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ワイハイ三篇

作者: しげはる

その一


三年ほど前の話。

私は休日出勤を終えて帰宅しようとスクランブル交差点で信号が変わるのを待っていました。

しばらくして信号が変わり、束の間の歩行者天国となった交差点を人びとはいっせいに横断し始めました。

私も同様に交差点を渡り始めたのですが、そのときポツリポツリと大粒の雨が落ちてきました。

あれっと思う間もなく大量の雨粒が水煙を立てながらあたり一面を覆い尽くしていきます。突然のスコール。

みんな手で頭上を覆い早足駆け足で思い思いの方向へ駆け去って行きます。私も交差点を一気に渡ろうと走り出しました。

その時、これから向かおうとする歩道にぽつんと佇む若い女性の姿が目に入りました。

女性は黒く長い髪と、対照的に白いワンピースのような洋服を身に纏っているのですが、洋服は濡れるままで長い髪も同じように顔に張り付き表情も分りませんでした。

そこで私は再びあれっと思ったのです。

その女性に私は見覚えがあります。それもここ最近のうちに何度も見掛けているのです。

先週、自宅付近で急に雨に降られて急いで家に戻ろうとした時にも彼女とすれ違いました。

さらに数日前、雑居ビルの隙間の路地にちらりと見えたのも彼女ではなかったかと思います。その時も雨でした。

そしてそのどちらのときもそうでした。あれっと思って二度見するともう彼女はいなかったのです。

それを思い出したとき、どういうわけか私の背筋にとてつもない悪寒が襲ってきました。毛という毛が逆立ち、何かを抑制し警告するような感覚が全身を襲ったのです。

そうだ、最初のときはビルの上階の窓から洗面器が落ちてきたのを見た。進行方向のずっと先でしたが。

その次は自宅付近の角を曲がった途端に車が突っ込んできた。大事はなかったですが、私のすぐ脇の壁に泥はねを残して走り去りました。

咄嗟に振り返りました。私の後ろにはもう人は居らず、商業施設の建物の中に逃げ込む人たちが遠くに見えているだけです。

また前方に目を移します、そこにはまだ彼女がいました。顔にかかった長い髪の奥からこちらを見ている気配を感じ、その刹那。あれっ!

振り返った際に少し進路がずれたらしく私は道路に出来たやや深めの水溜りに足を突っ込んでしまいました。

一張羅の裾は泥水に塗れ、奮発して買ったばかりの英国製の革靴が台無しです。

それ以来、彼女に会う事はなくなりました。



その二


僕は待っている。この部屋に同じくらいの年頃の、20歳過ぎの若い女の子が入居してきても。それでも、いやだからこそ僕は待ち続けている。


若さゆえ、大人企画という通販会社に大人向けのDVDを頼んでしまった。タイトルは『欲情デリバリーお届けだニャン♪』

当時はDVDが届くのを呑気に待つだけで良かったが、彼女が入居してきたものだから状況が変わった。僕はそれが配達されるのを一日千秋の想いで待っている。

もはやDVDなんてどうでも良くて、そんなもの見られなくっていいし。むしろ見られたくないわけで。

そう、彼女には知られたくない。頭を掻き毟る。だって知られると恥ずかしいじゃないか!

気ばかりが焦りそわそわと時計に目を遣る……11時25分。時間だ。

ピンポーン。チャイムが鳴る。僕は急いで玄関へ飛び出す。しかし扉の向こうには誰もいない。

『○月×日、11時25分。お伺いしましたが不在でした』一枚の不在票が扉の簡易ポストに入れられている。

いつもこの繰り返しだ。毎日、毎日……。


不意に起こった爆発事故。あの事故で死んでから毎日、僕はこれを繰り返している。

やがてここも新しくなり、きれいな家具やかわいい置物に囲まれたとてもおしゃれな部屋にかわった。

それでも僕はあきらめない。彼女に知られるのが恥ずかしいとは言ったが、本当のところ、自縛霊としてのプライドがそうさせているのかも知れない。

いつも荷物を受け取れず日が暮れて、彼女が帰ってくる。それから僕はやることがなく、悄然と、いやむしろ淡々と彼女の生活を眺めてやり過ごす。


また朝が来た。彼女は出掛ける。そして11時25分が訪れる。ピンポーン。僕は急いで玄関へ!


