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第2話 【噂話】

 矢咲(やさき)は書き物をしている手を止めた。

 旗田(はただ)が彼を連れて来てから三日。施設内の空気が明らかに変化した。施設で働いている女性陣の雰囲気が妙に華やぎ、浮き足立っているのだ。

 矢咲の執務室の外からは女達の姦しい噂話が聞こえてくる。


「ねえねえ、一番奥の部屋に来た子、見た?」


「見た見たー! すっごい綺麗な顔してるわよねー。」


「私も見たー。あの子、大ちゃんに似てない?」


「あーっ、似てる似てる。誰かに似てるとは思ってたんだけど、そうね、確かに大ちゃんだわ!」


 女達は当代随一の人気を誇る、花形役者の万屋大輔を引き合いに出して、さらに盛り上がった。


「あれぇ、なんか喜代子さん化粧濃くないですか? 『お母さんが若い男の人に夢中になっちゃったみたいよ』って春ちゃんに言いつけちゃおうかな~。」


「ちょ、やめてよ。ていうか、もしかして美砂ちゃん、それ"大ちゃん"狙いの子を牽制してるつもり?」


「えー、美砂ちゃん狙ってんだ? 朱里も狙ってるみたいよ~。用事もないのに"大ちゃん"部屋の前をウロウロしてるの良く見るし。」


「それだけじゃないわよ。百江なんか昨日今日と、今までに見たこともない露出度の高い服を着てたわ。何を狙ってるんだかねぇ、や~らし~。」


「ほらほら美砂ちゃん、早く落とさないと敵は多いわよ~。私だって、あと十歳若ければ一番乗りするんだけどねー。」


「やだー、里子さん肉食~! あはははは。」


 女達の笑い声が施設に響き渡る。




 矢咲は、はぁ、と溜め息をついた。この笑い声は、噂の渦中にある本人の耳にも届いていることだろう。


「まるで見世物だな。なまじ美男てのも良いことばかりじゃないわなぁ。」


 誰に聞かせるでもなく、矢咲は空に向かってひとりごちた。

 確かに彼は色んな意味で人の興味を惹く存在だ。最初は皆その端正な容貌に惹きつけられる。しかし矢咲はそれ以上に、男の人となりに興味を抱かずにいられなかった。

 記憶を失っているというのに、取り乱したり、絶望したり、怒りに駆られたりといった醜態をついぞ見せたことがない。

 まるで赤の他人に起きた出来事のように淡々としている。時折何かを思いついては、こちらに質問を投げかける。そして日がな一日、頬杖をついてブツブツと独り言を言いながら考え事をしている。

 変わってはいるが、彼は好人物だ。物腰や言葉はやわらかく、礼儀正しい。そしてこちらに問いかける内容、言葉の選択、声の出し方などから元々彼がかなり博識であることが容易に想像できた。まあ、質問の意図が読めない風変わりなものも混じってはいるが。

 そして何よりも驚いたことに、彼は読み書きができるようだ。

 彼が最初に要求したものは飲み物でも食べ物でも無く、筆記具だった。


「紙とペンを貸していただけますか?」


 彼がこの施設に来た翌日、部屋に様子を見に行ったとき、唐突にそう聞かれた。

 ペンとは何かと尋ねると彼は紙に"文字を書きつける"道具だと答えた。そう言えばシオン人は"ペンと"インク"いうものを使って文字を書くというのを聞いたことがある。彼はシオン人だろうか?いやそれは無いな。黒髪に黒目。アーモンド型の大きな目や顔の骨格から都羅偉トライ人や真覇シンハ人でもないだろう。恐らく生粋の十紀人だ。


「君は文字が書けるのか?」


 驚いて問い正すと、彼は不思議そうな顔で曖昧に頷いた。

 恐らくこれで良いだろうと筆と墨を用意してやると、彼は丁寧にお礼を言った。

 それにしても文字なんてものは、上流階級の人間や官僚、学者などにしか縁のないものだ。ましてやこんな城塞外の街では、商人や下級役人を除いた市井の人間なら一生使わないこともある。

 そのどことなく品のある佇まいと知識から、彼は元々上流階級にいた人間なのではないだろうかと推測した。




「そう言えば私、昨日"大ちゃん"の部屋に食事を運んだ時に『ここはニホンですよね?』って聞かれたんだけど、ニホンなんていう街あったっけ? 誰か知ってる?」


「ニホン? 聞いたことないわね。十紀の街かしら。」


「もしかして外国だったりしてー!?」


 キャラキャラと女達の会話は続いていた。"大ちゃん"という呼び名はすっかり定着したらしい。

 ところで彼の発したというニフォン? ニホンか。そこが彼の居た街の名だろうか、聞いたことないな。次に旗田が来た時にでも聞いてみるか。その時に彼の素性についてもキチンと調べてもらうよう話しておこう。

 それに本も読みたがっていたな。旗田なら書院に話を通すことも可能だろう。

 もし彼が壊滅した山野辺ヤマノベの有力者の縁者か何かなら、今から良くしておいて損はないだろう。

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