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亡霊の軌跡  作者: 氷淡月
10/27

束の間の幸せ side:シュティ

※本章には、暴力的な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

 母の腕の中で、私は涙が枯れそうなほど泣きじゃくっていた。

 そして、この家で過ごしていた過去の記憶が、頭の中へ流水のように流れ込んでくる。


 隠し事をして母に怒られ、泣いた思い出。

 毎年決まった日に祝ってもらい、美味しいものを食べた楽しい記憶。

 母が好きな花が咲き誇る草原を一緒に歩いた美しい記憶。

 母の料理を真似しようとして失敗した、苦い記憶。

 

 夜が怖く、母に添い寝してもらった温かい思い出。

 欲しかったものを買ってもらい、幸福感に包まれた記憶。

 私と母を見る周囲の視線がどこか異様だった、不思議な記憶。

 けれど、それでも幸せに平凡な日常を過ごしていた、きらめくような過去の記憶。


 私は、小さく素朴で、くだらないほど当たり前の日常を過ごしていたことを知った。

 …いや。思い出した、の方が明確だろう。


 過去の追憶を終え、気づけば私は再びベッドに寝ていた。

 …この家で過ごしていた約6年もの記憶に、意識を失っていたようだ。


 体を起こし、再度この部屋を見渡した。

 見慣れた絨毯。母と文字を覚える時に使った勉強机。

 過去に水をこぼし、少し色が変色してしまった床。

 母に怒られた記憶を思い出させる、低い位置に落書きが描かれた壁。

 

 …あの頃から、まったく変わっていない。


 起き上がり、母がいるであろう台所へと向かう。

 ここへ帰ってきた当初は、あの猫に案内されないとわからなかったが、今はもう違った。

 

 記憶を思い出したからなのか…それとも身に染み付いていたのかはわからない。

 だが、何も考えずともこの家の配置はわかった。


 記憶を見た際は何もかも大きく感じていたが、今は小さく感じる。


 …それは、そうか。

 路地裏とあの地獄に約3年ほど居たのだから、身長も伸びているだろう。


 …不思議なものだ。ここへ帰ってきた当初は足が何かに縛られているように重たかったのに。

 今は、解き放たれたように身体が軽く、息も上がらなかった。


 台所の扉を開けば、「おはよう、シュティ。よく眠れた?」と微笑む母がいた。

 その手には、私がこの部屋へ来ることがわかっていたように朝食が入った皿を持っていた。


 「おはよう、ございます。」とぎこちなく返事を返す私に対し、母は小さく笑った。

 「あら、タメ口でいいのよ?

 久しぶりで気まずいだろうけれど、その方が私も嬉しいわ。」

 

 その提案に、私は「…わか、った。」と頷くと母は嬉しそうに微笑んだ。

 「ふふ、それじゃあ朝ごはんにしましょうか。」

 と出されたのは、記憶の中で鮮明に輝いていた、ごく普通のサンドイッチだった。

 

「固形物を食べても大丈夫だと思うのだけれど…

 食べられそう?」

「はい。」と答えようとした瞬間、私の腹が鳴った。


 その様子に母は、柔らかく笑った。

「それなら大丈夫ね。ささ、召し上がれ。」

 と促され、私は少し顔を赤らめながら「…い、ただきます。」と口にサンドイッチを運ぶ。

 

 …おいしい。


 ただ、その一言に尽きた。

 なんの変哲もない、野菜とベーコンが挟まれたパン。

 だけれど、美味しかった。


 私が食べる様子を見ていた母は、私の真正面の席に座り

 「まだあるから、いっぱい食べなさいね。」と微笑んでいた。

 その言葉に私は、ただ頷いた。

 温かさを噛み締めながら。


 ふと母が、何かに気がついたように、扉の方へ視線を向けた。


「…あらフェイちゃん。おはよう。」

 母の視線の先には、あの猫(フェイ)がいた。

 

 サンドイッチを食べつつ眺めていたが、ふと違和感を覚えた。


 …なんだか、体がふらついていないか?と。

 私をここへと案内してくれた時には、もっと凛とした動きだったはずなのに。

 

 だが、母は気にした様子もない。

 昨日初めて会ったばかりの猫だ。私が知らないだけだろう。

 …気のせいだ。と自分に言い聞かせ、サンドイッチを頬張る。

 

 だが、胸騒ぎは一向におさまらなかった。

 

「フェイちゃん。

 今日、ノアさんを見ていないかしら?

