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贄の花嫁  作者: 彩世 幻夜
狂想曲
69/111

上に立つ者とは

 階段を上った先は、階下以上に混乱していた。


 この、秘すべき地下室の階段が、屋敷の主たち“貴人”たちの生活空間に直接繋がっているはずもなく。

 出口は、使用人スペースの中でもうら寂しい場所にある――

 ……はず、なのに。


 いつになく多くの下働きの下男や娘達が落ち着きなく右往左往するのを、メイドがイライラと怒鳴りつけ、それを侍女が叱りつけ、さらにそれを執事が諌める。

 混乱したまま、上を下への大騒ぎ。


 ここまでひどい状況は、長くこの場で働いていたミリアも初めて見る。


 「――静まれ」


 たった一言。

 その状況を見てとったジルベルトは、ほんのひと間おいただけで、即座に命じた。

 怒鳴り声の飛び交う中で、決して大声を張り上げたわけでもないのに、よく通る声が、凛と響き、ハッと周囲の目が彼に向く。


 「誰か、部屋をひと部屋用意してくれるか。それと、伯爵夫人と令嬢を呼んで欲しい。あと、怪我の手当ての道具などあれば出してくれ」


 まるで自分こそがこの屋敷の主であるかのように、ごく自然に彼らに指示を飛ばす。

 果たして、この場にいるどれだけの者が、彼が誰だか分かっているのだろうか?

 無論、次期侯爵の公孫子の名前を知らない者は居ないはずだが、その姿を正確に知る者は少ない。

 ミリアだって、ついこの間までは知らなかったのだ。

 少なくとも下働きの子達に分かるのは、彼が高貴な血筋の吸血鬼だという事までだろう。


 しかし、普段は主や正式な客人の命令しか聞かないはずの執事たちが、まず真っ先に動いた。

 「かしこまりました。すぐに支度致します」

 ジルベルトに深々と頭を下げ、早速侍女やメイド、下働きたちに指示を出し始める。


 主は愚かでも、そこは伯爵家の使用人たち。

 一度動き始めれば早く、仕事は完璧である。


 「どうぞ、ご案内致します」


 全ての指示を出し終えた執事が、先に立って歩き出す。

 使用人スペースを出て、手入れの行き届いた廊下を歩き、絨毯の敷かれた階段を上がり、応接間の一つの扉が開かれた。


 裏から先回りしたメイドたちが緊急に支度した部屋だが、埃一つ見当たらない。

 ふかふかの絨毯が敷き詰められ、座り心地の良さそうな一人がけ応接用ソファが6台、真ん中に置かれた膝と同じか少し低いくらいの長方形テーブルを囲むように、長い辺には2台、短い辺には1台ずつ並んでいる。

 さらに、2台並んだソファとソファの間には、ちょうど肘掛より少し高いくらいの背のサイドテーブルが置かれている。

 壁には飾り物を飾った棚や、絵画、部屋の隅には観葉植物が置かれ――


 つまり、要は、この国の伯爵邸の応接間としてはむしろ狭い部類に入る、ごく普通の部屋だ。


 「ただいま、奥方様とお嬢様を及び致しますので、少々お待ちください」


 改めて頭を下げ、扉を閉める使用人を見送ったジルベルトは、先程から一言も喋らず、役立たずなまま、それでも彼の無言の威圧には逆らえず、諾々と従って来た彼に、下座のソファを指し、

 「――座れ」

 と命じ、ミリアを上座のソファへとそっと下ろした。


 直後、ノックの音がし、

 「お待たせいたしました、侍医を連れてまいりました」


 ヴァネッサたちより、医者の方が早く着いたらしい。

 「入れ」

 最早、どちらが屋敷の主か分からない。


 許しを得て入室してきた侍医は、まず上座に居るジルベルトに目を向け、軽く会釈をした後、ドアのすぐ前にあるソファに座りうなだれる、本来の主を見て、すぐさまその前に跪いた。

 「どうなされました、ご気分がすぐれないようですが……」

 「――違う。あなたの処置を必要としているのは彼ではなく、彼女のほうだ」

 と、早速彼に対し問診を始める彼に、ジルベルトが少し尖った声をあげた。


 「は……」

 “客人”に声をかけられ、再びジルベルトを見、その彼の視線を追った侍医の眉間にしわが寄った。

 「おや、彼女は……」

 彼は、ミリアを見た途端、焦った様子で深々と頭を下げた。

 「これは、申し訳ございません。使用人の娘が、お目汚しを……! 今すぐ下がらせます」


 ……彼は、あくまで“伯爵家の人間”を診る医者で、基本、伯爵当主と伯爵夫人、伯爵令嬢しか相手にしない。数少ない例外は他の貴族の家から“お預かり”している若い侍従や侍女だけ。

 メイドや、ましてや下働きの子は町の医者にかかりにいく事になっている。


 だから、ミリアはこれまで彼を呼びに走った事はあれど、彼の診察を受けたことがない。


 彼は、他にもいくつかの貴族の屋敷の侍医を勤めていて、つまり伯爵家に寝泊りしているわけでもないため、健康診断でもない限り、病人や怪我人が出ない限りは屋敷にやっては来ない。

 だから、彼はまだ知らないのだろう、ミリアが屋敷を出て、外で店を始めたなどとは。


 貴族の屋敷で侍医をしているとはいえ、彼自身は貴族ではない。

 だから、自らの生活を守るため、職を失わないために、極力屋敷の主の意に沿うように行動するのも仕方のない面がある。


 だから、この場合悪いのは彼とばかりは言えない。

 確実に悪いのはこの屋敷の者の態度の方なのだが、今の今で、そんな事情をジルベルトが知るわけもない。


 しかもそこへ、タイミング悪く、ヴァネッサたちを連れた執事が戻ってきた。


 もちろん、先日の夜会に出席していた彼女たちは、ジルベルトを知っている。

 彼女たちは部屋の様子を見るなり、慌てて使用人たちに命じた。


 その一言が、虎の尾を踏んづけたことに気づかないまま。


 「早く、この娘を下がらせなさい!」


 


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