想いの名前
トントンと、食材を刻む包丁が、まな板に触れる度立てるリズミカルな音。
鍋の中身がグツグツと煮える音。
蒸し物を入れた鍋の蓋から上がる蒸気のシュンシュンいう音。
けれど、それ以外はしんと静まり返った厨房に、ミリアは一人で立ち、せっせと開店準備を進めていく。
……手際は、悪くないはずだ。いつもの2倍増しで仕事をこなしているはずなのに、いつもより格段に仕事の進みが遅い。
これでも、いつもよりメニューの品数を減らしているのに。
たった一人の手が無くなるだけで、こうも違うものなのか……。
分かっていたつもりで、分かっていなかったその静けさに、ミリアはため息をついた。
昨夜――。
カーラに対してタンカを切ったミリアに、テオは苦笑いをしながら席を立った。
「……まぁ、何となく分かってはいたけど。――俺も、もう少し早く動いていれば良かったんだよな、きっと。あいつが出てきて、そんな話が出る前に告っていれば……」
けれど、そんな自嘲を途中で切り上げ、彼は肩を竦めながらミリアに背を向けた。
「いや、それこそ今更だな。何だかんだと理由をつけて先延ばしにしていた、俺の自業自得だし。――気にするなよ。何となく分かっていて、でも、言わずにそれっきりになるのも嫌で、だから言ったんだ。……明日、また来る。だから、いつものやつ、作っておいてくれよ。あれを食べられるのも、あともう少しだけなんだろうし」
彼は、一度もこちらを振り返ることなく、店を後にした。
カーラと2人きりで取り残されたミリアは、気まずい空気の中、後片付けを済ませ、一人で2階へ上がった。
彼女は、断固として1階に留まると態度で示していたから、昨夜のように声を掛けることもできずに、そのままベッドに入った。
今、彼女はまだようやく朝日が東の空にその気配をのぞかせたばかりの薄暗い通りに一人で立っている。
だから、この家の中に、ミリアは一人――いや、一応ウィスカーは居るけれど――ジルベルトの居ない2度目の朝を迎えていた。
未だ、彼が帰ってくる様子も、何の連絡も無い。
昨日のあれは、ほとんど虚勢のタンカだ。
一人の静かな時間は、ジリジリとミリアの不安と恐怖で一杯の心を真綿で締めるように、息苦しさを増幅させていく。
――ジルベルトに、会いたい。
ミリアは、そう切実に思った。
こんなにも真剣に、誰かに会いたいなどと思った事は、これまで一度もなかったのに。
他の娘に、彼の花嫁を譲りたくない。そう思うのは、どう考えても昔からの自分の夢だからというだけでは足りない。
彼が、ブリアーニ伯爵として島に赴くなら、彼の花嫁として共に島へ行かない限り、もう二度と会うことができなくなる。
何よりも、それを嫌だと思う。
ミリアは、ようやく自分のその気持ちの正体を自覚する。
「……私、ジルベルトのことが、好きなんだ――」
そう、この想いの名は――
「これが……恋、なの……?」




