婚約破棄は見えない鎖から解き放たれた令嬢のように
「はあ、素敵……」
最近大人気の恋愛小説『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』を読み終わりました。
婚約していながら相手が浮気性で悩む令嬢が主人公の物語なのですよ。
境遇がわたくしに重なるところがあるのです。
ですので感情移入してしまいまして。
「チェルシーお嬢様。本を読み終えましたか?」
執事のトーマスです。
若いのですがとっても気の利いた男性なのですよ。
ちょうどタイミングのいい時に声をかけてくれますからね。
「ええ」
「疲れた頭を休めるのに、琥珀色の液体に揺蕩うのはいかがでしょう?」
「あら、文学的な表現ね」
「お砂糖をたっぷり入れて」
「途端に非文学的ね」
アハハウフフと笑い合います。
トーマスの淹れるお茶はとってもおいしいのですよ。
でもわたくしは苦いのが少し苦手で。
だからたっぷりのお砂糖を勧めてくれるのです。
「お話はいかがでしたか?」
誰かと感想を語り合いたい時に促してくれますからね。
トーマスはわかってます。
「最後主人公が幸せを掴んで、本当にホッとしたわ」
「ハッピーエンドは読後感がいいですよね」
「トーマスも『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』を読んでいるの?」
「読んでいるというか、ストーリーは存じております」
「本当に素敵よねえ」
「……失礼ながら、お嬢様に似たところがあるでしょう?」
ドキリとしました。
わたくしも同じことを考えているからです。
わたくしチェルシーはドナフィーノ伯爵家の娘です。
エルボロースフット侯爵家の嫡男バーナム様と婚約しております。
完全に政略と言っていいと思います。
大貴族エルボロースフット侯爵家ともなると、伯爵家以上から婚約者を得ないと格好がつかないということがあったと思いますから。
無論うちドナフィーノ伯爵家としてみれば格上からのいいお話。
断る選択はありませんでしたね。
「似ているというと、『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』の主人公とわたくしが?」
「はい。……不敬ながら、バーナム様の振る舞いは少々見過ごせない域かと思います」
バーナム様はそれはそれは立派な令息なのです。
文武両道なだけでなく、大変見目麗しいですから。
わたくしも婚約が決まった時は大層羨ましがられました。
しかし自信家なのです……自信過剰と言っても差し支えないです。
特に女性方面に好き勝手交友を広げ、それは令嬢方にとってはサービスに見えますので評判はよろしかったです。
でも婚約者のわたくしにとっては、蔑ろにされているのではないかという思いが強かったですね。
「強いカブトムシは蜜を独占するものだ」
「あら、『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』の中のセリフですね。トーマスも随分読み込んでいるのではなくて?」
「印象的なセリフですからね」
そう、印象的です。
いかにもバーナム様が言いそうですから。
……実際にバーナム様が仰ったら、令嬢方が独占されたいって言いそう。
「……政略による婚約ですからね。わたくしも高望みするのはよろしくないのかもしれません」
「公平であるべきではありませんか? 神は男女で差をつけてお作りになったとは思えないのですがね」
また『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』の中のセリフです。
トーマスったら嵌っているようですね。
女性向け小説ですから、熟読していると言いたくないのはわかりますけれど。
「トーマスの言う通りなのですけれどね。実際問題としてバーナム様との婚約を解消するのはあり得ないですし」
「ほう、婚約解消ですか。お嬢様はそこまで考えてはいらっしゃるのですね?」
思わず口を噤みます。
考えてるだけですってば。
傍から見ていい婚約だということはわかっています。
だって格上エルボロースフット侯爵家の嫡男で、女遊びと横柄なところ以外は完璧な貴公子なのですもの、バーナム様は。
わたくしの寛容さや辛抱が試される場面なのでしょうし。
……『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』の主人公のように、格下貴族家の令嬢でありながら浮気者の婚約者に婚約破棄を突きつける。
そんな思い切った行動に憧れはしますけれど。
「……考えるくらいは自由でしょう?」
「その通りですね。実際のところチェルシーお嬢様の希望はどの辺りにあるのです? 可能不可能を別問題といたしますと、このままでいいのか。バーナム様を改心させたいのか。婚約を破棄したいのか」
解消でなく破棄という強い言葉を使ったトーマスをじっと見てしまいます。
トーマスはわたくしのために怒ってくれているのですね。
ああ、トーマスのように正義感があって誠実な殿方がわたくしの婚約者であったなら。
「……可能であるなら婚約を破棄したいですね。今更バーナム様が改心なさってわたくしに愛を囁いてくれたとしても、もう信用できませんもの」
「その信用できない相手とお嬢様は結婚の約束をしているわけですが」
「トーマスは意地悪ね」
「申し訳ありません。しかし不可能でもないのですよ。お嬢様の婚約破棄は」
「は?」
可能でなくもない?
婚約破棄が?
どうして?
