噂多き店
ある遊廓の一角に、とても麗しい方がいると噂されている。
その麗しい方は、出会う者すべてを魅了し、とてつもなく良い夢を見させてくれるという…
しかし、誰もその姿を見た者はおらず、残るのは…快楽の余韻のみ。
だが、快楽を求めて足を運ぶ者は後を絶たず。
今日も、その噂を聞きつけ、麗しき方がいる園へ1人の者が訪れる。
「なんだ。思ったよりガキじゃねぇか。」
そう麗しき方に言い放つ愚か者が。
ーーーーーーーーー◇
「…麗しき方。ですか?博士。」
とある朝の本棚に囲まれた薄暗い部屋にて。
中性的な子供が、本棚に積まれた書類を運びながら、博士と呼ぶ背の高い女性に疑問を示していた。
「ああ、最近妙に賑わっている遊郭あるだろ?」
と背の高い女性は、脚を組みながら優雅に紅茶を飲んでいた。
「…あ、あの繁華街ですか。
確かに、人通りは多いですね。
特に一箇所に。」
そう言いながら、中性的な子供は自分の小さい体が隠れるほどの大量の資料を、女性が座る机の上に置いた。
その置かれたたくさんの書類の中の一枚を女性は引き出し、片手間に目を通しながら話し始める。
「そう、そこにある店に珍しい奴がいるみたいでな。」
「それが麗しき方。ですか。」
「ああ。だが、異様に人が集まってるから調べてくれと仰せだよ。」
「…薬が流行ったんです?」
「うんや?今回は薬ではないみたいだぞ?」
「では…。…アレ関連ですか。」
「そうだな〜、相変わらず理解が早くて助かる。」
満足げな表情を浮かべる女性は、億劫そうにため息を吐く中性的な子供に賞賛を贈る。
だが、当の本人は
「…沢山博士にしばかれたので。」
と、その時の状況を思い出したのか、ぼんやりと上を見上げながら、気怠そうに呟いていた。
「お前は察しはいいんだが発想が斜め上をいってるんだよな。
ある意味、頭が硬いと言うか。」
言われた本人は不服そうだが、内心納得しているのだろうか。
反論はしていなかった。
この中性的な子供は、後に〈ルア〉と呼ばれ《亡霊》となる内の一人である。
”ルア”。その者は、《亡霊》のリーダー的存在であり、一番取り沙汰されない人物でもあった。
だが過去の”ルアとなる人物”は、この時レイという名で呼ばれている。
そしてレイは博士と呼ぶ黒髪の背の高い女性の助手として、多くの人物に情報を提供する無所属の探偵であった。
「と。いうわけで、だ。
お前、ちょっくら潜入してこい。」
「…なにが”というわけで”、ですか。嫌です。」
と突如として言われた無理難題に、即拒否したレイ。
「行け。」
「嫌ですよ。なんで自ら精神干渉を受けに行く馬鹿がどこにいるんですか。」
「ここにいるだろう。」
「…馬鹿なんですか?
そもそも、博士が行けばいいのではないです?」
「私らは元々大馬鹿者なのを忘れたか?
それに私は、色々と忙しいんだよ。」
「そもそも依頼を受けなくても良かったではないですか…なんで…。」
と博士に疑問という名の文句を言おうとしたレイだが、なぜか途中で口を閉じる。
2人は言葉を交わさぬまま目を合わせ、沈黙が流れる。
そして最初に視線を逸らし、沈黙を破ったのはレイであった。
「…はあ。
わかりました、行けばいいのですよね?」
と承諾の意を示すと、博士は満円の笑みでルアの方に腕を乗せ、元気よく拳を上げた。
「ヨシ!
