釣り餌
「――閣下」
パラパラと、紙をさばく軽い音が静かに響く部屋に、緊張感を孕んだ声が、部屋の主に向けられる。
「……兄弟ってのは面倒くさいものだな」
書類に目を通しながら、彼は自嘲の苦笑いを浮かべて呟いた。
「こうして見ると、俺と奴は確かに兄弟だったんだと思わざるを得ないな。全くもって不愉快ではあるが」
「……閣下!」
遠慮がちに、しかし確かに咎めを含んだ声に、彼――ジルベルトは肩を竦めた。
「俺は、武の才の無いあいつが、まともな訓練一つ受けずに、毎晩夜会で貴族の令嬢たちとへらへらしているばかりなのが気に入らなかった」
全ての書類に目を通した彼は、ポイとそれを机の上に投げ出し、彼らしくなく椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰いだ。
「だが、俺も、そういう貴族の付き合いを嫌い、これまでずっと避け続けてきた。……今のこの状況は全て、俺の怠慢が招いた、自業自得に過ぎない。……俺に関しては、な」
軍部の中、自分に向けられる感情がどんなものか。
少なくとも日々腹芸に勤しむ文官たちに比べれば、遥かに読みやすい部下たちだが――
「俺は軍を統括し、指揮する立場にあった。部下の事ならきちんと把握できているつもりでいた。顔、名前はもちろん、能力や性格、嗜好……。それら全てを知り、分かったつもりでいたが……実際は分かっていなかったんだな」
彼らが個人の考えのみで動くなら、もう少し違った数字がこの書類に示されていたはずだったのだが、その当ては大きく外れた。
「この結果は、貴族出身の者も多いこの軍の、彼らの背後に居る者たちの思惑や、そこに繋がる彼らの事を、俺が理解できていなかった何よりの証拠だな」
姿勢を戻し、新たな書類の束に目を落としながら、ジルベルトは苦笑を深める。
「――こちらの姉妹も。……比べるのは癪だが、ある意味似てはいるのだろう」
ちらりと、執務室と仮眠室を隔てる扉に目をやり、少しだけ表情を緩めたものの、書類に目を戻せばあっという間に元通り眉間のしわも復活する。
「……諦め悪い小娘の悪行は、テオらの奮闘で抑え込めた。俺よりよほど頼もしい」
悔しげに、ジルベルトはため息を吐いた。
「そんなことはありません! ただでさえ、簡単な案件ではないのに。希少な休憩時間も休息以外にお使いになって! 閣下はお疲れなのです」
彼女――カーラは、つい必要以上にキツく声を張ってから、しまったと顔色を変えつつ、方で息をする。
目を泳がせる彼女に、ジルベルトは苦笑を解き、真顔のまま目を伏せた。
「ああ、そうかもしれないな。お前も部下の一人で、貴族の娘だったな。……ついいつもの気安さから愚痴を漏らしてしまった。すまない、今のは全て俺の独り言だと思って忘れてくれ」
「……忘れません」
カーラは、動揺を必死に抑え込みながら、一言呟き。
「――閣下。実は後日、その私の実家で、夜会が開かれるのです」
顔を上げ、一転、はきはきとそれを彼に告げた。
「ご存知かもしれませんが、私の家は貴族とは名ばかりで、夜会というのも同様に、招待客も両親と懇意にしている者たちのみの――例えばダリオ閣下のような、華やかな場に慣れた方には残念なくらいの、小規模なものです」
彼女は、柔らかく微笑み、彼に一通の封書を差し出した。
「いかがですか? ミリア様とご一緒に、我が家の夜会に足を運んでみては?」