誰も許さないと思いますけれど。
「まずバーナム様ですが。チェルシーお嬢様との婚約が続こうがなくなろうが、大して気にされないでしょう?」
「バーナム様はそうかもしれませんね」
花から花へと渡り歩くだけだと思います。
むしろ自由になったと喜ぶのかも。
「旦那様が怒ってらっしゃるのですよ。バーナム君のやりようは目に余る。ドナフィーノ伯爵家をバカにしているのかと」
「そうだったのですか?」
いえ、お父様は面白く思っていないだろうなあと、薄々感じてはおりました。
バーナム様の話題になると、それとなく話を変えようとしますもの。
「それとこれはエルボロースフット侯爵家の家人に聞いたことですけれども。侯爵様はバーナム様にしばしば注意しているそうなのですよ。チェルシーお嬢様を大事にしろと」
「ありがたいことですね」
「しかしバーナム様はどこ吹く風だそうでして」
おそらくバーナム様は婚約者が誰であろうと、大した違いはないと考えているんだわ。
その認識は正しいのでしょうけれど。
「となると侯爵様は、バーナム様とお嬢様の婚約が続くものとは必ずしも考えていないのでは? 婚約破棄を持ち出されれば反対しないでしょう」
「……なるほど、そういう情勢ですか」
「お嬢様次第ですよ」
トーマスが笑っています。
もう、面白がってよく調べているのですから。
全然違うことを聞いてしまいました。
「トーマスは実は、『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』が大好きなのでしょう? さっきから話中のセリフを複数回使っていたくらいですから」
「と言いますか、『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』は僕が書いた小説なのです」
「えっ?」
えええええええっ?
トーマスって小説を書いていたのですか?
ヒット作を連発する大作家じゃないですか!
「僕もようやく小説家として独り立ちできる目処が立ちました。ちなみに『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』の主人公のモデルはお嬢様です」
「ええっ?」
道理で共感できると思いました。
「ペンネームのサモーというのは……」
「トーマスを逆から綴っただけですね。そんなことよりお嬢様」
「何でしょう?」
「僕はこのたび文化の発展に貢献したとして勲章をいただくことになりました」
「おめでとう、トーマス」
人気作家サモーに勲章が授与されることは知っておりました。
が、それがまさかトーマスだったなんて……。
「勲章には年金がつくのですよ」
「はい?」
「また僕はこれまでの稼ぎを全て王国債購入に当てています。今後ヒット作を出せないとしても、何とかお嬢様を養うだけの収入はあります。あんな男はやめて、僕の妻になっていただけませんか?」
また『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』のセリフ!
こんなの答えは決まっているではありませんか。
「網から逃げた蝶のように。籠から逃げた小鳥のように。わたくしはあなたを止まり木といたしましょう」
「やった!」
わたくしを抱きしめようとしたトーマスをするりと躱します。
呆気に取られた目でわたくしを見るトーマス。
「ええと、お嬢様? ここは『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』で一番いいシーンなのですが」
「ダメですよ。わたくしはまだバーナム様の婚約者なのですから。婚約破棄まで我慢しなさい」
「……どうしてここだけ小説と違うんだ……」
うふふ。
わたくしもトーマスのことはちゃんと好きですよ。
◇
――――――――――エルボロースフット侯爵家主催の夜会にて。
本日のパーティーもバーナム様にはエスコートしていただけませんでした。
まあわかっていましたけれどもね。
バーナム様の手は二本しかありませんから。
何人もの令嬢を侍らせておりますので、わたくしの入る隙などないのです。
チラッとお父様を見ましたらサムズアップしていました。
侯爵様もまたゆっくり頷いています。
従者枠で参加のトーマスはわたくしの後ろに控えております。
準備万端ですね。
それにしてもバーナム様ったら、御機嫌のよろしいこと。
実家主催のパーティーでやりたい放題ですから当然なのですかね?
主演男優としてしっかり演じてくださいよ、今日までの婚約者様。
バーナム様がわたくしを見つけ、豪快に笑いながら言います。
「おい、チェルシー。また隅で縮こまっているのか? カブトムシの独占した蜜に群がる羽虫を見習って、もう少し愛想を振りまいたらどうだ」
いかにもバーナム様らしい物言いに、周囲の羽虫……令嬢達がクスクスと忍び笑いを漏らします。
意味わかっているのですかね?
調子に乗り過ぎではないですか?
