忌み子の愛しき人形 side:???
…いつからだろうか。
何事にも虚無感を覚えるようになったのは。
「君、うちの子になるかい?」
路地裏で雨に濡れ、身を屈めていた薄汚く痩せ細った私に、手を差し伸べた男がいた。
最初は、すごく、嬉しかった。
温かい毛布で私の髪を拭いて優しく話してくれたし、柔らかい布に包まれて眠ることができた。
路地裏にいた時よりも格段に良い食事も雨風に当たらない部屋も用意してくれた。
その時は、すごく幸せだったのだと思う。
だけれど、私の体の肉付きが多少良くなった頃…それは始まった。
いつものように、部屋の中で1人食事をしている時、拾ってくれた男に呼ばれていつもと違う部屋に連れてこられた。
「今日から君は、ここで過ごすんだよ。
これからしばらくの間、ここで座ってるだけでいいからね。」
そう促され、いつも寝ている部屋よりも煌びやかな部屋の中心に私は座った。
座るところは、とてもふかふかしていて心地が良かった。
私を拾ってくれた恩もあるし、断る理由もなかったため、男の言う通りに私は座っていた。
それから少し経って、1人の太った男が現れた。
その男は、目がチカチカする装飾を身に纏って、裕福さを表すように腹が丸く膨れている男だった。
最初は、私の姿を見て嫌悪感を表していたが私と目があった途端、男は人格が変わったのかと思うほどに私に好意を向けてきた。
初めは、驚いたけれど先ほどの嫌悪感は気のせいだったのかと思い、嬉しかった。
こんな私にも、好意を向けてくれる人がいたんだと。
だが、そんな初心の気持ちも時が経つに連れてすぐに錯覚だったと気づいた。
最初に現れた丸い男は毎日のように私に会いにきた。
私に「本当にあなたは麗しい…この世の誰よりも負けない美しい方だ。」などと意味のわからない言葉を連ねて時間が経てば、この部屋の出入り口に待機していた黒い布を身に包む大きな男たちがその丸い男を外に引きずっていく。
そしてまた別の男が現れて「麗しい…美しい」などと言葉を連ねる。
だんだんと恐怖を感じるようになった。恐ろしかった。
始めは、好意だと思った。
だが、同じような日が続くと全く教養を受けていない私でもわかった。
この毎日のように数が増えながら現れる人たちは、私に好意など向けていないと。
この男達はそれぞれの理想や容姿、声、表情、仕草を思いながら、その理想の女性に言葉を向けているだけなのだとわかった。
だって、この男達の目は虚で私自身を見ているわけではなかったから。
それに気づいた時、私はとてつもない恐怖と嫌悪感と自責に包まれた。
私に向けられていたと思っていたものが、私ではなかった。
気づきたくなかった、知らなければよかった。
私ではない私に対して言葉を連ねる男が、毎日のように現れる。
頭がおかしくなりそうだった。
嫌だと、この部屋から逃れようとすれば隣にいる黒い男に腕を掴まれて定位置に戻される。
そうして、あそこに一日中座る生活がずっと続いた。
気が狂いそうだった。
そして、1回。
たった1回だけ、稀にこの店に来る、私を拾ってくれた男に助けを求めたことがある。
その男は、この部屋へと繋がる、ある通路を歩いていた。
あの部屋を抜け出して、黒い男たちの間をすり抜けてやっとの思いで私はその男に言った。
「こんなことはもうやめたい」と。
その1回が、悪手だった。
私が助けを求めた瞬間、その男は激昂し私の手を叩き払い、私を突き飛ばした。
「そんな薄汚い手で私に触るな。」
とてつもなく冷たい声でそう男は言った。
私の中の助けてくれた男は…優しく話しかけてくれた男はどこにもいなかった。
あっけに取られ、呆けている私を見下して何を思ったのか…男はさらに罵声を飛ばした。
「…どんな思いでお前を拾ってやったと思ってる!?
あの賭けに勝っていれば…あんな小細工に惑わされなければ!!
気味の悪いお前を拾うことなどなかったのに!!!
薄汚いお前を!!私が、拾ってやったのだ!!
お前のような者が私の店に居れることだけでも感謝しなければならないのに、嫌だと?やめたいだと!!?
