食材集め
後ろの山脈へ続く街道に比べれば随分となだらかな、緩やかにS字カーブを描く道沿いに並ぶ商店街。
生魚や精肉、野菜や果物、穀物をそのまま売る店は見かけない。
しかし、それらを加工した物や、調理したものを客に提供する店、食品以外の生活雑貨や日用品を売るような――それも比較的安価な価格で販売する店が軒を連ねるその前を通り過ぎると、港近くの公邸から山脈を抜けて隣国へ続く街道に出る。
街道沿いは荷を運ぶ動物を貸す店や宿屋、交易品を扱う立派な店構えの店舗が軒を連ねている。
ミリアはその道を、公邸方面へ向けて少し歩き、途中で港へ降りる小道へ入った。
港までの道程の両脇に立ち並ぶのは、今朝港で上がったばかりの鮮魚や海藻を売る市場。
威勢の良い声を張り上げ、道行く者に自らの店の商品をアピールする店主たちと、彼らと果敢に値段交渉に励む客らとでここはいつも煩いくらいに賑わっている。
その道半ばほどで、ミリアは初めて足を止め、一人の店主に声をかけた。
「こんにちは、ルドルフ」
がっしりした体格に、四角い頭をのせた髭もじゃの熊のような男。
白いシャツに青いジーンズのツナギを着て、頭にキャップをかぶり、首から手ぬぐいを下げた店主は、ミリアにニカッと白い歯をのぞかせて笑った。
「お、ミリア嬢ちゃん。待ってたぜ」
四隅に木の支柱を立て、白い帆布で屋根を覆ったテント。木製の樽や箱に詰められているのは、まだびちびちと跳ね回る活きの良い鮮魚たち。
日が出ないうちに海に出るのが危険なこの港に、漁を終えた漁船が戻って来るのは昼近く。それから水揚げと、仕分けと、仲買人による競りとがあって、こうして市場にその成果が並ぶのは昼過ぎの今頃の時間帯になる。
背にくっきり縞模様の浮いた鯖、側面が虹色に光る美しい鱒、まるで鋭く研がれた刀身のような太刀魚。
肉厚な帆立貝にチクチク痛そうな刺に覆われたウニ、まだ赤黒い色を保つイカ、うねうねと吸盤付きの足をくねらせるタコ。
多種多様な商品の中から、彼は、側面の中央に一本、黄色の線が通った出世魚、その最上級たる鰤には小さい魚を一匹、尾びれの付け根を掴んで持ち上げ、ぽいっとミリアに放った。
「――注文は、鰯と鯵と鰹だったよな。それ、一番いいやつ取っといたぜ」
竹で編んだびくにそれぞれ仕分けしたそれを、リヤカーに積んでくれる。
「ちなみにそいつはオマケだ。誕生祝いと、開業祝いを兼ねてな。楽しみにしてるぜ、そのうち晩飯買いに行くから、頑張れよ」
笑いながら、バンバン遠慮なく背中を叩くルドルフは、彼女に向ける気安いものとは全く違う、鋭い眼差しをジルドに向けた。
「ンで、こっちの少年は何者だ? 見たところ、吸血鬼のお坊ちゃんのようだが、まさか彼氏じゃあるまい?」
吸血鬼が隣人として住まうのが当たり前の地で、彼らと親しく付き合う人間は珍しくない。けれど、それはあくまで隣人や友、仕事仲間といった関係で、そういう意味で親しく付き合う事はあまりない。
「違うわ。彼、私の店で働きたいんですって。もしかしたら、明日から彼に仕入れを頼む事になるかもしれないから」
「……ほう」
ルドルフは、丸太のような腕を組み、ジルドを見下ろした。
「そうかい、なら精々ミリア嬢ちゃんのために励めよ」
そして、ミリアにしたそれより強くその背を叩きながら、そっと耳元に低く囁きかける。
「嬢ちゃんのためにならねえ事をしてみろ、海に放り込んで魔物の餌にしてやる」
その、ドスの効いたセリフを聞いていなかったミリアは、柔らかく微笑んだ。
「そういう訳だから、これからよろしくね」
「おう、頑張れよ」
その声を背に、続いて内陸の、猫の額のように狭い農地へ続く道を行く。
海から山へ、完全に平坦な土地の少ないこの地方の畑は基本斜面に沿って作られる。
魚のうろこ模様にも似た、段々畑を縫うように続く道を登り、ミリアは一軒の農家の前で足を止めた。
「レオ!」
土で塗り固めた壁と、茅をふいた屋根。L字型の家は家畜小屋と一体となった形になっている。その庭には別に簡素な小屋が建てられ、扉が大きく開け放たれたその中で、今朝収穫したばかりの葉物野菜の泥を落とし、根を束ね、箱に詰める作業を黙々とこなす初老の男性が、その声に振り返る。
「ミリアお嬢様、お待ちしておりました」
立ち上がり、丁寧に頭を下げたその男は、上背はあるが随分と細身で、農夫にしては随分と洗練された礼をとった。
「晴れてのご成人、おめでとう御座います。こちらは、つまらん物ですが、祝いの品でございます。どうか、お納めいただけますか」