 いつも、この時間になればここへ来るのだけれど…」

 と母は猫に問いかけた。

 ノアさんとは、あの猫がよく肩に乗っていたあの男性のことだろう。

 

 だが、猫は何も言わない。

 その猫の様子に、母は心配そうに椅子から立ち上がり、猫に駆け寄ろうとした。

「…フェイちゃん?

 どうし——」

 

 刹那、視界が赤に染まった。

 

 母の胸に、剣が突き刺さっていた。


 ……え?


 今の状況が理解できなかった。

 …理解したくなかった。


「…ぁ…?…しゅ、…てぃ?」

 

 血を吐きながら私の名を呟く母は、胸の剣が抜かれた途端に崩れ落ちた。

 机が倒れ、皿が落ちる音が響く。

 床に赤が広がる。


 私は尻餅をついた。


 ……え?


 訳がわからなかった。

 …幻だと思いたかった。


 母の背後には、黒い装束をまとった人間が立っていた。

 その手には、母の血が滴る大剣。


 続いて、背後から強い風圧と重い音が響く。

 振り返ると、もう一人の黒衣の人間が木製のドアを踏み倒していた。

 その手に、無数のナイフを刺されたあの男性(ノア)を持っていた。


 黒衣の人物は男性を引きずりながら、近づいてくる。

 引きずられている男性は死人のように動かず、鮮明な赤を身に纏わせていた。


 この人間は、近づく際に横にいたフェイを踏みつけ、蹴り飛ばす。

 濁った、血肉が潰れるような音が響く。


 …何が、起こっているのかわからない。

 分かりたくない。


 身体が強張る。

 刹那、この二人の人間は心臓目掛けて大剣とナイフを突き立て、そのまま持ち上げた。


 視界が揺れる。床へ叩きつけられる。


 …痛い。苦しい。熱い。


 今まで感じたことがない痛みに、恐怖に支配される。

 

 私の頭を踏みつけられ、手と床に縫い止めるようにナイフが突き刺さる。


 …なんで?

 ……どうして?

 

 どうして、こんな時に限って、あの”忌まわしいモノ”は役に立たない?


 あれだけの地獄を作り、あの女の人たちを苦しめたのに。

 …なんで、この人間たちはあのようにならない?


 いくら考えても、この惨状は変わらない。

 ただ、刺された部分が熱を帯び、意識が遠のく。


 赤で染まる視界で、私はこの人間達を見上げた。

 黒のマント。隠れた顔。見えるのは目元のみ。

 

 だが、この男たちの目は、憎悪と怨念が濃く凝り固まったような、底知れぬ殺意で私を見下ろしていた。

 まるで、私がこの男たちの大切なものを奪ったと思うばかりの…

 敵討ちのような殺意を込めて。

 

 それを最後に、意識は途切れた。


 

 —————————◼︎

 

 —シュティ 。

 齢九。赤紫に近いピンク色の瞳を持つ少女。

 ◼︎年◼︎月◼︎日、何者かによる刺傷により死亡。

 

 周囲には、親子と思われる男女の遺体。

 心臓を中心に複数の刺し傷が確認された。

 

 少女は、六歳から行方不明となっており、親と見られる人物が住んでいた家の室内で発見された。

 また、少女を過去に目撃した住民からは


「気味が悪く、見ていると嫌な気分になった。」

 

 という証言が多く寄せられていた。

 

 さらに一部の住民からは、こうした話もあった。


「あの子…ときどき虚空を見つめながら呟いていたの。

 まるで……私たちに見えていない”何か”が見えているみたいに。」


「それに、母親と一緒の時は無邪気で可愛らしい子だったわ。

 でも、母親が離れた瞬間——


 ”歪んだ笑顔で笑っていたのよ。”


 あれは…少女の皮を被った”化け物”だわ。」

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