第9話 【米札と魔法】
祭月七日(8月7日) 光日
久しぶりに旗田さんに会った。
旗田さんは僕の顔を見るなり、肩を震わせて何かを堪えるように口元を手で抑えた。吐き気でも催したのかと心配して駆け寄ると、「もう我慢できん!」と、顔を真っ赤にしてヒーヒー言いながら笑い転げた。僕は何がどうなったのやらまるで分からず、隣で佇むことしか出来なかった。
一頻り笑い転げて、落ち着きを取り戻した旗田さんは「いや、悪かった。」と僕の肩をポンポン叩き、施設の人達から僕の話を色々と聞かされて随分楽しかったのだと告げた。僕の顔を見ていたら、つい思い出して笑いがこみ上げてしまったらしい。
これまでの僕の振る舞いや言動で、人が聞いて笑い転げるほどのことなんてあっただろうか。旗田さんは何か別の面白い話を僕のことだと勘違いしているのではないだろうか。
それはそうと、旗田さんから書院を利用する為の許可証を渡された。矢咲さんからきちんと話が伝わっていたようだ。ありがたい。
旗田さん曰く、書院に収められている書籍類の中には古文書や機密文書など重要なものが多数あるので、一般人の書院利用は難しいとのことだった。今回の件では旗田さんの"ちょっとした腐れ縁"とやらに手を回して特別に許可が下りたらしい。僕の我儘の為に上に掛け合ってくれていたとは。旗田さんにも何かしらの形で恩を返したい。
この許可証を持参すれば、書院への出入りも書籍の閲覧も自由にできるが、くれぐれも書籍類は大切に扱い、書司の指示に従うようにとのことだった。当然のことだ。
更に旗田さんは僕が米札を貰えるように動いてくれていたらしい。
竜災害で被災したこと、不運にも記憶を無くしたこと、被災地の戸籍情報が全て焼失してしまっていることなどを訴えて、僕にも米札が発行される運びになったという。来月分から有効だそうだ。
米を貰ったら買い物ができる! 早速、取らぬ狸の皮算用を始めると、この施設を利用する人は毎月貰った米を七割半(ニ斗貰った場合は一斗五升、約22.5kg)はこの施設に納めなければならないらしい。まぁ残り五升が小遣いということか。あまり無駄遣いしないように貯金ならぬ貯米をしよう。
それから調理場の鼠の件だが、現在せっせと餌付けをしている。今日で四日目だ。そろそろ齧った形跡が見られる。あと三日ほど撒き餌をして、食い付きを確認したら作戦に移ろう。作戦第一弾は毒餌だ。
調理場の人たちも毒餌はすでに試したものの、あまり効果がないからと未使用の毒餌がまだ余っているらしい。どんな成分なのかは判らないが、調理長が「無駄だと思うが、いるなら持ってけ。」と譲ってくれた。最初はこれで様子を見て、第ニ弾くらいまで計画しておけば万全だろう。早くこの施設の人達と仲良くなって、僕の居場所を確立したい。
旗田さんから許可証を受け取った翌日、早速書院を訪ねてみようと外出した時に、十紀にはあって日本には絶対無いものを見つけた。
それは魔法だ。
山手の外郭の東門をくぐった直後、爆音と共に家々の屋根を遥かに超える火柱が上がった。火事かと思い、人々のざわめきの中心へ急ぐと、そこには信じられない光景が繰り広げられていた。
文字通り、目にも留まらぬ凄まじいスピードで剣を打ち合う者、突き出した両腕の先に巨大な火柱を作り出している者、その火柱を逆巻く水の奔流で相殺させる者、空中から編隊を組んで滑降する有翼人達……。
妙技が繰り出される度、見物人からどよめくような歓声が上がる。近くに立っていた人に尋ねると、そこは和都を守る軍の練兵所であり、その日は軍事訓練の一般公開を特別にやっていたとのことだった。
火や水を操る兵士を指して、あれは何かと訊けば、「魔法じゃないか。」と呆れた様な顔で言われた。この世界にはやはり魔法が存在するらしい。しかもそれは、一般の人にとってもごく普通に受け入れられる存在のようだ。
その後、一般公開が終わる夕暮れ時まで軍事訓練を見ていた為、慌てて書院に駆けつけた時には、すでに閉館時間を過ぎていた。
