第一話 「5月14日 影が伸びるこの世界で」
「はあ……はあ……待って、待ってよ……」
夕暮れも近い、日本のある都市、浜桜市。その町を通る列車の中で一人の少女が、逃げる一匹の子犬を追いかけていた。しかし犬との距離は走れば走るごとに離れてしまう。この列車にあまり人がいなかったことが幸いだが、と少女が一人考えながら最後尾の車両に足を踏み入れると案の定、子犬が一匹奥のほうで向こうを向きながら止まっていた。
「やっと追いついた……ポチ、こっちに来なさ~い!」
少女は自分の愛犬に近づくと、腕を広げながら近づいていく。しかし妙なことに子犬はこちらを向かない。それどころか、少女の反対側をむいたまま、なにやら身構えている。まるで何かにおびえているように。少女はその様子に違和感を感じると、その方向に視点を移動した。するとそこには、黒い“何か”がうごめいていた。
「なに……これ」
少女もその光景に対して思わず一言。その声は震えていた。目の前の“何か”はだんだんその形を変えて、ついには人型になった。しかしその体は全身黒く、影が立体になったようなものになった。そしてその“何か”の腕はさらに変化して、刀のような刃物状のものになる。少女にもそれが命を刈り取るようなものだということはすぐにわかった。
「こっ、来ないで!」
少女はこちらに近寄ってきた子犬を抱えると、震えながらも勇敢に叫んだ。しかし“何か”は聞く耳を持たない。まず音を聞き取れないのかもしれない。それは少女を視界にとらえると、ゆっくり近づいてくる。少女は直ぐに逃げたかったが、恐怖のせいで足がなかなか動かない。
「やだっ……だめっ……」
その声は無慈悲にも“何か”には届かず、その刃は少女をとらえ、そして少女の身体を切り裂くー
ガギッ
ことはなかった。
「え……」
恐る恐る顔を上げた少女の前にはー
片手剣で“何か”の斬撃を受け止めているひとりの男がいた。その男はどこかの学校の制服のようなものに身を包んでおり、少し細身の体型だった。
「あなたは……」
「早く! 逃げるんだ!」
その男子学生は少女に向かって叫ぶ。相手のほうが力が強いのか、彼は少し押され気味だった。
「……っ! 早く!」
彼は刀を押し返すと、少女に向き直り、もう一声。
「う、うん!」
ようやく歩けるようになった少女は、犬を抱えたままその前の車両のほうへ移動した。
「その扉を閉めろ!」
男子学生は再び刀を受け止めると少女に指示する。
「わかった!」
少女は自身の力に対して少し重いその扉を閉めながら、自分を救ってくれた“ヒーロー”に質問した。
「ねえ、お兄さんは誰?」
「ああ、俺?俺は……」
もう一度押し返し“何か”に一撃を入れた彼は、少女に対してその答えを告げる。
「超能力者、だな」
そう最後まで告げたときにはすでに扉は閉ざされていて、少女はその答えを聞けたのかどうかはわからなかった。
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くそっ、あんなに余裕ぶってたけど、思ったよりも強いぞこいつ!
