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贄の花嫁  作者: 彩世 幻夜
前奏曲
25/111

ダリオの目論見

 いかつい兵士を筆頭に、20人近い人数がいるというのに、倉庫の中は恐ろしい程静かだった。

 くしゃみ一つ、咳払い一つすら許されないような、冷え切った空気が満ちる中に、波の音だけが虚しく響いていた所に聞こえた音。


 「――俺だ、開けろ。……約束通り一人で来たんだ、まずは彼女を解放しろ」

 ゆっくりとしたノックの後に続いた声。


 ミリアのすぐ後ろについた男が、兵士に身振りで指示を出し、扉を開けさせる。

 すぐに、ガラスを引っ掻いたような不快な音が響いたと同時に、ひたりと冷たいものがミリアの喉元に当てられた。


 「……一人で来るようにと、確かに書きましたが――まさか本当に馬鹿正直にたった一人でのこのこやって来るとは。兄君は、よほどご自分に自信がおありのようだ」

 くつくつと、ミリアの背後からほの暗い声が響く。その声音は、皮肉なほどに彼と良く似ていた。

 「確かに、軍には動くなと命じ、ここら一帯の警備に穴を開けるよう指示はしましたが……、私ごときではあなたの部下達に直接命令を下すことはできません。あなたなら、小隊一つ動かすくらい訳もないはずなのに……」 


 高位の貴族特有の美しい金髪。吸血鬼の証とも言える赤い瞳。

 一つ一つのパーツを切り取ってみれば、それら全てが酷似している事が分かるのに、ぱっと見での印象はまるで違う。


 「――ダリオ……。お前が噛んでいるのは分かっていたが、まさかお前自身が出張ってきているとはな。……だが、ダリオ。お前、今自分が何をしているか分かっているのか?」

 視線や声が物理的な凶器となりうるなら、その声ひとつ、視線ひとつで肌を切り裂き、心臓を貫いているだろう程に冷たく鋭利なそれを、お互いに向け合う。

 「お前が刃を向けている相手が誰なのか、分かってやっているのか?」

 「――ええ、勿論。何故かここ数日兄君が一つ屋根の下に暮らす娘……、兄君に対して質となりうる娘であり、今この瞬間は私の大事な駒でもある」

 しかし、その答えを聞いたジルベルトの赤い瞳に、紛れもない殺気が宿った。

 「ああ、そうだ。彼女は俺が“花嫁”に所望した娘だ。だからお前の読み通り、俺に対しての有効な人質であるのは確かだろう。――だが、それ以前に、彼女は人間で、我が国の民だ。吸血鬼であり、公爵家の血に連なる俺たちにとって、それは守るべき存在だろう? ……だというのに、それに刃を向ける行為がどれだけ愚かで罪深いことかは考えなかったのか?」

 

 彼自身が抜き身の剣そのものであるかのような、鋭い殺気が込められた冷たい声が、凍てつく空気を裂く。

 コツン、と靴音を響かせ、彼が一歩こちらへ踏み出すのに合わせて、ダリオがそれまでより強く、それを押し付け、その刃に触れた喉元の皮膚が僅かに擦れて傷つき、一筋の血が肌を伝う。

 傷自体はほんの小さな、些細なもので、それこそ舐めておけば2,3日で治る程度のそれ。

 しかし、僅かに滲み、ほんの数滴だけ滴った程度の赤い雫は、凍り固まった空気に、一瞬ながらも確かに雑多な亀裂をいくつも作って緊張感を軋ませた。


 なにしろ、この場に居合わせているのはミリアを除けば全員吸血鬼――。

 いくら普段は法で規制し、彼ら自身も良識と理性で抑えているとはいえ、本能に基づく生理的欲求を完全に封じ込めるのは不可能だ。

 だから、この国に住む人間たちも、僅かでも出血を伴う怪我をしたなら、即座にきちんと処置をする事で、彼らの負担を減らし、いらぬ危険を増やさぬように気を配る。

 だから、彼らがこうして直に滴り落ちる赤い雫をその目に映す機会は、専属契約の相手のいる者でない限りほぼ皆無に等しいだろう。

 不意にもたらされた誘惑に、動揺するなというのも、酷な話である。

 ――そうは、分かっていても。

 捕食者から向けられる欲に満ちた眼差しは、ミリアに恐怖を覚えさせるには十分なものだった。


 「ダリオ……、貴様……」

 不用意に動くことで、ダリオはもちろん、周りを囲う傭兵たちを刺激するのは得策ではないと判断したのか、ジルベルトは足を止め、ぎりぎりと牙を噛み締めて唸った。

 「守るべき民……、ね。相変わらず兄君の建前は清廉でいらっしゃる。しかし、清廉なだけでは動かせないのがまつりごとというもの。……兄君に、侯爵位――ひいては公爵位を預けられない。だから。この少女を助けたいのなら、それを――その杯を受け取り、飲み干して見せてください」

 兄の凄まじい殺気に、声を引きつらせながらも、ダリオは傭兵の一人に指示してそれを彼の前に突きつけた。

 「……毒、か。確かに正式に爵位を継ぐ前に長男が死亡した場合は次男が次期侯爵候補に繰り上がると定められている。――しかし、お前も聞いていたはずだぞ、伯爵位の代替わりはもうすぐそこまで差し迫っていると。まだ成人すらしていない――ようやく最近物心がついたばかりの幼い弟を島に渡らせるつもりなのか、お前は?」

 「いいえ、さすがにそれは。戦う力の未熟な者を送り込んでも意味はない。あちらの魔物が島を越えて大陸へ侵略してくるのは、人間の血を糧として生きる我らにも大変不都合な事ですから。ですからそれは、あなたの命を脅かす類の毒ではありません」

 だがしかし、やはり毒である事には変わりない。

 「伯爵の役目が、島を守り魔物と戦うことであるように、侯爵の役目は次代を作ること。……すなわち、子をなす事の出来ない者は侯爵として認められない。その場合もまた、次男が侯爵位を継ぐ事と決まっている」


 ダリオは、引きつった笑い声を上げながら言った。


 「つまり、それはそういう薬です。生物としての命ではなく、男としての命を奪う。――あなたの、次期侯爵位は、それで失われる。さあ、今すぐ、ここに居る皆の目の前でそれを飲み干してください」

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