泥だらけになった作業用軍手を外し、水を張った桶で綺麗に泥を洗い流し、手ぬぐいで水気をきっちり拭き取った手で、男は恭しくそれを差し出した。
「ご所望の品は、あちらに用意してございます。ただ今お持ちいたしますので、ほんの少々お待ち頂けますか」
「待って、場所を教えてくれたら私が取ってくるわ。レオ、まだ腰の調子が良くないのでしょう?」
彼が祝いにとくれたのは、ハーブや野菜の種だ。
「ありがとう」とそれを受け取り、ミリアはそれをエプロンのポケットに入れる。
「しかし……」
渋る様子をみせる彼に、ミリアはさっさと歩き出す。
「私の店は惣菜屋。レオの作る野菜がなくて一番に困るのは私なの。だから、お願いだから無理はしないで。野菜は、いつもの所でいいんでしょ?」
「は……、はい。と、ところでお嬢様、こちらの殿方は……?」
「明日から私の店で働く事になるかも知れない人よ。今は考慮期間中なの。本決まりになったら、彼が 私の代わりに野菜を受け取りに来る事になると思うわ」
ルドルフのところでしたのと同じ説明を、ミリアは繰り返す。
「……そう、ですか。お嬢様がお一人でお店をなさると伺い、心配で心配で。人手が出来たなら、幸いでございます」
ため息をつきつつ、それまで好々爺然としていた眼差しを一転、鋭く光らせジルドを睨んだ。
「お嬢様を、どうかよろしくお願い致します。くれぐれも、間違いの無き様お願い致しますよ」
丁寧に頭を下げて見せながらも、その声音に混じる剣呑な雰囲気。
「もう、心配しすぎよ」
しかし、ミリアはそれに気付かなかったのか、朗らかに微笑む。
「何の。何か御座いましたら、遠慮なくこの私にお申し付けください。いつでも駆けつけますぞ」
そう言って手を振るレオを背に、ミリアは再び歩き出す。農道をさらに登って、さらに山の方の高台へ――。
延々と続く農地は、しかしやがてその雰囲気を変えていく。
野菜や果実、穀物の代わりに、青々と生い茂る草原を木の柵が囲う。その中でのんびり草を食む動物たち。馬、牛、羊、豚、ヤギ、ロバ、ヤク――。
またあるところでは小屋を並べ、中に鳥を飼っている。鶏、アヒル、鴨、七面鳥、鳩、鷹――。
労働用、食肉用、乳や卵を採るためのもの、伝書用……用途様々な家畜が囲われている。
「よう、ミリア。待ってたぜ」
その内の一つ、牛を囲った柵の中から、男が手を振って声をあげた。
「頼まれてたもんはあっちの小屋にまとめてあるから、持っていけ」
そう言って高台にある小屋を指差すのは、まだ若い――ミリアとそう歳の変わらなそうな青年だ。栗色の髪に人懐っこい笑みを浮かべた彼は、柵の中で牛に懐かれるのを振り切って、ひょいっと胸まである高さの柵を身軽に飛び越え、ミリアの前に立った。
「ん、そいつは? 見ない顔だな?」
ミリアは、ルドルフやレオのところでしたのと同じ説明を、もう一度繰り返す。
「ふぅん?」
しかし、疑うような眼差しを、彼はジルドに向けた。
「ま、一応自己紹介しとくとだな。俺はテオ。この農場の長男で、ミリアとはまあ、幼馴染みみたいなモンだ」
柵越しにも鼻面を押し付けてくる牛たちの頭をわしわしと撫でてやりながら笑う。
「仕事も慣れないうちは色々大変だろう。何かあったらいつでも言えよ。飯と引換えなら大抵の事は引き受けてやるからさ」
獣肉と卵、ミルクを詰め込めば、リヤカーは食材で一杯になる。
「ありがとう、でも大丈夫よ。厨房仕事はこれでも十年以上続けてるんだもの。テオたちが食材を安く譲ってくれるから、安値でも美味しい惣菜を提供できる。もう、十分助けられてるわ」
ミリアはリヤカーをぐるりと反転させ、来た道をゆっくり戻り始める。
「それじゃ、明日もよろしくね」
テオと別れ、坂道を下って、街道へ出る。ミリアの新しい店のあるあの丘へと続く道を、重たいリヤカーを 引いて登る――その、道すがら。
「……それで? 俺の進退は決まったのか」
ミリアと、ルドルフやレオ、テオたちとの会話の間殆ど口を開かなかったジルドが久しぶりに口をきいた。
「そうね。もしもこの仕入れの仕事をあなたが引き受けてくれるなら、私はその間、店に出す惣菜の仕込みに専念できる。仕込みの時間が増えれば、その分美味しいものを提供できる。そうすれば、きっとお客さんも多く来てくれる――。……そう考えたら、血以外のお給金は要らないなんて奇特な従業員はぜひ捕まえておきたいところね」
どうせ、血税は払わねばならないのだ。……正直、直接牙を立てられることに対しての嫌悪を払拭する事は出来そうにないが。そこは妥協しておくべき……なのだろう。
基本、合理主義であるミリアはそう結論づけた。
「決めた。明日からあなたをうちで雇うわ」