俺、世界晴翔は、舌打ちとともに“影”に向き直った。
“影”は相変わらず何も話さない。表情も、ましてや顔もない。理由は簡単、やつは“影”だからだ。
俺は“影”の斬撃を見切り、数回避け、こちらも数発斬撃を与えた。
“影”は何度も攻撃されたことによってよろめいたが、まだ消滅する気配すら感じない。
俺はひとりでここに来たことを少し後悔した。こいつはかなり危険な個体だ。その証拠にまず黒が濃い。
一般に“影”とよばれるこの怪物の強さの指標は数多くあるが、その中でもオーソドックスなのは、「黒の濃さ」と「その形態」だ。
“影”には様々な個体がいて、その黒さが濃ければ濃いほど強く、硬い。薄い個体は俺が数回攻撃しただけで消滅するが、こいつのような個体は基本的に数人で戦うことが推奨されている。ひとりで戦えるのはよっぽどの戦闘経験と戦闘に適した“固有能力”を持ち合わせているものだけだ。
しかも不幸なことに、この俺は戦闘経験こそそれなりにあるものの、いかんせん“固有能力”とやらに目覚めていない。つまり俺はこいつに対して何か特別な技を使えるわけでもなく、剣でちまちま攻撃しなければいけないわけで、これではまるで無茶だ。自ら死を急いでいるようなもので自分でも少し恥ずかしい。
と、奴の攻撃がまた来た。俺はそれをよけるようにバック中をし、その後隙が出来た相手の懐に入り込み“能力粒子”によって形作られた片手剣で数回攻撃する。
しかし、この場所はあまりにも動きずらい。何せ列車の一車両だ。あまりジャンプできないし、剣も横に振ると引っかかる。
そして相手が相手だ。一瞬の油断は命取り。その後数回さっきの手順で攻撃していったとき、
「……っ! まずい!」
俺は横目に車両窓の外を見て思わず声を出した。
夕陽だ。その時刻は午後のうち最も影が伸びる時、つまりそれは“影”が最も狂暴化する時間でもある。
“影”がぴたりとその動きを止める。そしてその姿が、そのどす黒さが、みるみるうちに増大していき、そして
「くそっ、間に合わなかったか!」
巨大な黒の化け物に変わった。
そしてその膨張に列車一両が耐えられるわけでもなく、
ガガガガ……という不吉な音とともに走行中の車両が破裂した。幸い他車両はそうはならなかったが。
そのまま俺と“化け影”は高架下の街に放り出された。
俺は落下中にガラスの破片その他によって身体中を傷つけられた。しかし俺は痛みを感じる暇もなくそのままー
「危ない!」
ガシッと何者かが俺の身体を空中でキャッチし、そのまま地面まで下ろしてくれた。
「ひどい怪我! 大丈夫ですか?」
「お前は……くう!」
俺は聞こえてきた声にこたえようとしたが、ここにきて痛みを感じ始めた。それでも俺はこいつの顔を見上げ、記憶の中の一人と特定するまでそれほど時間はかからなかった。こいつは“跳躍”の能力者、高跳叶飛。俺の一つ下の後輩だ。
てことは他の“二人”もいるわけで……
「はると⁉ きゃあ! ひどい怪我!」
「アンタ、また無茶して!」
あー、いつもの姉妹だ。先にしゃべったのは妹のほうの若葉もみじ、後者は姉の若葉さくらだ。もみじは高跳と同級生でさくらは俺のクラスメートだ。……今は。
「早くこっちに来なさい! 死にたいの⁉」
「……これ以上世話になると負けな気がするんだよな」
俺は“化け影”に向き直った。このままでは街に甚大な被害が出てしまう。
高跳は長棒を、もみじは大杖を生成し、戦闘準備は万全だ。
「俺も……ぐふっ」
「だーめ! アンタはおとなしくしていなさい」
俺はさくらに無理やり膝枕されると、傷口に触れられた。
するとみるみるうちに傷口がふさがり、痛みも治まってきた。彼女の“固有能力”は“治癒”。外的な傷をなんでもすぐに治すことができる。
まあ、なんというか逆ばっておいてなんだけどこの太ももの感触もまた、すばらし
ペチン、と頬を叩かれた。
「いってーな! 急にビンタするな!」
「なんかアンタやらしい目してたし! そりゃ同然よ……直ぐ痛くなくなるから殴りほうだいね」
「能力をそんな風に使うな! 新手のSMか!」
そんな俺たちを見て“化け影”を得意の“跳躍”で翻弄中の高跳が一言
「先輩たち! なにゆっくりしてるんですか!」
そうだった! ここは戦場、こんな風にしている場合ではなかった!名残惜しいが、俺は立ち上がると再び剣を生成、さくらも同じように二丁の拳銃を手に取った。
相手は強大だが、いつもの策で行くらしい。
「もみじ、まいたか?」
「うん、ばっちりだよ」
高跳が敵をけん制している間、もみじは“化け影”の周りに植物の種をまいていた。それはなぜかというと……
「植物さんたち! せーのっ!」
もみじが腕を一振り。すると、まいた種が一気に巨大なツルになって“化け影”を拘束した。
彼女の能力は“植物”。今のように植物を急速に成長させ、力を加えれば成長の限界を超えてのばすことだってできる。
「今のうちに、畳みかけて!」
「まずは僕から!」
高跳は高く跳び、その衝撃で“化け影”の脳天に棒をたたきつけた。衝撃も大きく、こちらまで波が伝わった。
俺は拘束されている足を何度も何度も切りつけ、後ろではさくらが銃で援護射撃してくれていた。
しかし
「……っ、そんな……」
消滅する気配すらない。こいつ硬すぎだろ!
