背水の陣
ダリオは、見目も良く、話術にも長け、荒事こそ得手ではないが、ダンスの腕は折り紙付きで、リードも完璧、彼と踊れば誰でも自然と優雅に踊れる。
身分も申し分なく、それに伴う富も権力も持ち合わせている。
将来的に彼が、その生まれから負う宿命がもしももっと違うものだったら、その争奪戦は今のそれなど比べ物にならないほど熾烈なものだったはず。
この国に住まう者としての義務である血税は、庶民のみならず、貴族たちにも同様に課せられたものである。
家同士の繋がりやコネを重要視する貴族たちの間では、政略結婚に次ぐ縁として、契約を結ぶ者たちも多いからこそ、年頃の娘たちは彼を理想や憧れの的として見ていた。
だが、本格的に彼に気に入られてしまった先を思うと恐ろしく、誰もが一線の先を踏み越えぬよう、まるで透明な壁でもあるかのように接していた。
その彼からの、救いの手となるはずだった封書。
前回の夜会でも、あの憎らしい娘のダンスを妨害するのに手を貸してくれた彼から、ジルベルトにヴァネッサを推してくれる事を条件に、あの娘を追い落とす手助けを求められた。
侯爵の花嫁に選ばれれば、今の現状を打破出来る。
既に、あの憎らしい娘を選んだと言った男。
その彼とダリオは、あまり良い関係であるように思える噂が無い。……と言うよりむしろ、不仲とまでは言わないけれど、という噂はいくらでも転がっている。
だが、それでも、ダリオの言を頼みにするほど、今のヴァネッサは追い詰められていた。
……だが、これは――
ざわざわと、ヴァネッサと同じテーブルを囲う娘たちの目が、強い期待と、それ以上に強い不安に揺れる。
公爵の言葉が真実であるなら、ダリオの花嫁に選ばれれば、まさに娘たちにとって夢のような未来が約束されたも同然だが、逆にジルベルトの花嫁に選ばれれば、まさに不運極まる未来が待っているという事。
その、ジルベルトの花嫁に、ダリオはヴァネッサを推すと言った。
あの男の“贄”として、島へ赴く未来など、冗談ではない。
ダリオが侯爵位を次ぐなら、ヴァネッサは全力でダリオを獲りに行った。
だが、ダリオ自身からジルベルトの花嫁に、と言われてしまった今、彼にヴァネッサを花嫁として選ぶ意思は無いと言われたも同然で。
ジルベルトもまた、ヴァネッサを選ぶ気はないと言った。
彼が、伯爵位を継ぐというなら、それは本来ヴァネッサにとっては朗報となるはずだったのに。
ヴァネッサは、どちらかの花嫁に選ばれなければ、もう貴族という立場に居られない。
この場に居る娘らより低い身分に堕ちるなど、ヴァネッサには耐えられない。
第一、あの様子なら、あの娘はこの発表の内容を先に知っていた可能性が高い。
だというのに、あの娘はあの男を平然と受け入れていた。
昔、騎士になりたいだなどとほざいていたが……
ヴァネッサには、到底信じられるものではなかった。
だって、贄の花嫁など、誰もがなりたくないのが当たり前なのだ。
だからきっと、こんなのは嘘に決まっている。
そうだ、だってまだ、この場限りの話と公爵も言っていたではないか。
公爵の言葉を鵜呑みにした娘たちは、早速ダリオに熱い視線を注ぎ、ジルベルトとは極力目を合わせないようにしている。
現時点で、ミリアのライバルは皆無と言っていいだろう。
今、ジルベルトがミリアを選んだとこの場で公言しても、反対する者は居ないだろう。
むしろ、どうぞと誰もが譲るだろう。
だが、民に正式発表するまで、これはまだこの場限りの話なのだ。
もしもこの場で花嫁だけが決まった後、しかし民に発表し、実際本決まりになる前にその話が立ち消えになれば。
元の話の通り、あの娘が侯爵の花嫁となり、ダリオに選ばれた者が贄の花嫁になる可能性は充分ありえる。
ダリオもまた、それを危惧しているのかもしれない。
だったら、今、ヴァネッサができることは、少しでも彼に好印象を与え、彼を振り向かせる以外にはない。
だから、ヴァネッサは改めてミリアに鋭い視線を向けた。
「……この戦い。絶対に、負けられない」
覚悟を新たに、ヴァネッサは優雅に組んだ手を、それと悟られないようぐっと握り締めた。




