第3話 【和都】
穂月十三日(7月13日)、光日
備忘録を最初につけてから七日ほど経っただろうか。
旗田さんは多忙らしく、初日に会っただけで以降は顔を見せなかった。
施設の人は皆良くしてくれる。食事の世話や洗濯などは係の人が全てやってくれた。働いてもいないのに申し訳ないことだ。
僕の話し相手になってくれたのは、この施設の責任者で矢咲という男性だ。年は六十近いだろうか。穏やかな人柄で、こちらの質問にも嫌な顔ひとつせず答えてくれる。
矢咲さんにこの国の暦を教えてもらったので、今回から日付を入れることにした。
十紀の暦も日本のそれと似ているが、微妙に異なっている。一年は12か月で360日。ひと月は30日で、週6日の5週間。一日は24時間で構成されているらしい。"にしむくさむらい"など存在しない。これはわかりやすい。
因みに、日本の月と対応するこちらの月の名前と曜日は次の通りだ。
【月】
1月:結月
2月:寒月
3月:草月
4月:花月
5月:植月
6月:水月
7月:穂月
8月:祭月
9月:実月
10月:短月
11月:霜月
12月:末月
【曜日】
光日、火日、土日、水日、風日、闇日
聞いたところ、一般庶民は時計のような物は持っておらず、毎正時に庁舎が鳴らす鐘の音で時刻を知るということだ。
ここでの生活の中で、この国の科学技術が日本よりもかなり遅れていることに気付いた。
代表的なものはインフラ。上水道はなく、水は井戸からくみ上げている。便所は全て汲み取り式だ。雨水や生活排水を流すための簡素な側溝はあるものの、日本のように下水処理を施すでもなく近くの川に放流するだけだ。そもそも合成洗剤や強い薬品が一般家庭で使われている様子もないため、生態系を破壊するほどの悪質な排水が出ないのだろう。電気やガスも存在せず、洗濯物は全て手洗い。夜になるとランプに油を注して明かりを灯す。
タダで食べさせてもらっておいてなんだが、食事は正直あまり口に合わない。どんぶりにてんこ盛りの玄米飯がメインで、汁物の他に、おかずと呼ぶには余りにささやかな量の焼き魚や野菜の煮物、漬物などが添えられている。しかもバリエーションに欠ける。
時々無性に脂っこい物やジャンクフード、B級グルメが食べたくなって腹の虫が鳴った。
食事内容からして、経済的に余裕がある施設ではないようだ。いや、この国自体があまり豊かではない可能性もある。長いこと無駄飯を食べていると追い出されてしまうかもしれない。そう思って何か仕事ができないか申し入れてみたが、調理や洗濯や掃除は決まったシフトがあり、来年までは欠員が出ない限り変更しないとのこと。手伝いを申し出たが、担当の人には手伝ってもらう程でもないとすげなく断られてしまった。
何もやることが無いので、この街についてもっと知りたいと話した所、散歩がてら実際に街の様子を見て来たら良いと助言された。お言葉に甘えて城壁内視察に出かけることにした。
そこで気付いたことや驚いたことが沢山あったので忘れないように書いておく。
施設の外に出てまず感じたのは、ここが時代劇に出てくる宿場町のようだということ。殆どの道は舗装されておらず、土が踏み固められ、荷車の轍が残っていた。メインストリートと言うべき大きな通りだけは石畳が敷かれてある。
高層建築は無く、木造平屋が殆どで、大通りに面した立派な大店ですら三階建てだった。高さ八メートル、厚さ三〜四メートルの分厚い石造りの壁が市街地をぐるりと囲み、約三十メートル間隔で櫓が立っている。櫓と櫓の間にも小さな扉が二、三設置されており、兵が出入りしているのが散見された。休憩所や便所などだろう。
