぁ」
敬一の口から出たのはため息である。
希望に満ちている中で唯一心配なことがある。
「どの講義を受ければいいのか全然、わからねぇ」
大学の講義となれば、それまでと異なり、決まった時間割があるわけではない。
" カタログ(講義目録) "の中から自分が興味のあるものを選んでいくのだ。
しかし、専門、教養、必須科目など、結構複雑で、2、3度もすればすっかり慣れるとは言え、始めの内はどうしても難解なのはやむを得ない。
敬一はカタログを開いては、未だに白紙の自分の時間割―――仮組みように準備されている―――を見る。
ふとカタログに歪な影が射してベンチの横を見ると、
真っ黒な―――アクセントに白が入っているが―――ねこが真横にいて、
「っ!?」
ベンチに座っていたままの姿勢でそのまま横に2mほどズレるという、器用なことをやってのけた。
思ったより集中していたのか、全く気配に気づかなかった。
それにしても、誰かが餌付けしているのか、妙に人に慣れているようだ。
「悪いけど、今は何も持ってないぞ」
手のひらを見せるようにそう言ったが、
黒ねこはカタログを見つめて入るようだった。
突然、機敏に動き出したかと思ったら、
カタログを爪で引っ掻き始めた。
何を言っているか分からないと(ry)
「や、やめろー!」
一瞬の戸惑いの後、慌てて止めようと駆け寄ったが、
既に手遅れ。
カタログは見るも無惨になって
―――いなかった。