横柄も過度になると令嬢方に愛想を尽かされますよ。
わたくしは背後に控えるトーマスと一瞬だけ視線を交わしました。
彼はいつもと同様の澄ました表情ですが、その瞳の奥には『お嬢様やっちまえ』という好戦的な光が宿っています。
「バーナム様。本日、わたくしはあなたにお返ししたいものがございますの」
少々場がざわっとしたのは、『見えない鎖から解き放たれた令嬢は』を御存じの方が多い証拠でありましょう。
ええ、これも作中の、しかも主人公が婚約破棄を宣言する直前のセリフですから。
小説ではここで婚約の証である青い宝石の指輪を投げつけるのですが、わたくしは違います。
トーマスから受け取り、バーナム様に差し出したのは分厚い紙の束です。
バーナム様は訝しんだ、と文学的に表現してみます。
「何だこれは。愛の手紙か? 悪いが重いのは好みではないのだ」
「いいえ。これはドナフィーノ伯爵家からの婚約破棄合意書、及びバーナム様の素行調査報告書。そして……これからベストセラーになる予定の、サモーの新作ですわ」
わたくしが婚約破棄を企図していることに、夜会の参加者全員が気付きました。
そしてサモーの新作というところできゃあという声が上がりましたね。
トーマス、次も売れそうですよ。
バーナム様が眉を顰めます。
「……婚約破棄合意書? つまりオレとの婚約を破棄したいと?」
「さようです。今のバーナム様はカブトムシではないでしょう? 蝶を集める蜜で満足していらっしゃるようですから」
羽虫は失礼だと思いましたので、蝶に言い換えてみました。
クスクス笑い声が聞こえます。
これくらいの皮肉は許されますよね。
「チェルシー貴様、何を血迷っているのだ。傷物になるだけだぞ」
「血迷っているのは果たしてどちらでしょうか」
わたくしの代わりに一歩前に出たのは、トーマスでした。
「バーナム様。あなたがこれまでにお付き合いされた女性達のリストです。全て裏は取っております。この中には他家の既婚者も含まれていること……よろしくないのではないですか? これらが公になれば、エルボロースフット侯爵家の名声はどうなるでしょう」
「貴様、ただの執事が……!」
「ただの執事ではございません。僕はサモー。しがない小説家にございます」
やっぱりサモーよ、という興奮した声があちこちから聞こえます。
わかります、わたくしもトーマスが超人気作家サモーだなんてビックリしましたもの。
トーマスは芝居がかった礼を披露し、懐からメダルとを取り出しました。
「先日国王陛下より賜りました文化勲章です。そして先ほどチェルシーお嬢様から紹介がありました、こちらの新作小説のタイトルは『蜜に溺れたカブトムシ、穴に落ちる』。主人公のモデルは、もちろんバーナム様でございます」
「オレがモデルだと? 名誉棄損で訴えるぞ!」
「おっと、読みもしないで名誉が毀損されたと思うわけですか。普段の振る舞いが察せられますなあ」
周囲から失笑が漏れ始めました。
トーマスは公平ではないですか?
バーナム様をカブトムシと見ているわけですし。
バーナム様の顔が、怒りと恥辱で真っ赤に染まります。
「ふ、ふざけるな! そんな三下作家の妄言など、誰が信じるものか!」
「信じるか否かは問題ではありませんよ」
わたくしは扇で口元を隠し、最高の笑顔を向けました。
「文壇の寵児サモーの新作として世に出れば、社交界の誰もがあなたを見るたびにあの滑稽なカブトムシだわと思い出すようになる。それが物語の持つ力ですのよ」
バーナム様は絶句し、膝をつきました。
あれあれ、バーナム様飲み過ぎではないですかね?
どれほど文武に長けていようと、ペンで描かれた滑稽な偶像からは逃げられませんよ。
あれほどくっついていた令嬢方が、今は遠巻きに見ているではないですか。
侯爵様のほうを見たら、オーケーサインが出ています。
これくらいのお仕置きがバーナム様には必要だと考えているようですね。
場を荒らしたわたくし達はそろそろ退場しましょう。
バーナム様が片膝をついたまま言います。
……存外絵になっていますね。
「父上にも伯爵にも根回し済みなのだな?」
「婚約破棄がですか? 当然ではないですか」
「……チェルシー。本当に行くのか?」
バーナム様ったら、今になって寂しそうに見てくるのですから。
わかっていますよ。
わたくしを蝶と見ているのか羽虫と見ているのか知りませんけれど、自分から去っていくのが耐えられないだけでしょう?
「ええ。わたくし、今日から止まり木を探しに行く予定ですから」
きゃあ、サモーっぽいわとざわめく夜会参加者を背に、わたくしはトーマスの差し出した手を取りました。
会場を出ると、心地よい夜風が頬を撫でます。
「お見事でした、お嬢様」
「トーマス。今のシーン、次の小説に使ってもいいけれど……わたくしのセリフはもう少し可愛らしく修正しておいてね?」
「善処しましょう。ただ、今のあなたはどんな物語のヒロインよりも輝いて見えましたよ」
笑顔のまま馬車に乗り込みます。
見えない鎖はもうどこにもありません。
わたくし達の物語は、まだ第一章が終わったばかりなのですから。
――――――――――後日談、ドナフィーノ伯爵家邸にて。チェルシーとトーマスに会いに来たバーナム。
「そなたらの婚約を祝福してやろう。贈物も持ってきた。だからこう、ちょっとオレを格好良く書いてくれ」
図々しいだけでなく、案外打たれ強いバーナム。
この辺が魅力なのかも。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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