妖精をさがしに
翌朝早く、わたしたちは宿屋を出発した。
外はまだ薄暗い。ふと顔をあげると、街道の先に朝靄にけむる森が青く漂っているのが見えた。
リーフ村の北には豊かな森が広がり、その奥にはアルフガントという山がそびえている。山頂から吹いてくる冷たい風は容易にここまで届いてくるが、あと数刻したらすぐに春の陽気が漂うだろう。
シオンくんといえば、わたしの肩にまるくなって眠っている。すうすうという寝息がかすかに聞こえてくる。こうして大人しくしていれば、シオンくんもかわいらしいのになと思う。
街道を外れて、山道を進んでいくと、ほどなくして川を見つけた。それなりに川幅があり、つがいの青い鳥が水面で羽を休めている。わたしは上着のポケットからハンカチをとりだして、川面にそっとひたした。山から流れてくる水は氷のように冷たく、透明で清らかだ。水気を含んだハンカチをしぼって、汗ばんだ額をぬぐった。
「ふう…。あと半分くらいかな」
かるい疲れが心地よい。2時間も歩きどおしだったら、昔ならとっくに根を上げていただろう。自分の成長ぶりにかるくこぶしを握りしめてから、上流にある滝を目指すことにした。上流に近づくにつれて川幅が狭まってゆき、しだいに小石よりも岩が多くなっていく。しかたないので、シオンくんが肩から落ちないように手のひらでかばいながら岩を跳んでいく。ときおり苔で滑る岩があるから要注意だ。足元に注意しながら、どのくらい歩いただろう。森がだいぶ深くなり、お日様がすっかり天に昇ったころにあって、シオンくんがようやく目を覚ました。
「ふわ~。おはよう、モモ」
「おはよう。もう、朝寝坊しすぎだよ、シオンくん」
「悪い悪い。昨日の召喚でけっこう疲れていたみたいでさ。それよりも」
シオンが水しぶきをあげる小さな滝を見上げた。
「滝があるということは、もう目的地についたのか? たしか滝の近くで見かけたってことだよな」
「うん、このあたりの森だと思うんだけど…」
わたしはかるく頷いて、あたりを見渡した。周囲には鬱蒼とした森が広がっている。太陽の光は木々の緑を照らしているが、あまりにも隙間なく茂っているため、幹のほうは夜のように暗い。入りたくないのはやまやまだが、足を踏み入れてみないと妖精の存在を確認できないだろう。予想していたとはいえ、魔物のいる森に入るのは憂鬱だ。
「わかってはいたけど、やっぱり森に入らないと、妖精がいるかわからないね」
「おれが見てくるよ」
シオンくんが肩から飛び出して器用に宙返りをする。
「思っていたより森の中が暗いからなあ。先に様子だけでも見てきたほうがいいと思う。ほら、おれだったら、森のなかで迷っても、飛べるからここに戻れるし」
「そうねえ…」
わたしはちょっと考える。コンパスをもっているので通常なら森のなかで迷うことは少ないはずだ。ただし、妖精のいる森はその性質によっては磁場に影響を及ぼすと聞く。そうなった場合、当然、コンパスがあっても意味がないだろう。別行動をとることは正直不安を覚えるが、彼の申し出には素直に感謝することにした。
「それじゃあ、お願いしようかな」
「任せとけ!」
シオンくんが嬉しそうに笑う。きっと寝坊した挽回もしたいのだろう。こういうところはわりと律儀な妖精なのだ。
彼の小さなうしろ姿が遠ざかっていくのを見送ってから、わたしはカバンなかをのぞき込んだ。ポポタさんに話した「モンスター対策」を行うためだ。宿屋から出発するときにも使用しているが、そろそろ効果が切れそうで、心配だったのだ。
「ええと、これね」
カバンから取りだしたのは紫色の可愛らしい装飾のついた小瓶だ。この香水こそ、モンスター対策の秘密兵器。人間には柑橘系の爽やかな香りに感じるが、モンスターには非常に臭く感じるらしい。森のモンスターはとくに鼻が利く種類が多いので、効果はてきめんなのだ。
「クーの発明はやっぱりすごいなあ。少ししかないからあんまり使いたくないんだけど、こういうときはちゃんと使わないとね…。もう半分くらいしか残ってないや。次に会いに行ったときにまたくれないかなあ」
わたしはこの香水をプレゼントしてくれた友人のことを思う。
クーはわたしの幼馴染だ。昔から蒸気機械や薬学が好きだった彼は、今は王都にあるラボで働いている。この香水は妖精研究家になったときにプレゼントしてくれたのだ。
「ふふ、懐かしいなあ。もう1年くらい会ってないのか。シオンくんのことも紹介したいなあ」
妖精と旅をしていると聞いたら、あの無表情にどんな表情が浮かぶのだろう。
わたしは丁寧に香水をふりかけ、大事にカバンにしまう。これで数時間は効果がもつだろう。
