キャシーの恋(後編)
「やはりおまえだったのか。
似ているのは顔だけだな。」
私の告白を聞いた伯爵はそう言い捨てた。
「しかし、アンドロイドが自分の意思で主の邪魔をするとは。。」
独り言を呟いている伯爵にそっと聞いてみる。
「私をどうなさるおつもりですか? 伯爵。」
すると伯爵は、私の顔を見据えた思うと、その整った顔を歪めて淡々と告げる。
「いいか。
私はおまえの話など何も聞いてはいない。
博士は自分の意思でシェリルとの婚約を解消したのだ。
そうだな、キャシー。」
思わぬ言葉に、私はただ伯爵の顔を見つめた。
伯爵は言葉を続ける。
「そして私は、一つおまえに提案をしよう。
おまえが施したと言う催眠療法でも何でも良い。
博士を、今後も絶対にシェリルと逢わさなければそれで良いのだ。
そうすれば私は、死ぬまでおまえ達に研究の為の資金を援助させてもらうが。
どうだ?」
伯爵の顔は真剣だった。
きっと、彼も彼女の事を愛しているのだろう。
博士と同じ様に。。
「はい。かしこまりました伯爵。
どうぞよろしくお願いいたします。」
そう言って私は、初めて口角を上げて微笑んだ。
私の言葉に頷いた伯爵は
「ガストン。
今聞いての通りだ。
後はおまえが処理してくれ。」
と隣にいた秘書に命じると自分は先にホテルに戻って行った。
後に残った秘書は、憐れむように私を見ると言葉少なに事務処理をした。
伯爵達が帰った後、何時間たっても博士の意識は戻らなかった。
いったい、どうしたのだろう?
ほんの少しだけ眠ってもらおうとしただけだったのに・・
私はなすすべも無く、ただ博士の様子を見守るしかなかった。
博士の青白い頬にそっと触れる。
こんなにも、ひどくやつれて。
私のした事は、本当に博士の為になっていたんだろうか?
今更ながら考える私だった。
それから三日後、やっと博士の意識が戻った。
しかし、目を覚ました博士は、私がいくら声をかけても返事をする事もなくただ黙ってベッドに入ったままだった。
ジッと天井を見つめながら考え事をしている様子で、食事を運ぶとお礼を言ってくれるだけ。
その状態が二日間続いた後、ようやく博士は起き上がった。
「キャシー。
ちょっと来てくれないか。」
呼ばれた事にホッとしながら研究室に入って行くと、博士は机の椅子に座っていた。
いつもと違って、ひどく思い詰めた様な顔で私を見つめている。
傍まで近づいた私は、博士が何を話したいのか見当も付かず只見つめ返すだけだった。
「キャシー。
マクベイン伯爵は、僕を見定めに来たんだね?
シェリルを捨てた男がどんな奴か知りたかったんだろうな。」
そう言うと寂しそうに博士は笑う。
「シェリルはきっと、伯爵と居る方が幸せだろう。
僕は、彼女に寂しい思いしか与えなかったから・・・
でも。」
と、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「人の心を勝手に触るのはいけない事だ。
それがどんなに正しいと思っていても、かき乱して良い権利なんて誰にも無いんだよ。
キャシー。」
博士は泣いていた。
顔には出してはいなかったが、深い悲しみが感じられた。
私は、博士にこんな辛そうな顔をさせたかった訳ではない。
私は・・私は・・
「博士・・
どうか私を破棄して下さい。
このままでは又、博士を苦しめるかもしれません。
ですからお願いです、私を捨てて下さい。」
それが一番良いのだと思った。
私などいないほうが良いのだと。。
しかし博士は、顔を横に振ると私の手を取って言ったのだ。
「そんな事は出来ないよ。 キャシー。
もう君は僕の家族なんだ。
君まで失ったら、僕は本当に独りぼっちになってしまう・・・
反省してくれたらそれで良いんだ。
もう、この話は終わりにしよう。」
そう言うと、私の手をそっと離して研究の続きを始めた。
それっきり、その話が私達の口にのぼる事はなかった。
そして、又始まったいつもの日常。
でも、少しづつ確実に博士は変わっていったのだ。
初めは、夜寝る前にお酒を飲むようになって。
それが、いつしか外で飲んで来るようになったら、一晩中帰って来ない日が多くなった。。
朝方、疲れた顔で帰って来た博士からは毎回違う香水の香りがしていた。
それが何を意味するのか、分からない私ではない。
だが何も出来ない私は、いつもの様に振る舞うしかなかった。
そうこうしているうちに、あの日が来てしまったのだ。
この国の国民全員が興味と憧れを持って見守っていたマクベイン伯爵の結婚式が。
氷の貴公子に起きたパーティーでの運命の出逢い。
それは誰もが知るラブロマンス。
でも、その裏で一人の男性が苦しんでいるなんて誰も知らない。
その日は秋らしく空気の澄んだ、正に晴の日だった。
博士は朝早くから研究室に籠もり切りで、食事を呼び掛ける私の声にも応えない。
そして長い一日が終わると、逃げ出すように家を出て行った。
あんなに晴れていた空も、真夜中になると少し前からの小雨が段々ひどくなって遂には雷も鳴り響く土砂降りになった。
今晩、博士は帰って来ないだろう。
顔は知らないが、あの人と同じ香りの女性の所だ。
それで少しでも気が晴れるのならと、思いながら研究室に入ろうとした時。
玄関の方で何か重いものが倒れた音がした。
ソッと音をたてないように玄関へと近づいた私の目に、ずぶ濡れの姿で倒れている博士の姿が飛び込んできた。
「博士。どうなさったのですか?