それじゃあ、色々と今日の動きについてじっくり話し合おうではないか!愛弟子よ。」
「こういう時に限って愛弟子っていうのやめてください。」
元気満載な博士とは対照的に、レイは億劫そうにまたため息を吐いた。
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時刻は夜。シンと静まり返った繁華街に活気が宿り、色鮮やかに輝きながらも、どこか危うい雰囲気が漂う。
多くの人々を惹きつける評判の店へまた1人、茶髪の”青年”が訪れた。
例の店の入り口はある閑静な路地裏にひっそりと佇んでおり、その扉の前方に立った青年はある言葉を口にした。
言葉を発した数秒後、ギギギという錆びた金属音とともに木製の扉が開き、その先には小柄な案内人が1人立っていた。
狭い一室には古びた木製の机と椅子が1脚だけ置かれ、遊郭とは思えないほど質素な内装の中、案内人の清潔で美しい衣装がひときわ目立っている。
予想とは異なる室内の様子に、青年は驚きと疑問を浮かべていた。
そんな青年の様子に、案内人は苦笑しながら手招きし、戸惑いつつも青年はその扉をくぐり、簡単に挨拶を交わした。
青年のごくありふれた行動に対して、案内人はなぜか驚きながらも嬉しそうに返事をし、さらに奥の扉へと案内された。
扉の先には通路が広がり、その奥にある扉からは淡い光が溢れていた。
光の差す方へと進むと、そこは先ほどの殺風景で古びた印象とは対照的に、色彩が豊かで華やかなエントランスが広がっていた。
宝石で豪華に装飾された天蓋などの細かな装飾品が飾られているのを見るにも賑わっているのがわかる。
「…あらお兄さん、いらっしゃい。
あなたこの店は初めてかしら?」
カウンターで受付の中年男性と会話していた、美しい黒の長髪の芸妓が青年に近づいてきた。
その女性に気づいた青年は、女性の方を向いて頷いた。
先ほどの案内人はいつの間にか先ほどの薄暗い部屋に戻っていったようだ。
女性は訪れたばかりの青年に、
「ようこそ、ルペール・イシュタルへ。
あなたもリリスちゃんを選びにきたの?」
と、目を細めて青年に問いかけた。
だが、青年はその者の名を知らないのか、首を傾げる。
「…いや、この店には絶対に訪れたほうがいいと友人から聞いたものでね。
指名は特にいないよ。」
「あらあら、そうなのね?
それなら良かったわ。もしリリスちゃんをご指名だったら、今日は少し無理そうだったから。」
と安堵した様子で、彼女は答えた。青年はさらに問いかける。
「…リリスさんという方はそんなに人気なのか?」と。
その問いに黒髪の芸妓は頷き、少しため息をつきながら、
「ええ。本当はあまり言わない方がいいのでしょうけれど…
今いらっしゃるお客さん方のほとんどはリリスちゃん目当てよ?
もし、あなたがリリスちゃんを指名するのであれば、今日中に会えるかどうかもわからないわ。」
と返した。その言葉に、青年は「そんなになのか。」と驚いた様子を見せた。
「そうなのよ。
……もし今夜のお相手が決まっていないのであれば、私がお相手させてもらえないかしら?
こう見えても、リリスちゃんが来るまではこの店の芸妓で一番だったから、後悔はさせないわよ?」
と誇らしげに笑う彼女に、青年は「そうなんだな」と感心しながらも承諾した。
その返答に、彼女は
「それじゃあ、今夜はお互いに楽しみましょうね。
アルさん、今いいかしら。」
と青年たちが会話していた様子を受付から聞き耳を立てていた中年男性〈アル〉に話しかける。
「なんだ?
…お前が、相手するなんて久々だな。」
「そうかしら?
…まあ、あの子を指名する方が多かったからね。仕方ないでしょう。」
「それもそうか。あいつ以外を指名するなんぞ、よほどの物好きもいたものだな。」
とアルは黒髪の芸妓の後ろにいる青年を一瞥しながら、手元にある引き出しから一枚の書類を引き出し青年に呼びかける。
「おい、そこのにぃちゃん。」
「なんだろうか。」
「今回は、初めてっつうことで色々説明せねばならんのよ。
この店について色々とな。」
「わかった。」と黒髪の芸妓の後ろにいた青年は、アルの正面に立った。
「それじゃあ、説明するぜ?
