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贄の花嫁  作者: 彩世 幻夜
狂想曲
99/111

揺らぐ波紋

 重々しく、しかし鋭く空気を裂く音が、何度も何度もしつこい程に響く。


 ごく短く、払うように。

 続けて、素早く横薙ぎに大きく振り抜くように。

 そこから一気に斜め上へと切り上げ――勢いのまま刃を返し、力のまま振り下ろし。


 分かるものが聞けばそれらは全て、まるで違う音。

 しかし、常日頃から聞きなれた者でなければ、その違いをいちいち気にして、違う音であると認識する事はないだろう。


 ……もしも、騎竜隊に配属された新入りがそれを聞き分けることが出来ないなどと抜かせば、カーラは遠慮なくぶん殴る。

 しかし、たまの休暇に訪れる行きつけの定食屋の可愛らしい看板娘が同じことを言ったとして、それに怒りを覚える事はない。


 カーラにとって、民は守るべきもので、ましてや一般の娘など、子供に次いで庇護すべき対象だ。

 だから、彼女がジルベルトと関わることなく、惣菜屋の店主のままで居たなら、彼女の生い立ちを聞けば彼女を虐げた者たちに対し素直に憤っていただろう。


 ……でも。


 今、カーラの振るう剣の音を同僚の誰かに聞かれたら、心の乱れが大いに顕れた無様な剣と叱責される。

 苛々と振り回す剣は、ただ無駄に体力を削る。

 こんな定まらない剣筋では、敵に傷を負わすどころか、隙を突かれて自分の方が大怪我をする。

 頭では分かっていても、先ほど見た光景が脳裏から消えない。


 エリート集団と言われる騎竜隊の長である彼も、カーラたちと共に訓練に参加し、自分たちと同じか、むしろより厳しい訓練を己に課している。

 そんな彼と剣を合わせる機会は、思うほど多くない。


 一対一、多対一での剣の打ち合い稽古は通常メニューとして課されており、つまり彼も剣をとってそれに参加はするが、彼と組になれるのは、隊の中でもより優秀な、エリート中のエリート達。


 それ以外の者が彼と剣を合わせる機会は、彼が部下に稽古をつける形で日に数人相手にするその時を於いて他にない。


 エリート集団である騎竜隊は、軍部の他の隊に比べれば隊員数は少ないが、それでもローテーションでその機会が巡ってくるのはほぼひと月に一度。


 その時を楽しみに、日々きつい訓練に耐えているというのに……


 そんな栄誉を、軍人ですらない娘が――それも、常の訓練ではないほど長い時間、ありえないほど懇切丁寧な指導付きで得ている光景を目にしたカーラの心は大いに荒れた。


 彼女のことが気に入らない。

 庇護される側に留まるなら笑って済ませられる事も、剣をとって戦う事を選んだならば、あの未熟な腕前にいらいらさせられる。


 ……彼女の腕前が、素人でない事は分かる。

 実際、下の部隊でなら下士官くらいは勤められるだろう。

 けれど、その程度の階級の者が、ジルベルトの尊顔を拝する機会など、軍総出の合同訓練の時か、何かの式典の時、他の一般兵よりは近い場所に立てるくらいのもの。


 ――後進の育成に熱心なジルベルトは、度々下の部隊の訓練に顔を出しているから、確かに運がよければ……皆無ではない。


 カーラも、騎竜隊に配属される以前、彼と剣を合わせる機会に恵まれ、そこから彼に素質を見出されて今がある。

 だがそれも、軍属となって数年、死に物狂いで訓練をこなし、その機会が巡ってくるのを心待ちに、ひたすら己を厳しく鍛え上げていたからこそ。


 ……その最初の機会に恵まれるまで3年、二度目の機会まではさらに2年待った。


 彼女の生い立ちには同情すべき点が多々あることは百も承知。

 彼女がそこに甘えるばかりでなく努力している事も理解はしている。


 しかし、騎竜隊に配属されて、彼の傍につかせてもらえるようになるまで、さらに数年費やし、ようやく……と思った矢先の事。


 ――実家は一応貴族の位にあるものの、侯爵の正妻として嫁げる家格には程遠いからこそ、軍に入り、その時には吸血鬼に生まれたことに感謝すらしたのに。

 「……こうなっては、自分の生まれがむしろ呪わしくなってくるな」


 彼が、頭を下げてまで隊員たちにした頼みごと。

 皆、今はまだ戸惑いの方が大きいようだが……

 既に動き始めている者たちも居て、カーラの見る限りは、多くはジルベルトが望むならばとミリアを擁護する方へ協力する者の方が多い。


 ……実家の事情で、動くに動けない者も居るが、カーラの実家は良くも悪くもこの件に関わりなく、カーラは自分の思う通りに動ける立場に居る。


 答えは、乱れた剣筋に現れている。

 でも、この本心のまま動いたら、ジルベルトはカーラに失望するだろうか?


 良くも悪くも、女心に疎い彼は、カーラの淡い恋心にも、醜い嫉妬心にもまるで気づいていない。

 ――本当に、憎らしい……


 迷う心に、甘い声がこだまする。

 

 「良いのか、本当にあれを伯爵として?」

 戯れことだ、と分かっていても、今のカーラにはそれは抗いがたい誘い文句だった。

 巧みに心の弱いところをタイミングよく突いてくるその技能舌鋒だけでなく剣技にも及べば良いのに。

 「侯爵の正妃に、なりたくはないか……?」

 迷いだらけのカーラの剣が、その手を離れ、音を立てて床へ転がる。

 それが、主の敵だと分かっているのに。


 急所を突かれたカーラに、抵抗する術はなかった。

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