迷子
三日後、土曜日。約束の日。私は予定通り2時にバイトが終わり、帰り支度を整えていた。
三日前、水月さんに誘われた件はまだ家族にも友人にもバイト先にも言っていない。何となく、ちゃんと決まってから報告したかった。
明日は友人と遊ぶ予定だし、今日何かあれば話してみようかと思う。
・・・・なんだか、今から緊張してきた。この調子で大丈夫だろうか。
私は荷物を持ち、まだバイト中のマスターと学生に「お疲れさまでした。」と声をかけ店を出ようとした時だった。
「あ、弥生ちゃん。ちょっと・・・・いいかな?」
マスターに声をかけられ、案内されるまま外へと連れ出される。マスターは辺りを見回して人がいないことを確認し、私に小さな声で話し始めた。
「実は・・・来月いっぱいで店を閉めようと思っててね。」
「・・・・・え、ええ?」
危うく荷物を落としそうなくらい衝撃的だった。店を閉める?売上だって順調だし、マスターだってまだ元気なのに。何故?そう問いかけようとしたところに、マスターはかぶせてくる。
「お店のエアコンが故障してきたのは知ってるだろ?」
「ええ、まあ・・・。でも、直せばどうにかなるんじゃ・・・。」
「それがなあ・・・直すのに結構なお金がかかってね。ついでに言えばうちは古いから。築50年建ってるんだよ。先代から続けてきてたけど、もうそろそろお店にもがたがきててね。これを機に店を閉める事にしたんだ。」
「それが・・・来月ですか。」
「うん。さすがに今月だとお客さんも困るだろうから、とりあえず来月の6月まで。6月ならそんなにクーラーも使わないし、丁度いいときに終われるかなって。」
「・・・・そう、ですか。」
「高校生の子は別のバイト探してもらうし、主婦の人にはまだ伝えてないけど、まああの人達は家事があるし、この辺りにはスーパーとかもあるからパートはいくらでもあるだろうしね。一番心配なのは、弥生ちゃんなんだよ。」
それはそうだろう。高校生の子は学校がある。辞めた所で月数万のお小遣いが無くなるだけだ。それに都会へ行けばもっと時給のいいバイトがあるだろうし。主婦の人だって家の事がある。けれど私は、何もない。ここだけで月の生活費をまかなっている様なもんだ。ここを辞めれば、一気に無職になってしまう。
「・・・・えっと、大丈夫です。今から仕事探したりすれば何とかなりますし。」
「そう?あ、でも6月まではうちで働いていて欲しいんだ。それはいい?」
「大丈夫です。」
まあ一応・・・次に働くあてはある。それが今日どうなるかがまだ分からない訳だけど。
そう言うとマスターは安心した表情を浮かべ、「よかった。」と言った。私は今度こそ失礼します、と言って家の方へ歩き出した。5時に待ち合わせだから、少なくとも4時半までには家を出ないと間に合わない。
・・・しかし、閉店か。まだ実感がわかない。実は私の夢でした、ということもあるかもしれないと思い頬をつねってみたが痛かった。・・・とりあえず、親に報告しないとだ。まあ言ったところで早くハローワークに行けだの片っ端の求人情報誌もらってこいだのに過ぎないと思うけど。そんなことをしていたら待ち合わせに間に合わない。
・・・・まあ、別に今日の用事がすんでからでもいいか。
家に帰り、汗をかいたので一旦シャワーを浴びて、身支度を整える。デニムのショートパンツとレギンス、上はロンT。面接とか言ってなかったし、これくらいカジュアルでも大丈夫だろう。ちょっとソファでごろごろしていたら、あっという間に4時になってしまった。私はバイト用の汚れたスニーカーじゃなく、遊びに行く用のスニーカーに履き替え、駅へと向かった。
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私の住んでいるところからN駅までは電車で20分かかる。田舎なので、1時間に電車は3本しか来ない為(休日でも4本だ)一本逃すと15分は軽く駅で待っていないと行けない。私は余裕をもって家を出たので、予定通り17分の電車に乗る事が出来た。ここから20分、更に駅から歩くとなると30分は絶対に必要だ。携帯で時間を確認し、これなら10分前には到着できそうだな、と一安心した。電車の中で20分ぼーっとしているのも退屈なので、トートバックに入れてきたiPodを取り出した。適当に曲を再生し、外の景色を眺める。
・・・・・やっぱり、心臓がドキドキする。おそらく緊張と、不安だろう。あとは・・・水月さんと会うのは3日ぶりということで、まあ、言ってしまえばあの瞬間を思い出してしまう訳で。
・・・いや、落ち着け私。初めて抱きしめられたのがおかまさんという何とも言い難いものだが。(でも一応男の人な訳だし。)水月さんにだって特に深い意味はなかったんだろう、きっとそうだ。