ふざけるな!!!」
と言いながら私の体を蹴り続ける。顔以外の足や横腹などを踏みつけ、蹴り飛ばす。
その時私は、謝るばかりだった。
男の罵声からは、憎しみ、怒り、気味悪さからの不快が感じられた。
その時、私は察してしまった。
身をもって体験してしまった。
私がここにいられるのは、この得体の知れないモノのおかげなのだと。
コレがあるから、私はここに居れるのだと。
だがそれは同時に、私の気持ちは無いものとして扱われる。
道具として私はこの店に置かれているのだと思った。
そうして、殴り疲れたのかあの男は黒い男に「もう、二度と私の目の前に現れないようにしろ。」と命令した後、どこかへ行ってしまった。
そうして、引きずられながらあの部屋へ戻される途中、ある人たちが私の方へ目線を向けている気がした。
その方を見ようとすると、硬い金属の物が私の額に飛んできた。
その中に入っていた白い粉が舞い、咽せる。
「こっち見ないで。化け物が。」
そう言う女性の声が聞こえた。
その声はとても冷たく憎悪が宿っており、涙声だった。
「お前が、私たちのお客さんを奪ったのよ。」
「あんたのせいでお客は変わった。あんたのせいで、あの子は傷をつけられてやめちまったんだ。」
「あの人は…あの方は私をもらってくれるはずだった。
ここから連れ出してくれるって。いろんなところに連れて行ってやるって言ってくれたのに。」
そう、最初につぶやく女性を筆頭にこの通路に繋がる扉から呟く女性たちの怨恨の声が聞こえた。
————もう二度と、私たちの前に現れないで。化け物が。
そう暗に言われた気がした。
きっと、彼女たちの表情は悲しみと憎しみと恐怖が入り混じっているのだろう。
あの男に殴られて、軋むように痛む全身を引きずられながら、私は考えた。
…当たり前、か。と。
今まで私のところに来ていた人たちは、彼女たちの大切な人で。
彼女たちをここから救い出してくれる光で。
それを私が奪ったんだ。変えたんだ。
私が…この地獄を作ったんだ。
その日を境に私は何も感じないように、感情的にならないように自分を殺した。
自主的に世界から色を消した。全てが灰色になった。
この地獄を作った罰を受けるように、この店の人形となるように。
いつもの場所に座っているだけ。
それだけじゃないか、簡単なことだ。
今も、あのお姉さんたちのお客さんを奪ってる。
でも、死のうとしても去ろうとしても隣にいる男たちに阻まれる。
この気味の悪い”何か”の止め方もわからない。
あぁ…でも、コレももう直ぐ終わる。
ここへ来て、奇妙なことが起こるようになって。
段々と死へと近づいていることを感じているから。
これで、私が死ねば…お姉さんたちに光を与えてくれる人が現れてくれる。
だから、だから…。
絶対に、私のこの気味が悪いモノが私の命を蝕んでいるだなんて悟られないように。
感情を殺して、人形になれ。
それが、この世からいなくなることが、私にできるの最後のことだ。
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そうして私が部屋から抜け出すことがなくなり、いつものところから動かなくなってあの男は
「やっとわかってくれたんだね。そうだよ、私の愛しきドール。
君は、そこで座っていてくれるだけでいいんだから。」
と上機嫌になっていた。
それもそうだろう、私が従順になったのだから。
その人形が、壊れる寸前だとも知らずに。
だが、この体はしぶといらしく、未だ鼓動を鳴らしている。
…早く死んでくれないかな。
そう思い、いつも通りに座っていたその時だった。
突然、辺りが騒がしくなっていた。
いつもの罵声を上げて、瓶が割れている音が絶えない騒ぎなら聞き覚えがあるが…なんだろう。
今回は違う気がする。
コレは…まるで、誰かから”逃げている”ような悲鳴混じりの騒ぎ方だ。
刹那、目の前の扉が蹴破られ、そこには…黒いマントを羽織った人物が居た。
その手に気絶した黒い人を持ち、放り投げる。
「……え」
刹那、私は扉の前にいたと思っていたこの人に担がれ、気づけば地獄の檻の外にいた。
浮遊感に駆られ、この街の屋根全体が見えるほど高い上空に飛んでいる。
…いつぶりだろうか、陽の光を浴びたのは。…眩しいなあ。
そう思っている時に、
「なんだ。思ったよりガキじゃねぇか。」
と誰かが呟いた気がしたが、このときの私には何を言っているのか理解できなかった。
そうして、私の視界は顔を隠すように被された布で遮られる。
その布の隙間から、壁が崩壊し内装が露出した店の中にいるあの男が、こっちを指差しながら必死に喚いている様子が見えた。
何を言っているのかはわからなかったが…なんだか、いい気味だと思った。
だが、おかしなものだ。
全く知らない人に攫われていると言うのに、なぜか逃れようとする気が起きない。
…いや、逃げようとしても逃げれないのか。
体が脱力してしまっている。
今まで座っているのがやっとだったのだ、…そりゃそうか。
そうして、黒いマントの人が急降下する衝撃と同時に、私の意識は暗転した。