こんなに濡れてしまって・・・風邪をひいてしまいます。」
急いで駆け寄り、博士を抱き起こす。
半分意識がなく酔いつぶれている博士は、トロンとした目を私に向けている。
その時、突然鳴り響いた雷の稲妻が私達の姿を。
いいえ。
いつもは薄い茶色だった私の髪を、一瞬だけ眩い色に変えそして又黒い闇へと戻した。
「シェリル?・・」
結果的に抱き合う形になってしまった私達。
博士の切なげな声が私の耳元で聞こえる。
「シェリル。
愛しているんだ・・
君が傍に居てくれたら・・・僕は何も要らない。」
涙混じりのその言葉は、切れ切れの呟きだったけれど真っ直ぐに私の中に入ってきた。
私は、博士の本当に大切なものを奪ってしまったのだ。
とても謝って済む事ではなく、償いきれるものでもない。
せめて今できるのは、私にすがりついて名前を呼び続けている博士を、優しく抱きしめて着替えさせ、ベッドに入れる事。
そして、寝付くまでずっと抱きしめている事。
それだけなのだ。
その後、博士は又変わった。
無口な所は変わらないが、出来るだけ外に出て人と交わろうとするようになった。
特に力を入れるようになったのは、後輩の育成だった。
請われれば、何処の大学や機関にでも足を運んで知識を分け与えた。
何せ、アンドロイドの仕組み自体を特許を取らずに開放したので瞬く間に世界中に広まったのだ。
そして、何処へ行くにも必ず私を伴った上、必ず「私の家族です。」と紹介するのだった。
忙しい中にも張りのある毎日。
その中を縫ってでも、私は伯爵との約束を忘れる事は無かった。
村を出る時は必ず知らせるようにとの話だったからだ。
多分、自分の妻と鉢合わせしないようにとの考えだろう。
どんなお金でも構わない。
博士の研究には必要なのだから。
あれから何十年がたったんだろう・・・
研究室の窓から変わり映えのしない景色を眺めながら、ふと考えていた。
すぐ横の、博士の机に視線を移しても愛用していた眼鏡がポツンと置いてあるだけで何も語らない。
そうなのだ。
もう、博士はこの世には居ない。
第一線で活躍し、次々と素晴らしい発明を世に送り出してきた博士だったが。
五年前から少しずつ物忘れをするようになり、最後は私の事さえ分からなくなっていたのだ。
それでも。
博士は幸せだったと思う。
何故なら、私の事をキャシーではなくシェリルだと思い込んでいたからだ。
毎朝贈られる、おはようのキスやおやすみのキス。
昔、彼女だけに見せていた、はにかんだ表情や温かな眼差し。
「愛してる。
愛してるよ。シェリル。 」
「愛してるわ。
アルバート。」
「シェリル。もう少ししたら君と子供の頃に約束したお人形さんを造るよ。」
「キャシーね。」
「そう。
あの時はまだ僕も子供だったから、完全には治してあげられなかった。
だから約束通り、本当のキャシーを造ってあげる。
そして僕達は家族になるんだ。」
「・・・そうね。
待ち遠しいわ。
アルバート。ありがとう。
・・愛してるわ。
永遠に。」
そう。永遠に。
完
読んで下さって本当にありがとうございます。