予兆
「――殿下」
「……うむ。して、どうなのだ? その後の様子は」
「は。どうやら状況はあまり芳しくないそうで……」
それなりに広いはずの部屋にどんと鎮座した巨大な執務机の向こうに立つ伝令役の言葉に、黒い革張りの、座り心地だけはやたらと良さそうな大きな椅子に腰掛けた男は痛みを堪えるように目を伏せた。
「代替わりの時は近い、か」
重々しい溜息と共に小さく呟きを漏らし、男は改めて伝令役に告げた。
「侯に、使いを出せ。それと――」
その言葉を遮るように、ガタガタと強い風が窓ガラスを叩き、男はふと外へと視線を逸らした。
「……良い、天気だな」
執務机の後ろ、男の背後の壁一面に取り付けられた格子の窓の外に見えるのは、海と空、それらが交わる水平線。
少し風は強いが、波は凪ぎ、やわらかく暖かな日差しを受けて、水面がキラキラ輝く様はとても美しい。
椅子ごと背後の景色を振り返り、それを寂しげに眺めた後で、彼はもう一度口を開いた。
「――それと、あれらを呼んでくれるか。そろそろあれらにも覚悟を決めて貰わねばならぬ時期が来たようだ」
「――御意」
伝令役は、扉の前で一礼し、主の命を遂行するため部屋を出て行く。
パタン、と扉が閉まれば、波の音だけが響く静けさが部屋に戻る。
両壁一面の本棚には、分厚く厳しい装丁の本が一分の隙もなくぎっしり並び、広いはずの部屋を狭く見せる大きな執務机の天板が見えない程に積み上げられた書類の山。
残りのスペースに申し訳程度に押し込められた応接用のソファとテーブルも、今は空。
男は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、窓を開け放った。
潮の香りのする風を浴びながら、彼は眩しい景色に目を眇め、じっと、空と海の交わる水平線の彼方を睨む。
ほんの、一点。よくよく気をつけて見なければ見落としてしまいそうな、ゴマ粒のように小さな青く透けた島影。
「カルロ……」
城の鐘楼が追悼の鐘の音を響かせたのは、それから数ヵ月後の事だった。