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贄の花嫁  作者: 彩世 幻夜
狂想曲
70/111

制裁

 その瞬間。


 “ガオウ”とも“グオウ”とも聞こえる、低い唸り声――明らかに獣の、それも犬や馬やらのものではない、獰猛な獣の唸り声と分かる。

 それが、彼らの言葉の分からない人間たちでも、激しい怒りを含んだものであると明確に分かる咆哮が、ビリビリと窓ガラスを震わせ、下からは使用人たちのものと思しき金切り声が聞こえて。


 同時に、腰を落ち着けたソファが、そして足をつけた床が振動を伝え、ズシンと重たい物が地面に落ちた音が続けざまにドシドシと、どんどん大きく、こちらへと近づいてくる。

 部屋に伝わる揺れも大きくなり――


 不意に、窓から射す陽が陰り、影が部屋に青銀の色を落とした。


 「り、竜……!」

 普段、遠くから見るしかないそれ。


 「きゃ、きゃあ!」

 外からではなく、すぐ間近で聞こえた悲鳴。

 思わずといった様子で金切り声を上げたのは、ヴァネッサで――その後ろでは奥方も青ざめている。


 「――公爵家に生まれた者として、この国の民は等しく守るべき存在であると。軍人として、士官の立場に就く者として、身命を賭して守るべき存在であると。そう思ってこれまで生きてきたんだがな」


 かろうじて、悲鳴を喉の奥に押し込め、ポーカーフェイスを保とうと、頬の筋肉を引きつらせている医者と、もはや失神していないのが奇跡と言うべき有様の当主は、怒りに赤く燃えるジルベルトの瞳に、ビシリと全身の筋肉を凍らせ、固まった。


 「……こんなにも、この国に住む人間を、本当の意味で連中への“生贄”にしてやりたいと思ったのは、物心ついてから初めてのことだ」


 竜から感じる怒気と、ジルベルトから感じる殺気。

 ――事情も分からずこの場に呼ばれた医者については、ご愁傷様と言うしかないのだが。


 普段、社交の場での腹芸や“お上品な”足の引っ張り合いには慣れていても、本物の“修羅場”など縁のない伯爵家の人間は、恐れおののく他ないといった様子だ。


 「この状況を阻止できなかった自分自身ももちろん許せないが。この国の貴人として、誇り高く、確かな覚悟を持ったこの彼女、ミリアは我が花嫁になる者。そしてその可能性については既にこの国の者なら誰もが知る事だ」


 ジルベルトは、扉付近に固まる彼らの方へ、一歩、片足を踏み出す。


 「片や、この国において貴族の地位にある意味を忘れ、己の義務も満足に果たせぬ愚か者が。お前たちに、彼女を侮辱する資格などない」


 また、一歩。


 「……! そんな……! ですがその女は、貴族の嗜みなど何一つ知りませんの。そんな女を皇帝陛下のお膝元へなど連れて行けば、殿下の――ひいては公国の恥となります!」


 伯爵も、医者も、大の大人の男が揃って声も上げられない中、それでも声を挙げたヴァネッサに、ジルベルトは冷笑を向けた。


 「貴族の嗜み? ふん、そんなものは後からいくらでも身につけられる。俺自身、得意な方でもない。俺は、俺の花嫁に、そんなつまらないものは求めていない」


 主の怒りに呼応して、窓の外の竜が、その大きな口を開け、牙をむく。


 「――その理由は、後日正式に発表するつもりでいたのだが、急遽、早々に正式な場を設けていただくよう、先ほど公爵閣下に願い出た」


 ジルベルトは、ヴァネッサを見下ろし、彼女の目を正面から射抜く。


 「その発表を聞いてもなお、この“俺”――“ジルベルト”の花嫁になりたいと言うなら、いいだろう。お前を“俺”の花嫁候補として考えてやってもいい」

 決してそんな事はありえないと確信した様子で、彼は言った。

 「お前も今はまだ一応、花嫁候補の立場だからな。今回に限り、見なかったことにしてやってもいいが……、二度目は無い」


 ジロリと伯爵を睨み、彼はぴしゃりと命じた。


 「――そして、お前にはこの度の選定が全て終了し、我が公爵家の代替わりが完了するまでの期間、必要最低限の公務以外の活動の一切を禁じる」


 

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