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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

忘恩は世の習い

 朝もや立ちこめる山道を、大きなシルバーウルフを連れた冒険者がゆっくりと街へと向かい歩いていた。

 男は、私の住む村を襲ったオークの群れを退治した、村の英雄とも呼べる人物。本来ならば村人総出で見送るべきところが本当なのに、誰に見送られる事もなく立ち去ろうとしていた。

 男は、肩にかけた鞄から干し肉を取り出すとふたくちみくち(かじ)り残り、をシルバーウルフに与えた。嘘の匂いを嗅ぎ取ると喉元に食らいつくという逸話のある、決して人に懐くはずのないシルバーウルフは、まるで子犬のように男にじゃれ、干し肉を美味しそうに頬張った。


 それを見た私は、村長は朝食すら出さなかったのかとため息を漏らし、あきれるやら恥ずかしい気持ちがこみ上げた。

 恥ずかしさのあまりかける言葉が見つからない私は、木陰に隠れ男を見送った。

 シルバーウルフは私に気づいたようだが歯牙にもかけず通り過ぎていった。誇らしげに先導するシルバーウルフとゆっくりと確かな足取りで街へと向かう男は、木陰に隠れる私に、とてもまぶしいものに映り、目蓋(まぶた)の裏にいつまでもその姿を残した。


 人づてに聞いた話によると、男は異世界から来た人間で、言葉がわからず。ずいぶん人に騙され、利用され続け、頑なな人間になったそうだ。


 ところがある日、ひとりの女冒険者と出会い男は変わった。


 以前の男は笑われる事を嫌い、決して人前で話そうとしなかった。しかし女と出会ってからは、ひどい(なま)りで人に笑われようと何度聞き返されようと構わず、楽しそうに誰とでも言葉を交わすようになった。

 やがて男の周囲には冒険者が集まるようになり。そしてそれがパーティになった。

 男が持つ神からのギフト、アイテムボックスの利便性によりパーティは大量の食料と水を持ち運べ、どんなに重くかさばるアイテムや素材も持ち帰る事ができた。そのためパーティは1年で10年分の稼ぎを手にした。そしてそのお金を元手にそれぞれの夢を叶えるためパーティは解散し、危険な冒険者家業を廃業する運びとなった。


 女は街で料理屋を開く事が夢だと語り、男はいつしか女の夢を叶える事が自分の夢になった。男は故郷の料理をキャンプ中のパーティに振る舞った事があった。料理は中々の好評で、これならお店の目玉商品に出来るかもしれないといった手応えも感じていた。


 空き店舗を見繕い、それを買い取るだけのお金と当座の開店資金をテーブルに並べ、ふたりはワインで乾杯をした。

 女が買った特別な高級ワインは味が酸っぱく喉越(のどご)しがイガイガしてひどかった。しかし我慢すれば飲めない事もなく、女も美味しそうに飲んだので、こういう物かと、幸せな雰囲気を壊さないよう男はぐっと飲み干した。


 それを確認した女はにやりと笑い、男にこう言い放った。

「あなたって本当、あきれるぐらいおめでたいのね。こんなに簡単に事が運ぶと、今までの緊張が肩透かしを喰らった気分だわ」

 男は何かを言おうとしたが、身体が痺れ口がパクパク動くだけだった。

 その様子を見て勝ち誇ったように女はあざ笑い、続けた。

「毒蛾の痺れ粉をワインに混ぜたの、女冒険者ならゲスな仲間に1度は盛られる代物よ。でも、あんな不味いものをよく全部飲めたわね」

 そう言いながら女はおかしそうに吹き出し、更に言葉を続けた。

「あなたみたいに変なしゃべり方をする人にこれからの人生ずっとつきまとわれたら迷惑なの。だってこれからは冒険者なんて惨めな生き方を辞め、誰からも尊敬されるまともな暮らしをするんですもの。そこにあなたがノコノコ付いてきたら私まで笑い物になる。それだけは()()()ごめんだわ」

 そう言うと女は玄関の扉を開き、外から誰かを家に招き入れた。それは男が弟のように面倒を見てきたパーティメンバーのひとりだった。

 ふたりは手早く金を袋に詰めると短剣を抜き、女はこう言い放ち男の胸に1本刺し、弟分も続けて男の胸に1本突き刺した。

「忘恩は世の習いなの、悪く思わないで」


 男は死に金は奪われた。


 日が昇り始めると男は、冒険中に拾ったシルバーウルフの幼犬に餌をあげるため街の門の外に出るのが日課だった。


しかしこの日はいつまで経っても男は現れない。


 子犬は門の前を行ったり来たり、時折クゥーンと悲しそうな鳴き声を上げた。

 ふたりの門番は「少し遅れてるぐらいで、そんなに悲しそうに鳴くなよ」とか「人間たまにはハメを外して起きられない事もあるんだよ」とか子犬に声をかけ、弁当のパンをちぎり子犬に投げてみた。しかし子犬はパンに全く手をつけず男を待ち続けた。