「お届け物ですよ。ここにサインお願いします」

……どういうことだろう? 荷物が、来た。僕は呆気にとられて配達員を眺めた。血だらけの顔にぼろぼろのユニフォームの配達員はにこやかに笑った。

「いやね。もうずいぶん復興も進んで慰霊もかなりやってもらったでしょう。だから私も配達途中が最後だったんだけど、そろそろいいかなって……」

手渡された荷物は大人企画から僕宛の書籍サイズの紙箱。しわくちゃに折れ曲がっていて、雨風に曝されていたらしく薄茶色に変色していた。

そうか、みんな成仏していくんだな……。いつのまにか配達員は消えていた。僕は複雑な気持ちで手の中にある紙箱を眺めた。


この話に関連があるかどうか分りませんが、この地区のとある賃貸住宅にYという中年男性が入居したそうです。若い女性が退去したあとの入れ替わりでした。

ある日、Y氏がこの部屋備え付けの収納の小さな引き出しを開けたところ、そこから大量の配達不在票としわくちゃになった茶色の紙箱がひとつ出てきたということです。



その三


目の前で扉が閉まり、様々な人々を乗せて、満員の、くすんだ銀色のローカル電車が出発した。

本当はあれに飛び込もうかとも思ったのだけど、次に特急が来ると分っていたのであえてそうするのはやめて、待つことにした。

僕は鉛色の空を見上げながら、口の中の舌の先で奥歯の辺りを探った。

奥歯を抜いたのは数年前。歯の痛みがどうしても堪えきれなくなって歯医者に行ったのだけれど、もう手遅れだと言われてその場で歯を抜かれた。

抜いた後に見せられた奥歯は思った以上に大きくて、そこにはなるほどと唸ってしまうようなこれまた大きな穴が空いていた。

さっきまで僕の体の一部だったはずの大きな奥歯。

あるべきだった所にあるべきものが無い。奥歯を抜く夢は肉親の不幸を暗示するというような話があるが、それもなんとなく理解できる。


幼なじみのユーコは僕の妹の友達で、妹が出掛けていないときでも気軽に上がり込んできては僕の漫画を読んだりゲームを取り上げて遊んだ。

ぽっちゃりとした笑顔の可愛い小柄な子で、年頃になるにつれその体つきはとても魅力的な曲線を描いた。無邪気に近寄ってくる彼女に対して僕は目のやり場に困ったものだ。

そうはいっても彼女はあくまでも妹の友達で、僕は年下の妹みたいなものとして接していたし、彼女もきっと同じように兄か家族のようなものとして僕を見ていたに違いない。

やがて僕は何度目かの転職で実家を出て他所の土地で暮らし始めた。しばらくして帰郷した折に、彼女も結婚して町を出て行ったと伝え聞いた。

なんて事は無い。御目出度い、良い話じゃないか。自分自身に言い聞かせるが、体中から力が抜けていく感覚はどうにも止められなかった。


そして今、あの時と同じ感覚を味わっている。もっと強烈に。

彼女が、死んだ。

事故だったらしい。トラックに巻き込まれて即死だったそうだ。

それまでの彼女は幸せだったろうか。無論、僕なんかよりは幸せだったに違いない。

僕はもう疲れてしまった。仕事に、生活に、人生に。


もうすぐ特急が来る。ここを通過する。なあユーコ、そっちの様子はどうだい?

あれに飛び込んだらそっちに行けると思うんだが、そしたらまた遊びに来てくれるかな。

気も遣わずに、ただ一緒の空間に居れば楽しかった。あのときのような穏やかな日々もかえってくるかな。

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