今回もっとも驚かされたのは、毛むくじゃらの獣や有翼人などが、服を着て二足歩行で往来を闊歩し、買い物や立ち話など、普通の人間と変わらない生活をしていた光景だ。最初はコスプレか何かと思ったが、どうも本物らしい。物珍しくて無遠慮にジロジロと見てしまっていたらしく、逆毛を立てて威嚇された。身の危険を感じたので、少し離れた所から観察することにした。恐らくあれが旗田さんの言っていた亜人間だろう。その他にも、僕の記憶にある白人や黒人、中東系、アジア系といった種々雑多な外見の人々が入り乱れていた。思ったより国際的な都市なのだろうか。
十紀人は他の人種より小柄のようだ。目に入る十紀人男性の平均身長は160cm台前半くらいで、高くても170cm位だ。小さい小さいと思っていた矢咲さんは、ごくごく標準範囲の体型のようだ。寧ろ僕や旗田さんが規格外ということか。
道端に案内地図があった。日本語の漢字かな交じり文で書かれているので、読むのに全く問題はない。
この都市の名は和都。都を冠する名の通り、十紀の首都であり、国内最大の人口を擁する巨大都市だそうだ。この厳しい城壁に囲まれた和都の中心部を特に山手と呼ぶらしい。地名や難しい漢字には、ご丁寧に読み仮名とローマ字までふられていた。日本語だけでなくローマ字にまでお目にかかるとは。ここは一体どんな世界なんだろうか。
和都は大きな二本の河川に貫かれ、山手はその中間に位置する。大小の船舶が外海に面した港に寄港している様が遠くからも伺える。どおりであらゆる人種が街を行き来するわけだ。
山手についての詳細に移ろう。
城壁は外郭、中郭、内郭と三重になっており、内郭にこの都市を治める行政庁舎や政治家などの宿舎、中郭と外郭に商業施設や住居などがあった。また、外郭には軍の駐屯所もある。外部からの侵略を受けた際に、都市の中心部を守るようにあらゆる施設・設備が配置されている。
東西南北に設けられた四つの巨大な城門は、朝六時に開門され、夜十時に閉門される。
城壁の外にも見渡す限りに市街地が広がり、僕がお世話になっている施設は外郭からニ十分ほど歩いたところにある。後で聞いて分かったことだが、元々内郭の中心には巨大な天守閣が聳え立っていたそうだ。しかし、数十年前の戦争の際に焼失してしまい、以降再建されることなく、諸々の庁舎や宿舎が建造されて今の姿になったということだ。なんとも残念なことだ。天守閣をひと目見てみたかった。
山手の大きさを把握するために、外郭の内側に沿って一巡することにした。実際に歩いてみると、山手の規模がかなり大きいことに気付いた。
正時を知らせる鐘を皮切りに、外郭を右手に見て東門から歩き始め、元の場所に戻ってくるまでに鐘が更にニ度鳴った。外郭一周が二時間ちょっとだ。僕の歩く速さは普通よりやや早い。だいたい時速5㎞として、外郭の外周は10~12kmといったところだろう。
その日は陽が暮れるまで十紀の街をあちこち歩き回った。店頭にポツポツとランプの灯が灯り始めた頃、慌てて施設に帰ると、施設の入り口で五~六人の若い女性に取り囲まれて「帰りが遅い。」「どこかに連れ込まれたのかと思ったわ。」と随分心配されてしまった。成人男性の夕刻の一人歩きにこの反応とは、和都の治安は一体どれほど悪いのだろうか。しかし陽が暮れてからも、女性の一人歩きは少なくなかったような…。
さらに施設の女性たちから、山手以外の壁外の町には外灯が殆どなく、夜は真っ暗になるので、あまり遅くまで出歩かない方が良いと助言を賜った。特に身分証を持たずに22時を過ぎて城壁内に居ると、取り調べを受けることもあるので注意した方がいいとのことだった。
この世界のことがもっと知りたい。ここで生きる上での知識が圧倒的に不足している。
矢咲さんに十紀の歴史や地図などが載っている本はないか尋ねたところ、この施設には置いていないが、"書院"という施設にならあると言われた。ただ一般の人は入れない施設らしい。
旗田さんに便宜を図ってもらおうと、ありがたい申し出があったので、頭を下げてお願いした。
それにしても、何故ここの人達はこんなにも親切にしてくれるのだろうか。何かお返しがしたい。役に立ちたい。