あの短時間で知った事、水月さんの行動はよくわからない。うん、そう思うと段々落ち着いてきた。
そんな事を考えている内に、電車がN駅に止まる。乗客が一斉に降り出す波に乗って、私もホームへ降りていく。
携帯を開いて、ナビで目的地の場所を出す。事前に探しておいて正解だった。
私は、東西南北なんてよくわからない。地図を見てもいまいち理解が出来ない。言うなれば方向音痴なのだ。
携帯を持っていない頃はPCで検索して、地図を印刷して、尚且つコンビニの店員さんや交番のお巡りさんに聞いて場所を確認する、といったことばかりしていた。それが今このスマートフォンで場所を言えば案内してくれる。便利な世の中になったなと改めて思った。
夕方だが、土曜日の為駅周辺は相変わらずの人だった。人ごみは嫌いだ。目の前をとろとろ歩かれると鬱陶しいし、きつい香水をつけた人が横を通ると気分が悪くなる。しかも携帯を見ながら歩かなければ行けないので、一苦労だ。
やっとの思いで大きな横断歩道に出れ、もう一度地図を確認する。ここを渡って脇道に入れば、すぐだ。
時間を見ると、16時42分。この調子なら15分前には着けそうだ。
「・・・・こっちで合ってるんだよな・・・・。」
と、私の後ろでそう呟く声が聞こえた。ああ、おそらく道に迷っているのだろう。低いか細い声。男の人の声だと思う。道に迷っての不安なのかとても弱弱しく聞こえた。
同じ方向音痴という不思議な親近感がわき、失礼だとは思ったがこっそり後ろを振り向いてみた。
そこにいたのは、目をうるうるとさせ、とてつもなく不安そうな顔をしているイケメンの姿があった。
・・・・何故だろう、それなりにいい歳っぽい男が泣きそうな顔をしているのに。イケメンだからだろうか。物凄く「大丈夫ですか?」と言ってあげたくなるような気持ちになった。
いや、なんか段々頭に垂れ下った犬の耳みたいなものまで見えてくるような・・・。
と、私は彼の顔から視線を下ろし、彼が見ている一枚の紙に視線を移す。裏は白紙で何も書いていないが、うっすらと見える。それはとても身に覚えがある、でかでかと書いてある地図が薄いが見えた。・・・・もしかして。
3日前を思い出す。あの時水月さんにもらった一枚の紙。あれに書いてあった手書きの地図。・・・間違いないだろう。
私は意を決して、彼に話しかける。
「あの。」
「ひっ!?」
「・・・。」
突然目の前の人が振り返って話しかけてきたら、そりゃあ驚くだろう。けれどひっ、は無いだろう。女子に対して。
「あ、あああすいません!ちょっと驚いて・・・!な、何か御用ですか?」
「・・・・いや、こっちこそ急に話しかけてごめんなさい。あの、その、持ってる紙。見してもらってもいいですか?」
「・・・へ?」
言って後悔する。これは3日前に水月さんがやった行動と同じ事だ。いきなり持っている紙見してくださいと言って、素直に見せる馬鹿はいないだろう。くそ、彼が一気に不審者を見る様な目になってしまったではないか。
私は慌てて弁解する。(・・・何だろう、3日前にも同じ光景を見た気がする。逆パターンで。)
「いや、あの。それ『cafe wonderland』の地図ですか?」
「!え、なんで知って・・・?」
「私も今から行くところなので。あ、道なら合ってます。ここ渡って脇道に入ったら直ぐですから。」
「・・・・・そう、なの?」
私が携帯を取り出してナビを見せると、彼は「へえー・・・。」と感心するような目でナビに夢中になっていた。
とゆうか、何故この人はこのご時世にナビを使用しようと思わなかったんだろう。そう考えていたけど、彼の次の一言でその答えは直ぐに分かった。
「凄いねー・・・これが噂のスマホかあ。俺、機械苦手だからこういうの全く分かんなくて。携帯も未だにメールと電話くらいしか出来なくて。だからもらった地図を頼りに頑張ってたんだけど・・・方向音痴だってことも忘れてて、すごく大変だったんだ。」
「・・・・成程。」
意外だった。見た目はすごく今時の若者って感じなのに。メールと電話しか出来ない人っているもんなんだなと思った。うちの母親(50歳)はスマホを結構使いこなしているし、姉2人もどちらかといえば機械に強い。私はそんなに詳しくはないが、人並みには扱える方だと思う。・・・初めて見たかも、機械苦手な人。
「目的地一緒なら、一緒に行きませんか?その方がその、安心というか。何と言いますか。」
「・・・・いいの!?」
そう言った途端、彼の泣きそうだった目が輝いた。・・・気の所為であっては欲しいんだが、垂れ下った耳がぴん、と勢いよく起き上がるのが見えた気がした。・・・・何だろう、まるで大型犬でも見ている気分。
そうこうしている内に長かった信号がようやく変わり、私は彼と並んで歩き始めた。