まあ、大体聞いてると思うが。
この店には、芸妓と遊女の2種類がいるんだわ。
あんたが指名しようとしてるこいつは芸妓だから、夜の相手は専門外だ。
それでも良いんだな?」
と黒髪の芸妓を指差し、青年に確認すると青年は承諾する。
その青年の様子に頷き、アルは説明を続ける。
「そんじゃ、次は制限時間についてだな。」
と言いながら、アルが取り出したのは14cmほどの蝋燭だった。
そして、この蝋燭を指差しながら
「この蝋燭を、入る部屋の扉の前に置いてくれ。
燭台に置けば勝手に火がつくようになっとるからな。
ほんで、これが溶け切ったら終了だ。
その時にゃ俺か他のやつが聞きに行くから、もう少し時間追加したい場合はその時伝えてくれ。」
「了解した。」
「ほんでな。料金なんだが、この蝋燭一本につきざっと3ゴルドだ。
時間追加する場合は、3種類あってな?
時間はこの蝋燭の半分、一本、または二本分から選べる。
それぞれ、1ゴルド5リディア・3ゴルド・5ゴルドになっていて、最初の代金に上乗せされる仕組みだ。
ま、気が向いたらやってみてくれ。
帰る時になったら代金をキッチリもらうからな。間違っても逃げるなんてこと思わんことだ。」
「わかったか?」と尋ねるアルに対し、説明を律儀に聞いていた青年は理解し、頷いた。
その様子に感心したアルは、
「ほんじゃ、姉さん待たせちゃいけねぇからな。
さっさと次へ進もう。
…にぃちゃん、名前は?あだ名でも良いぜ?
ただ、姉さんとかが呼ぶ名だ。変な名はお勧めしねぇぞ。」
と名を尋ねると、青年は少し考えた様子を見せた後、「そうだな…”ウィリム”でお願いしよう。」と答えた。
「”ウィリム”、ね。
了解だ。…これで、いつでもこの店利用して良いぜ。」
と言って、ウィリムに渡されたのは、彼の名が刻まれた銀のペンダントだった。
「…これは?」
とウィリムが尋ねると、アルは得意げに話す。
「すげぇだろ?これは、この店の利用許可証みたいなもんだ。
次来る時にゃ、このペンダント見せてくれれば、こういう手続きなしで好きな女選んで入れる優れものよ。」
「この短時間で彫ったのか?すごいな。」
「そりゃあ、にぃちゃん。
この店の売りでもあったからな。一時期はこれ見るために客が集まったってもんよ。」
「そうなのか。」
「ま、今にゃあいつ目当てで来る客が多いもんで目にされなくなったがな。
…ま。これで、諸々の手続きは終了だ。
もう行っていいぞ。楽しんでこい」
「それじゃあ、ご案内するわね。ついてきて。」
とアルから蝋燭を受け取ったウィリムは、後ろで待っていた黒髪の芸妓に案内されて奥の部屋へと向かった。
奥へ行く途中、何人かの芸妓や遊女とすれ違い会釈をされたが皆、笑顔を見せてはいたものの、
生気が感じられず、今にも自害しそうなほど精神的に病んでいるように見えた。
そして進むにつれ、通路にも重苦しく険悪な雰囲気が漂い、
男達の罵声や無数の陶器が割れる音が壁越しにかすかに聞こえてきた。
補足なのですが、この世界の通貨はゴルド・リディア・ゼスがあり、それぞれ金・銀・銅の鉱石を使っています。
1ゴルドは一万円、1リディアは千円、1ゼスは百円ほどの価値ですが、
この世界の1ゴルドは3人暮らしの平民の親子が2ヶ月、金銭的に問題なく暮らせるほどの大金であり、逆に5ゼスほどで平民が食べる黒パン一個が買えるようになっています。
つまり、黒髪の女性と蝋燭一本分(約2時間)を過ごすのに3万円かかっていることになりますね…




