誤算
――それは、想定外の事態だった。
本来なら毒ではない物を、偶然を装い毒とする。
……カーラも知らなかったそれを、そっと囁いたのはダリオだ。
実際、ここまで上手くいくとは思わなかった。
ジルベルトは、カーラ達家族も、屋敷の使用人も疑っていない。
しかし、その毒の知識を持ち、さらに治療法まで知る者が居て、しかもそれが自分の家のお抱え医師だなんて……
その方法というのも問題だ。
本当なら、後は彼女の息が絶えるのを今か今かと待ちわびる、ただそれだけで良かったはずだったのに。
医師の提案のせいで、ミリアの方が助かり、肝心のジルベルトを失うという、最悪の結果に繋がる可能性が出てきてしまった。
それでは、本末転倒も良いところ。
……彼を失う選択など、有り得ない。
「この度の失態、彼女には大変申し訳ない事をしました。当家で責任を持って対処させていただきます。勿論、叱責も罰も甘んじてお受けします。ですが……!」
強い怒りの視線を受けて尚、カーラは踏ん張った。
「もしもこれで貴方が失われれば……、例え命は無事でも力に陰りが見えれば、貴方を慕う者は皆、この娘を憎むでしょう。そう、それこそ殺してしまいたいほどに!」
あまりに必死で、本音のにじみ出た叫びを彼にぶつけ、牙を剥く。
「どうしても、と言うのなら……いっそ、私が……!」
カーラがここをどいたら、きっとジルベルトは彼女を助けようと、彼女の首筋に牙を立てるだろう。
カーラが仕組んだ毒を除くため、自らその毒を取り込んで――
それで彼にもしもの事があれば……
そう、そんな事になるくらいなら……
カーラは牙を剥いたままジルベルトに背を向け、横たわるミリアの首元へと屈み、顔を近づけ――
突如、その頬に熱さと勘違いしそうな衝撃を伴う痛みが走り、彼女の身体は脇へと突き飛ばされる。
……軍で上官と部下の間柄、軍規に沿った罰として、彼の鉄拳制裁を喰らった事はあったが、これはその時の比ではない。
仕置としてのそれではない、あまりに咄嗟の攻撃。
その衝撃からカーラが立ち直る、その前に。
もう邪魔は許さないとばかりに、ジルベルトはミリアの首筋に牙を立てた。
ぴくりと、彼女の身体が震える。
カーラの隙を付き、慌ただしく牙を立てたはずが、躊躇うことなく埋められた牙によって穿たれた滲む血を啜る様子は、ごく自然で――
痺れて痛みすら感じない頬に、片方の視界が狭められていく中、カーラはそれでも立ち上がろうと試みる。
「――何で、あんな事。止めなくちゃ、いけないのに。どうして……!」
恨みがましく呟けば、幼い頃から聴き慣れた、声が答える。
「私は、医者ですから。助かる可能性があるのを黙っていて、みすみす患者を亡くすなんて有り得ません」
その声が、不意に耳元にまで近づき――
「……カーラお嬢様。残念です」