ミリアの信条
「採算度外視の大盤振る舞い。……と、その割には随分と稼いだじゃないか。滑り出しは上々だな」
儲けは無いに等しい。――が、少なくとも赤字にはならなかった。
初日から黒字が付くとは、確かにそれだけで上の出来と言っていいだろう。
「……そうね。貴方を雇ったのはやっぱり正解だったわ。貴方の顔に釣られた奥様方が居なかったら、こうはいかなかったはずだもの」
ミリアは、売上を数えながら、ほくほくと上機嫌で言った。
「――なら、俺は当然、ボーナスを貰えるんだよな?」
「……ええ、もちろんよ」
ミリアは、ほんの少しだけ声を上ずらせながらも、背後でばしゃばしゃと暴れるウィスカーを綺麗にスルーして頷いた。
売上を簡素な金庫にしまい、夕飯の支度を始めながら、ミリアはウィスカーにも声をかける。
「ウィスカーは……。正直成果がはっきりしないんだけど――ま、いいわ。約束通り、あんたにもボーナスをあげるから、暴れて水を撥ねらかすのやめてちょうだい」
「馬鹿、そうじゃねえ! 俺は褒美を要求してるんじゃねえ、お前のその短慮を憂いて忠告してやってるんだ!」
「まあ、失礼ね。どこが短慮よ。私とウィスカーだけだったら、絶対こうはいかなかったのよ。何しろ、仕入れに出ている間は店を閉めなきゃいけなかったし、それ以外だってこんなにスムーズに店を回すことはできなかったはずよ」
そして、彼がいる事で得られる集客効果もまた無視のできない要素である。
「優秀な人材を留め置きたかったら、相応の待遇をするのが当然でしょ?」
売れ残りのパンと、コンソメスープに浸したロールキャベツ。ポテトサラダとイワシのハーブ焼きを食卓に並べながら、ミリアは敢然と言い切ってみせた。
「彼は、単なる隣人ではなく、私の大事な仕事仲間よ。ウィスカー、それ以上言うことは、私が許さないから」
「……随分ときっぱり言い切るな。確かにそいつの言い様は失礼だが、けど俺が言うのも何だがな、まあ、言ってることは割と正論だと思うが?」
パンをかじりながら、ジルドは片眉を上げた。
「ま、俺が得体の知れない野郎だってのは残念だが否定しようがない。にも関わらず、お前に専属契約を迫った。血税を払うのは当然って考えが浸透している国とはいえ、専属契約には躊躇う人間は少なくない。まだ顔を合わせて一日とちょっとで、そこまで言い切っていいのか?」
ミリアを試すように、意地の悪い笑みを浮かべるジルドに、ミリアは自信たっぷりに微笑んでみせた。
「私はこれまで、伯爵邸で、色んな人を見てきたわ。屋敷の主である伯爵や、その家族。彼らと付き合いのある貴族や、その関係者、役人――。屋敷の使用人に、出入りの業者や商人。屋敷の外でも、懇意にしている店や農家の人たち……。だから、人を見る目に関しては、料理の腕の次に自信があるの」
ジルドと向かい合って座り、彼女は彼の目をまっすぐ見据えた。
「私は、私の目を信じる」
自分のパンを手に取り、ちぎる。
「……それでもしも私の読み違いで、あなたに裏切られたとしても、その時はその時でまた考えるわ。私は、自分の力で生きていかなきゃいけないの。何かと助けてくれる人たちは居るけれど、全面的に頼れるようなアテは私にはない。自分の力を信じられなければ、私はこの先やっていけなくなる」
そして、ウィスカーに視線を流して彼に同意を求めた。
「そうでしょう、ウィスカー?」
問われたウィスカーは、まだ不満そうに胸鰭で水面を叩いたが、その勢いは随分と弱い。
「私には、あの屋敷で使用人を続けるという選択肢もあった。でも、それを蹴ってこうして出てきた以上、もうあの屋敷には戻れない。……母に加えて私という駒まで失った、母の実家の商家には、尚更行けない。私はここで、どうしても成功しなくちゃならないの」
その為の投資を惜しんでいられる余裕は無いのだ。
「……ああ、分かってるさ。でも、だからこそ一度のヘマが命取りになる可能性だってあるんだぞ、そこは分かってるか?」
「だからそこは、自分を信じるしかないのよ。絶対確実な未来なんて、存在しないんだもの」
「ふうん、年頃の娘にしちゃ珍しいが、まあ、俺は嫌いじゃないね、そういう考え方」
彼は、牙を覗かせながら笑みを浮かべた。
「それなら、遠慮なくいただこうか」
食事を終え、食器を片付けるミリアを手伝いながら、ジルドが彼女に近づいた。
後ろで盛大に水が撥ね散らかされる音に気づかないふりをしながら、ミリアを後ろから抱きしめる。
「――ちょっ、血をあげるとは言ったけど、これは……!」
慌てて抗議の声を上げるも、もう遅かった。
彼の吐息が首筋にかかり、こめかみから頬のあたりに彼の髪が触れる。
肌に、柔らかな物が当たり、そして――
「――ッ」
ミリアは、思わず悲鳴を飲み込んだ。