翌日、今度は寄り道をすることなく、矢咲さんから貰い受けた案内図を頼りに書院へ向かった。
十紀の書院は日本の図書館とは違い、雅な名前の割には質素な土蔵にしか見えなかった。
納める物が火気を嫌うため土壁で囲まれ、日焼けを防ぐために開口部は狭く、通気を良くする為に光を入れないように工夫した通気口が各所に設けられている。
中に足を踏み入れると、古い本独特の臭いが鼻についた。入口近くに書司と呼ばれる書院の管理者が待機しており、怪訝そうな顔で誰何された。旗田さんから受け取った許可証を渡すと、彼は内容をじっくりと吟味してこちらに返してくれた。
その後、坂下と名乗った彼は持ち出し不可や汚損・棄損などは高額な罰金があるなどの基本的なルールを端的に説明してくれた。坂下さんは決して愛想の良いタイプではないが、物知りで、要点をついた説明が上手い。しかも忙しそうに仕事をしながらも、僕が質問を投げかければ必ず答えてくれた。
最初はぎこちなかったけれど、毎日のように通いつめ、彼の作業を手伝っているうちに、坂下さんも僕に慣れてくれたようで、書物や書司の仕事について色々と教えてくれた。十紀にはまだ印刷技術がないらしい。全てが写本なので本がとても貴重だということ、天気の良い日には書司が蔵書を虫干しすることなどを熱く語ってくれた。坂下さんのお陰でこの世界の情報収集が随分と効率良くなり、書院に通うのが楽しみになった。
調理場での作業の手伝いもあったため、あまり読書にばかり時間を掛けていられなかったが、書院で目を通した"魔術教本"で、この世界には疑いようもなく魔法が実在しているということが判明した。例えば火や水、風、光を出す、物を動かす、物に気を移すなどだ。全ての人が魔法を使えるわけではなく、才能を持って生まれ、特殊な修行を経たごく一部の人々だけが使えるらしい。
魔法の原理についてはよく分からなかったが、人や動物、植物に留まらず、この惑星自体を含め世界全体に『気』と呼ばれるエネルギーが絶えず流れており、それを利用して魔法を発動するのだそうだ。世界には火・土・水・風の四大気素と闇・光の特殊ニ気素があり、世界中の全ての生命体・非生命体・現象等がこれらの気素のいずれか、または複数に属していると書いてあった。
そう言えば十紀では曜日もこの気素と同じ名前が付けられている。暦と魔法には何らかの関連性があるのだろうか…。
本の中でまとめられていた魔法の分類・体系について記しておく。
・物質操作系(全):水や火など自然界に存在するもの(無生物)を直接操作する
・生物操作系(全):自分以外の人や動物の行動を阻害したり操作したりする
・付与系(全):自然界に存在する物に火や水などの属性を付与する
・能力系(全):自分自身の能力を高める
・召喚系(闇):小規模な歪を作り出し、物や生物や魔物を召喚する
・封印系(光):召喚された生物・魔物を封印したり消し去る
・結界系(全):様々な攻撃を防御する
・治癒/再生系(光):疲労回復、外傷、疾病(病態・治癒過程への知識がある場合のみ)
この世界の存在(人、動物、植物、鉱物など)はみな生まれながらにいずれかの属性があり、その能力が開花したとしても一人一属性の魔法しか使えないと書いてあった。また国や地域によっても独自の魔術や呪術のようなものがあるらしい。
この世界の人間ではない僕にも、何かしらの属性があるのだろうか。魔法を使えるのだろうか。そう思いつつ読み進めると、属性を鑑定する簡単な方法が本の中に書いてあった。準備するものや特殊な状況が必要となるので、いずれ機会をみて試すことにしよう。
書院には魔術教本の他にも色々な本が置いてあって目移りしてしまった。とりあえず"旅行記"、"魔術百科"、"十紀皇国史"、"魔大陸"、"生態図鑑"、"竜災害の特徴"、"民主主義革命"などは読んでみたい。
知りたいこと、やりたいことが多すぎて時間が足りない。