初戦
声がかかった途端、ひやりと周囲の空気が冷えた気がしたのは、決して気のせいではないはずだ。
「――これは、ダリオ殿下。“お初にお目にかかります”」
あの一件は、無かった事となったはず。ならば、彼とは今が初対面だ。
ミリアはその綺麗な顔を睨み上げ、あえてそれを強調しつつ、形ばかりの挨拶を口にする。
「君、ミリアム・ローズ、だっけ? いや、ローズ家の令嬢とは度々夜会で顔を合わせた事があるんだけどね」
「――ええ、確かに私の義姉のヴァネッサは、ローズ家当主と共に殿下にご挨拶申し上げたことはありましたでしょうが、私が殿下のお顔を直に拝見致しましたのは、今日が初めてでございます」
「ふうん? ああ、確かにあちらにローズ伯がいらっしゃるようだが……。君は、何故ここに?」
彼は、慇懃な答えを返したミリアに、嫌らしく見えるほど清々しい笑みを浮かべながら、嫌がらせのような質問を繰り出してくる。
……他の招待客は皆、候補者の令嬢とそのエスコート役御一行様として、それぞれ同じテーブルに固まっている。
年の近い姉妹を娘に持つ家の中には、それぞれにエスコート役を立て、あえて違うテーブルについている者も居るようだが、こうしてたった一人、この戦いの場に放り出された令嬢はミリアの他に居ない。
「未婚の身故、便宜上、今もローズの名を名乗ってはおりますが、私は伯爵家の者ではございません」
それを、自らの口で肯定する言葉を吐いたなら、当然それに対する嘲笑を浴びせられ、ミリアはある意味この会場内の招待客の誰よりも目立つ事になるだろう。……もちろん、大変望ましくない意味で。
明らかにわざとそう仕向けたダリオは、やっぱりわざとらしい笑みを張り付けながら、首をかしげてみせた。
「おや、今日は公爵閣下が厳選したご令嬢にしか、招待状を送っていないはずだけど?」
「ええ、今は伯爵家と縁を切りましたが、私がローズ家の血を引く娘であるのは事実。故に、私個人宛に招待状を頂いて、この場に居ります」
その上で、不正入場の疑いをかけられ、ミリアは彼の意図がよく分からないまま、きっぱりとそれを否定する。
ジルベルトの関係者ということで、いい感情を持たれているとは思っていなかったが、しかしどうも彼もまたヴァネッサのように、ミリアをこの場から退場させたいのだろうか……?
ジルベルトは、少なくとも公爵閣下とダリオには、自分の考えを伝えてあると言っていたのだから、当然ミリアがジルベルトの花嫁として島に渡るつもりがあることももちろん知っているはず。
だが今、ミリアがここを出てしまえば、ミリアはその資格を失ってしまう。
そうなれば、伯爵位を継ごうというジルベルトについていきたい令嬢を見つけるのは無理だろう。
少なくとも、この場では。……カーラさんの言っていたように、居るところには居るのかもしれないけれど。
「へえ? それでも、まさかエスコート役も無しに社交界デビューしちゃうご令嬢なんて、初めて見たよ。いや、面白い人だねえ?」
ダリオが嘲笑を漏らせば、それに追随するように、周囲が嫌な笑い声で溢れかえる。
「いやいや、ダリオ様、私は何度か、伯爵家のパーティーでお顔を拝見したことがございますよ。何度か空のグラスを引き取って貰ったので覚えております」
強烈な侮蔑を含む声で、ダリオとミリアとの間に割って入る男性――実際、殆ど体当たりの体でミリアは脇へと押しのけられた――が、己の娘の肩を抱き、彼女をダリオの前に立たせた。
「ご無沙汰しております、ダリオ殿下。こちらは我が愛娘でございます」
ミリアを自らの体でダリオの視界から隠し、娘を前に押し出す。
その娘の顔は、普段は高嶺の花であるダリオを前に惚けつつも、彼に見初められる事への恐れの入り混じった固い笑みで引きつっていた。
先を越された他の者たちは、分かりやすくあからさまな軽蔑の眼差しをミリアに向ける。
伯爵家との縁を切った、伯爵の血を引く、元使用人――。
それだけ聞けば、当然誰もがミリアの素性に思い至れただろう。
いかに半分は同じ血を引いているとしても、彼らはそういう者を同じ人間とは決して認めない。
彼らから向けられる不愉快な視線と嘲笑は、ダリオがこのテーブルを去ってしばらくしても、一向におさまる気配を見せないどころか、どんどん噂が会場内を伝播し、席巻していく。
ここに至ってもまだ、ヴァネッサのように直接食ってかかってくる者は居ないけれど。
「……疲れたわ」