「さて、シオンくんが戻ってくるまで何をしてようかな…」
滝の近くならフェアリースポットがあるかもしれない。昨日はあまり収穫はなかったし、お金もこころもとない。わたしは妖精辞典をカバンから取りだして、水のフェアリードロップの項目をひらいた。
「えっと、水のフェアリードロップって、けっこう種類があるんだよね…」
フェアリードロップは火・水・森・土・岩・光・闇の七大元素があり、象徴となる色も七色に分かれている。昨日、森で精製したフェアリードロップは緑。森の元素が強く現れたフェアリードロップだ。
さらにその下に小元素が存在する。小元素は複数の元素(色)が混ざったもので、フェアリードロップの力はかなり弱い。しかし、複数の特徴を備えていることが多く、さまざまなマジックを発現するので需要がある。
「滝の近くなら、水と岩のフェアリードロップがとれるかもしれないなあ。投げつければ殺傷力があるから、モンスターに攻撃する武器になるかも。…よし、とりあえず、このあたりに置いておこう」
今回は、フェアリードロップが目的ではないから、精製できればラッキーだ。お金がなくてせっぱつまっている場合と違い、なんとも気軽な気持ちで精製器を設置する。地面に置いてしばらくすると、文字をかたどった光が精製器に吸い込まれ始めたので、何かしら精製できるだろう。
「あんまり期待できないけど、少しは攻撃手段がないと困るしね…。保管箱にあるのは、火のくずフェアリードロップと森のフェアリードロップかあ…。火は使えそうだけど、森で使うのは不安かな…。たき火用に残しておきましょう。精製するまで暇だし、魚釣りでもしようかな。お昼ご飯になるかもしれないものね」
わたしはカバンから組み立て式の釣竿を取りだした。餌は石の下に隠れていた虫を使う。旅をし始めたころはかなり抵抗があった餌つけの作業も、今や鼻歌混じりに行える。女としては微妙なところだが、生活力はしっかりついたといえる。
「このあたりにはどんな魚がいるのかな~」
釣りは気長に勝負しなければいけない。わたしは岩の上に座って長期戦のかまえをとる。滝の音があたりに響くなか、どのくらいそうしていただろう。ふと人の気配を感じて顔をあげると、川下から人が歩いて来るのが見えた。動きやすい皮鎧を身に着けた少年で、腰に帯剣をしている。どう見ても村人Aではない。少年は怪訝そうにしているわたしと目が合うと、かるく手を挙げて挨拶をした。金髪がお日様をはじいてまばゆく光っている。
「よお、いい天気だな。こんなところで釣りかい?」
「こんにちわ。あなたこそ釣り? 見たところ、冒険者みたいだけど」
わたしが首をかしげると、彼は人懐こい笑顔をみせた。鼻のまわりのそばかすが、少年のいたずらっ子のような印象を強くしている。前髪を赤いヘアピンで止めているのがふしぎと似合っていた。
「まあな。俺は王都のサウスギルドで冒険者をやっているジンっていうんだ。よろしくな!」
「よろしく、ジンくんはその年齢で冒険者をしているのね。大変でしょうに、えらいわね」
「…あのなあ、俺はこれでも成人しているぞ。見た目で判断するなっての」
思い切り子ども扱いされたジンさんは嫌そうに顔をしかめた。成人しているとは驚いた。ちなみにフェアリーランドの成人は二十歳だ。
「えーっと…、ごめんなさい」
「まあ、いいけどな。それで、お嬢ちゃんの名前は?」
「わたしは、モモよ。ジンさんはサウスギルドから来たのよね。王都で依頼を受けたの? それにしては、ずいぶん遠くまで来るのね」
「ジンでいいよ。いや、さすがにそれはない。依頼はリーフ村でもらったんだよ」
「リーフ村にもギルドの支部があるのね。知らなかったわ」
冒険者という職業が確立されたのはここ数十年だ。彼らはもともとただの風来坊だ。なかには悪さをする者も多く、その扱いに困った国王が法律を制定し、冒険者ギルドという組織をつくった。冒険者ギルドによって彼らは一定のルールにより管理されたが、その代わりにギルドから依頼を受けて報酬をもらえるようになった。それが50年前のこと。最初こそうまく機能しなかったが、今ではすっかり定着して、各地に冒険者ギルドの支部がある。冒険者ギルドに登録した者はわざわざ王都にある冒険者ギルドに行かなくても、支部から依頼を受けることができるのだ。
「モモ、だっけ。冒険者には見えないし、リーフ村の人間にも見えないな。まさかこんな山奥にまで来て釣りが目的ってわけじゃないだろ? 一人じゃ危険だぞ」
ジンが眉をひそめた。不思議がっているというより、単純にわたしの身を心配しているようだ。
