専属契約のススメ
腰まで伸ばした栗色の長い髪を風にたなびかせ、頭部にバンダナを三角巾のように結ぶ。
薄い水色のワンピースに白のエプロンドレス。
貴族の屋敷で働く使用人の娘の様な衣装を身につけたミリアはジルドと名乗ったその男を睨む。
「確かに昨日まではそうだったけど、今日からは私、ミリアム・ローズがここの家主よ。ここでお店を開くの。もう、空家じゃないわ」
「……って事は、お前今年で十八か」
この国における成人年齢は、十八。その歳になったら誰もが職に就き、最低でも国に納めるべき税金分は稼がなくてはならない。
よって、自ら店を持ち商売をする事を許されるのもまた、十八歳からだ。
「そうよ、今日が私の誕生日。この日のために色々準備してきたの。明日からここで惣菜屋を始めるためにね」
「……と、すると。お前の使い魔はその鯉もどき一匹か」
ジルドはミリアが抱える金盥に目を落とす。
「ミリアム・ローズ、ね。ローズ家って確か伯爵家じゃなかったっけ?」
「……そうだけど。現当主の後妻だった私の母は身分のない商家の娘。その母も早くに亡くしたから。生まれは伯爵令嬢でも、社交デビューどころか、実際は使用人以下の扱い。これ以上苛められながらこき使われてたまるかって、家を出てきたところ」
「ふぅん、そりゃぁ勇ましい事で」
ぱんぱんと体についた葉っぱを払い落としながら、彼はニヤリと微笑んだ。
「――ところで、物は相談だが。お前、俺を雇わないか?」
「……は?」
突然の申し出に、驚く以前に呆れる。
「お前、誰とも専属契約交わしてないだろ? ――だから、俺の専属になれ」
しかし彼は当然のような顔をして言った。
「心配しなくとも、血税分以上の給料なんか期待しねぇし。せっかく空家だと思ったからこれまでこっそり二階で寝泊りしてたけど、このままだと行くところ無くなりそうだし」
「ちょっと待った。あんた、仕事は? これまでどうやって食べてたのよ?」
「うん? ああ、金持ち連中が使い魔探しに行く、その護衛の仕事をたまに、な。これでも俺吸血鬼だし」
人ではありえない美貌を除けば、おおよそ人と変わらない姿をしている彼ら吸血鬼は、しかしその身体能力において人より遥かに優れている。
その上自力で魔法も使える。
使い魔の力を借りねば魔法を使えない人間に比べ、その戦闘能力は格段に高い。
――だからこそ、帝国はこの国を吸血鬼が治め、吸血鬼が人と共存する事を認めている。
そして、吸血鬼と共存する国故に、人間には血税を払う義務が課せられている。
――血税。それは普通ならば汗水垂らして働いて、苦労の末納められた税金の事を言う。
しかしこの国においては、文字通り、血液にて支払う税の事をそう呼ぶ。
これもまた、成人を迎えた人間に課せられる義務だ。
その支払い方法は二つ。
一つは、月に一度公に設けられる献血場にて年に三回血液を提供する方法。そうして集められた血液は、庶民階級の吸血鬼に安価で提供される。
もう一つは、吸血鬼と直接契約を交わし、専属的に血液を提供する方法。
ジルドは、その専属契約をミリアに迫っているのだ。
「力仕事に用心棒、雑用。馬も扱える。金勘定や帳簿付けも、そこそこには出来る。悪い話じゃ無いと思うがな」
ちなみに、どちらがより一般的か、といえば前者のほうが圧倒的に多い。
前者の場合は血管に針を刺して血を抜くのに対し、後者は直接の吸血を求められる場合が多々ある。
――吸血鬼に、牙を立てられる。
吸血鬼が隣人として暮らす生活が当たり前で、彼らが共に生活圏に居ることに抵抗のないこの国の人間も、彼らに咬みつかれる事まではさすがに簡単には受け入れられない。
実際、許可なく人に咬みつけば、その吸血鬼には厳罰が課せられる。
だが、ジルドのその言葉に、ミリアは目を眇め、じっくりと上から下まで彼の様子を検分する。
「……おい、ミリア。まさか本気でこのガキと契約を交わすつもりじゃないよな?」
「たかだか鯉もどきの分際で俺をガキ呼ばわりとは、随分態度のでかい使い魔だな」
「いくら吸血鬼が長命だって言ったって、ガキの時分の成長速度は人と変わらねえ。その見目ならまだ十代後半か、良くて二十前半だろ? 千年近く生きてる俺からすれば十分クソガキの域だ」
「確かに歳は十八だが。歳でしか人物をはかれないとは随分哀れな目と頭だな」
「何をぅ!?」
「ウィスカー、やめなさい。……ジルド、私はこれから明日の仕入先に挨拶回りに行くの。もし、本当に働く気があるなら、一緒に来て。一通り挨拶を済ませて、それから決めるわ。貴方を雇うかどうか」
つまらない言い争いを始めようとする両者に、ミリアはぴしゃりと言った。
「どうするの? のんびりしている時間はないわ。日が暮れる前――できれば雨が降る前に終わらせちゃいたいから」