「ありがとう!正直、さっきまで不安でいっぱいだったんだ。本当に助かるよ!えっと・・・」
「あ、葉桜弥生、です。」
「俺は葉月悠里。本当にありがとね、葉桜さん。」
そう言って葉月さんはにこりと笑った。・・・うん、イケメンだ。
金色に近い茶色の髪はパーマがかっていて、ふわふわとしている。身長はかなり高いと思う。隣に立って目線を合わせようとするとちょっと首が痛い。160しかない私とおそらく20センチは違うんじゃないだろうか。
顔も小さいし、背も高く手足が長い。ボーダー柄のカーディガンに白いシャツ、それにジーンズと至ってシンプルな格好だけど、雑誌モデルの様に格好良かった。
「でも、まさか同じ所に行く人と会うとは思わなかったよ。」
「私もです。後ろ振り向いてよかったです。」
「うん、助かった。・・・・あの時は、ごめんね?」
「え?」
「ほら、声掛けられた時。物凄く俺驚いちゃったでしょ?」
「ああ、そういえば・・・。」
「・・・・その、実は俺、ちょっと女性恐怖症というか、女の子が苦手っていうか・・・。あんまり話したりとか出来なくて。さっきも声掛けられるだけでちょっと驚いちゃうっていうか・・。」
「・・・。」
成程、だから「ひっ」か。そりゃあ苦手な人に急に話しかけられたら誰だって怖いかもしれない。
私は男性恐怖症とまではいかないが、男の人と話すのはそんなに得意ではない。話題がよくわからないからだ。それと、無意識に何処かで男の人を嫌っている傾向があるんだと思う。それはまあ・・・・色々な理由から。
私が黙ってしまったのに気付いた葉月さんは、「あ!で、でもね!」と付け足すように言った。
「不思議なんだけど、なんでか葉桜さんとは大丈夫なんだよね。」
「・・・それは私があんまり女らしくないということなんでしょうか?」
「え!いや、違うよ!そんなことは全くないって!!」
慌てて弁解するように葉月さんは言うが、別に私は平気なんだけれど。
昔から女の子らしくないとは言われていた。ピンクより青とか緑が好きだったり、少女漫画より少年漫画の方が好き。それは今でも変わらない。むしろピンクは大っ嫌いだ。あれは可愛い女子に似合うものであって、私に似合うものではない。そして毎週月曜日はジャ●プを家族で読む。
「・・・うーん、その、なんていったらいいんだろ・・・。で、でも!葉桜さんの事は苦手じゃないからね!それだけは分かって!」
「あ、ありがとうございます・・・。・・・でも、私も男性と話すの慣れてないんですが、葉月さんは話しやすいです。」
「え・・・。そ、っか。なんか、嬉しい。」
にっこりと笑う葉月さんを見て、可愛いと思ってしまった。男の人に可愛いっていう表現はどうかと思うのだが、可愛かった。・・・・ああ、そうか。この人ちょっと中性的なんだ。水月さんとまではいかないけど、なんていうか男男していない感じ。話してるだけで優しい事が分かる様な。凄くおおらかで、良い人なんだと思う。
「えっと、葉月さんはおいくつですか?」
「え?ああ、22歳です。今年で23歳。」
「私20歳になりかけなので・・・その、葉桜でいいです。さんとか無しで。」
「・・・んー・・・。じゃあ、俺も無しでいいよ。敬語とかも無しにして。お互いタメ語で話そうよ。」
「え、でもそれは・・・。」
「俺、もっと葉桜さんと仲良くしたいし。」
駄目?と聞かれた。・・・くそ、そんな大きい目で犬がおねだりするように見てこられたら駄目とか言えないじゃないか・・・。さっきからうちで飼ってる犬を思い出してくる。
年上の人にタメ語、というのは中々に難しいことだ。今までやった事が無い。けどまあ・・・うん。
「えっと・・・葉月?」
「名前でいいよ、やよって呼んでいい?」
「・・・いいです、じゃなかった・・・いいよ、えっと・・・・悠里?」
3日前に男性を名前で呼ぶ、という恥ずかしさは捨ててきたので、今回はさらっと言えた。けど改めて口にするとやっぱりまだ顔が赤くなりそうなくらい恥ずかしい。
しかもやよ、って。そんな風に呼ばれてたのは小学生以来だ。それはそれで恥ずかしいという気持ちもあるが、懐かしいという気持ちもあるし、ちょっと嬉しいという気持ちもある。
「あは、なんか女の子に名前で呼ばれるの姉さん達以外ではあんまりないかも。」
「お姉さんいるの?」
「うん、上に3人。やよは兄弟いる?」
「姉が2人。じゃあ、末っ子同士だ。」
「だね。今度お互い末っ子不満でも話そっか。」
「それはいいね。私不満たまりまくって・・・・と。」
ここだここだ、と場所を確認して携帯のナビを閉じる。話しながら歩いてきたからか、あっという間に着いてしまったような感じだった。16時51分。10分前に到着は出来なかったけれど、ようやく目的地へと辿り着いた。