 しびれを切らした門番の片方が男を呼びに行き、殺人が発覚した。


 葬儀は翌日執り行われた。


 元パーティメンバーにギルド職員、男が日頃利用していたお店の主や街の人達が参列した。

 門の外で子犬が悲痛な鳴き方をするため、本来はモンスターは街に入れてはいけない決まりだったが、警備隊長の計らいでシルバーウルフの幼犬も葬儀に参列した。棺の前にちょこんと座り、時々棺の隙間から匂いを嗅ぎクゥーンクゥーンと悲しそうに鳴き、参列者の涙を誘った。


 葬儀はしめやかに執り行われたが、司祭の祈りの最中におかしな事が起きた。


「金が欲しければ全部くれてやった、迷惑だと言えば黙って街から出て行ったのに、どうして…どうして…どうして…」

 亡くなった男そっくりの訛り声がした。人々は不謹慎だと皆眉をひそめ周囲を見渡したが、葬儀中に声真似をするようなバカな奴は一人もいない。

 しかもよく聞くと声は棺の中から聞こえた。


 次の瞬間、棺が揺れ蓋が開き棺から男の上半身が出た。


 司祭は腰を抜かし神に助けを求め、子犬はうれしそうに男に飛びつき、参列者の多くは教会から逃げだした。

 残されたギルド職員とパーティ仲間は、司祭を引きずり棺から離すと、男がアンデット化したのか討伐するべきかについて真剣に議論し始めた。


 その時、街の人間全員に神からの啓示が下りた。

『男が生き返ったのはギフトの力であり、人に殺された場合のみ七回まで生き返るギフトを私が男に与えたのだ』と声が聞こえた。

 神からの啓示など一部の教会関係者以外、初めてだったので、皆たいそう驚いた。


 その話はハンブルク街の奇跡と呼ばれ歌になり、多くの吟遊詩人が宮廷や酒場で演奏した。宮廷では悲劇が好まれ、酒場では喜劇として脚色されたものが好まれ、多くの笑いや涙を誘った。


 男は生き返ると女に会う以前の、誰も周囲に寄せ付けない寡黙な男に戻った。

 そしてソロで冒険者をするようになった。


 男は誰もやりたがらない報酬の低い遠い村々の魔物の討伐依頼を率先して引き受けた。

 人々からは逃げた女を捜しているのでは、と噂された。


□■□■□■□■□■


 私が見送った男の背中は、私の心に大きな変化をもたらした。

 今まで尊敬や憧れの目で見てきた村の大人達がひどくみすぼらしく、嘘付きで汚らしく思えるようになったのだ。


 オークから逃げ隠れするしかなかった村の男達は、自分たちの無力さや恥ずかしさを誤魔化すため、村を救った冒険者の男の事を殊更悪く言った。

 やれ、アイテムボックスの中には金を奪った女と弟分の死体が入っていて、時折女を取り出し眺めているに違いない。やれこの世界の神からのギフトを異世界人が贈られたのは納得いかないズルだ。ギフトさえあれば自分たちでもオークを狩れた、神の気まぐれで分不相応な男に村の金を奪われたようなものだと口々に不満を漏らした。その上、意地悪く訛りをモノマネして笑い物にする者さえいた。


 冒険者に救われた女達や、冒険者に憧れた子供達は、そんな村の男達を嫌った。しかし冒険者が村を出て数日もすると、まるで人が代わったかのように、口々に冒険者を悪く言うようになった。


 良いものを良いとは言えず、村の中の雰囲気や阿吽(あうん)の呼吸で良いものと悪いものがひっくり返ってしまう村の暮らしが、私にはひどく息苦しくてケチ臭く、卑怯なものに映った。


 村の暮らしがつらくなる度に、私は山道を歩く男の背中を思い出した。私には男が強い(あり)に見えた。いくら踏みつけにされても寡黙に一歩一歩生きるため歩みを止めない男の背中には、孤高で力強い意思と、運命に翻弄され根なし草のようにしか生きられない憂いのふたつを感じた。


 いつか自分も男と同じように力強く山道を歩き、村を出ていけたなら…。

 男の背中を思い出す度、私は冒険者になった自分を夢想した。


 季節はめぐり、木々は何度も色付き装いを変え、あれからずいぶん経った。結局あの男は女と再会したのだろうか?

 私は、どうかあの男が復讐などで汚れず、あの高潔で孤高な背中のまま、シルバーウルフと旅を続けている事を祈るばかりだった。

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