「わたしは学者なの。このあたりの生態を調査しにきたのよ」
妖精研究家という事は伏せておく。妖精研究家はフェアリードロップなどの高価な品を持ち歩くので盗賊に狙われやすい。ジンは悪い人間ではないと思うが、あまりおおっぴらにしたくない。ジンは少し驚いたように目を広げると、わたしの服装をまじまじと見た。
「へえ。学者さんか。言われてみれば確かにそんな雰囲気だな。でも、それなら、なおさら危険だろう。戦う手段はもっているのか?」
「少しはね。それにモンスター除けをつけているから大丈夫よ。心配しなくても連れがいるの。彼が先に森を探索してくれているから、それまで暇つぶしに釣りをしているだけよ」
「そうか。一人じゃなきゃいいんだ。このあたりのモンスターはそれなりに強いって聞いているしな」
「心配してくれてありがとう。ジンこそ、一人なの?」
「いいや、今は別行動中なんだ」
彼は人懐こく笑う。別行動中ということばにわたしはちょっと疑問に思う。冒険者はグループ行動が基本だ。冒険者への依頼は危険なものが多い。初めから一人ならともかく、連れがいるのにわざわざ分散するのは危険きわまりない行動だ。
「単独行動をしているなんて、ジンはよっぽど腕に自信があるのね。それで? わたしに何か聞きたいことでもあるの。地元の人間じゃあないから、土地のことを聞かれてもわからないけど」
「だが、学者さんだろう? このあたりでテーブルキノコを見かけなかったか? できれば群生しているといいんだが」
「テーブルキノコ?」
その言葉を平然と聞いたふりをしながら、わたしは心中穏やかでない。テーブルキノコはテーブルのような形をした大きなキノコなのだが、妖精が好むという伝承が残っている。つまり、わたしたちが探しているフェアリーサークルの発生しやすい場所ともいえるのだ。それを探しているということは、ジンは妖精がらみの依頼を受けている可能性がある。冒険者の仕事には妖精ハンターまがいのものもあると聞くし、ここは慎重に回答したほうがよいだろう。わたしは心当たりがないという風にこてんと首をかしげた。
「ごめんなさい。わたし、川沿いからのぼってきたから、まだ森のなかには入っていないのよね。テーブルキノコを採取するのが依頼内容なの?」
「そんなもんかな。冒険者への依頼は採取から退治までいろいろあるからな」
ジンは顎をかきながら誤魔化すように笑う。その目が一瞬だけ抜け目なく光る。
「そういえば、モモは何の学者なんだ?」
「わたし? まだ駆け出しだけど、地質や植物を調査しているの。このあたりの森には珍しい植物が生えていると聞いているから、薬草の採取も目的ね。わたしとしてもテーブルキノコには興味があるわ。調合方法によって惚れ薬や滋養強壮薬もできるのよ。たしか別名で魔女の霊芝とも言われているわね。もし、見つけたら、ついでにジンの分も採取してあげましょうか?」
わたしは本当に植物学者にでもなったつもりでぺらぺらと話す。専門学校で勉強したのは妖精学だけではない。妖精研究家になるためにはいくつかの必須学科があり、植物学や魔女学もそのなかに含まれる。付け焼刃とはいえ、それなりに説得力のある内容なのだ。ジンもすっかり感心したように息をついた。
「へえ、さすがに学者さんだな。よく知っている。だけど、次に会ったときに場所だけ教えてくれればいいよ。その場に行って、いろいろ調べたいこともあるしな。ああ、それと、このあたりで何か変わったなものを見なかったか?」
「変わったもの?」
妙な聞き方にわたしは眉をひそめた。
「ずいぶん、抽象的な表現ね。それだとさっぱりだわ。何かヒントを教えてくれる?」
「うーん、そうだな。遺跡とか、そういうものかな」
依頼内容の守秘義務があるのだろう。歯切れの悪い口調だ。それにしても、遺跡とは。彼らが探しているものが何なのか、わたしも興味がわいてきた。
「探しているのは建物ということよね。そういうものは見てないわ。でも、まさか本当に遺跡なんてものがこの森にあるの?」
「いや、そういう類のものってだけ。まあ、見ていないなら忘れてくれ」
ジンはしゃべりすぎたというふうに手をふった。
「そんじゃあ、いろいろありがとな。釣りの最中、じゃました」
「ううん、気をつけてね」
わたしは笑顔のままかるく手をふって見送る。そして、彼が森のなかへ消えたのを見計らって猛然とダッシュすると、精製器を回収した。フェアリードロップが精製されていないが仕方ない。ジンの目的は妖精である可能性が高いので、妖精研究家だと知れたら色々と面倒だろうし、きっぱりとあきらめよう。
「おい、モモ」
かすかに声がしたほうを見るとシオンくんが岩陰からこちらを見ている。その顔はジンが去っていったほうを警戒するように睨み付けており、話を聞いていたことが予想された。
「あいつ、モモのいうこと信じたと思うか?」
「どうかしら。でも、戻ってきたら面倒そうね。シオンくん、ここはちょっと危ないから、カバンのなかにいたほうがいいと思うわ」
わたしはさりげなくシオンくんに近づいてカバンを広げる。シオンくんはその狭さに嫌そうな顔になったが、文句をいう事なく、なかに入った。カバンの間から顔をだした彼は、まるで子リスのようだったが、その顔を真剣そのものだ。
「妖精ハンターだったらまずいな」
「そうね。でも、妖精が目的だと思うけど、遺跡を探しているっていうのが、ちょっと気になるわ。シオンくんこそ、森を探索してきた結果はどうだったの?」
「モンスターは何匹か見かけたけど、モンスターよけが効きそうな相手だから、こっちが手出ししなければ問題ないと思う。あと、変な奴らを見かけた」
「え?」
とりあえず、岩陰に身をひそめたわたしは彼を見る。シオンくんは神妙な顔で答えた。
「オークみたいに体格のよい男と少女みたいな妖精が一緒にいたんだ。二人とも人形みたいに川のほうを
見ていてさ。気味が悪かった」
「人間と同じくらいの大きさの妖精なんているの? もしかして、聖霊かもしれないわ!」
聖霊というのは妖精の高位の存在だ。一生を妖精研究に費やしている人間でも、出会える可能性は稀と聞いている。だから、わたしも死ぬ前に一度だけその姿を見れたら幸運だに思っていた。その聖霊が手の届くところにいるかと思うと興奮しないほうがおかしい。しかし、興奮で頬を染めるわたしに対して、シオンくんが否定的な意見を言った。
「いやいや、残念ながら聖霊じゃないぞ。だいたい、妖精は元素で構成されるから、体格に決まりはないってわかってる? もちろん、体格が大きければそれだけ元素も必要になるから、力のある妖精なんだろうけどな」
「え~、それなら、シオンくんも大きくなれるの?」
わたしはぷくっと頬を膨らませて問うた。シオンくんが何の妖精か知らないが、高位の妖精であることは間違いないだろう。何しろ、人間を召喚することができるのだ。彼の言葉が本当なら、きっと人間サイズになれるはずだ。しかし、彼は自信なさそうに首をふった。
「いや、おれは存在が確定されていないから、この姿から変化できないと思う」
「存在の確定?」
「つまり、記憶喪失だからだよ。たしかに妖精は姿かたちに決まりがない。逆に言えば、それだけ意志の力に反映するってことだ。意志にもいろいろあるけど、記憶はその土台になるものだろう。俺にはその土台がないから、力はあっても存在が希薄なんだ。もちろん、新しい記憶が土台になるが、そこまで形成できるほどじゃない」
「ふうん、本では知っていたけど、本当に根本から違うのね。でも、シオンくんは触るとあったかいし、生物との違いがないように思えるけど、やっぱり中身は違うの?? ふしぎねえ」
「おい、解剖しかねない顔で見るなよ」
シオンくんはげんなりした顔になる。いや、さすがにしないってば。でも、元素から作られているのに体温があったり、食事をとったりするなんて、不思議じゃないの。その不満が顔にでたのだろう。シオンくんはため息をついた。
「人間だって元素から作られてるんだ。ただ、純度が低く、しかも、さまざまな元素が混在している。そのせいで、物質化が進み、今の状態になっているんだ。妖精は純度が高いから、人間と違って、半分物質化しているような状態かな。だから、体温もあるし、やろうと思えば食事から元素もとれる」
「ふんふん、勉強になるわ」
妖精に妖精の体のことを聞けるなんて、なんて幸運なんだろう。シオンくんといるだけで、妖精研究が進む。目をキラキラさせる私を見て、シオン君は本当に嫌そうに顔をしかめた。
「そのうち、解剖したいとか言いそうでおっそろしいな」
「しないってば! 失礼ね」
「まあ、そう信じておくよ。まあ、あの二人が何なのか不明だけど、気を付けるに越したことはないな」
「そうね。でも、妖精を狙っているのなら、このまま放っておくことなんてできないわ」
わたしは鼻息も荒く宣言する。シオンくんはあきれたように息をついたが反対する気はないようだ。
「それにはおれも同意する。だけど、危なくなったら逃げるぞ。おれは空を飛べるけど、あんたはそういうわけにはいかないんだからな」
「わかってる。ありがとう、シオンくん」
わたしが微笑むと、彼は照れたようにそっぽを向いてから、「いいから、行こうぜ」と一言残して、カバンのなかに潜りこんだ。