ミシッ、ミシッ……
こいつ、ツルをちぎり始めた。ツルのいたるところから音が聞こえる。ちらっと横を見ると、もみじも限界が近いのか、苦しそうな表情を浮かべていた。
「ごめん、わたし……もう」
もみじの力が限界を迎え、倒れてしまった。それと同時にツルもちぎれ“化け影”の身体は再び自由を取り戻した。
怪物はドシリドシリと俺たちのほうに向かいその巨大なこぶしを振り下ろし、
「させない!」
どこからともなく声が聞こえ、それとともに“化け影”の周囲に無数の“鏡”が生成された。
「『無限の槍』!!」
鏡から無数に飛び出す槍。一瞬の攻撃が“化け影”に多大なダメージを与える。
そしてそれから5秒もしないうちに“化け影”は消滅した。
かわりに目の前に現れたのは、その“影”を消滅させた本人“鏡”の能力者で俺らの一つ上の先輩、鏡美写が立っていた。
「鏡美先輩!」
「写さん!」
俺とさくらはすぐさま先輩に駆け寄る。しかし先輩はそんな俺たちのことを見向きもせず、その長い髪を払いぽつりと一言
「……なってない、なにも」
たったそれだけ冷たく言い放ち、生成した“鏡”に入り、どこかに消えてしまった。
…………………………。
俺らの周りに微妙な空気が流れる。
「……なあ、晴翔」
静寂を破るように、もみじを抱えたさくらが言葉を発する。
「あたしたちのチームに入らないか?アンタ“サイキック部”がつぶれてから行き場ないんだろ?今回みたいに一人だと危険だしさ、あたしたち連携できているしさ」
俺にもそれは彼女の心遣いからくる親切だということに気付いている。俺にとっても悪くない提案だ。普通に考えれば俺にとってプラスしかない、でも
「すまん、俺はどこにも入れない」
その言葉にさくらは絶句する。しかしそれも束の間で、彼女は険しい顔になると俺に食い下がる。
「なんで、なんでなんだよ! アンタは“固有能力”も持ってなくて“サイキック部”だったときも何度も死にかけていて……それがソロでなんて、ほっとくとすぐに死んじまうじゃねーか! そんなことあたしは許せない。一緒にいて、癒させてよ……」
そこまで言ってさくらははっとなってよそを向く。なんか告白っぽくなってしまった勧誘に恥じているようだ。俺も恥ずかしくなってきた。再び沈黙が流れるが、俺は熱に耐え自分の考えを述べる。
「だから、だよ」
「は?」
これ以上言ったら彼女が傷つくのは分かっている。でも、告げるしかないんだ。
「俺が、弱いから、お前らとなんて並ぶ資格はない。俺をチームに入れたところで、俺はしょせんお前らのお荷物だ。」
「……っ」
自意識過剰かもしれないが、俺たちに危機が訪れたとき、あいつは俺を優先して助けるだろう。それはほかの二人に、妹とそして趣味で知り合ったらしい高跳がひどい目にあってしまう。そうなると彼女はきっと後悔する。それこそ俺が一番許せないことだ。
「でも、でも……」
「なんだ? お前まさか俺のことが好きなのか?」
ちょっぴり後悔した。こんなこと言うんじゃなかった。さくらは急にその顔を赤くすると、俺をひどく睨みつけてきた。
「そんなわけないじゃない! そんなに拒否するなら、もういいわ。あんたのことなんて知らない! 勝手に野垂れ死んどけばいいじゃない!」
「べー、だ!」といいながらさくらは逃げるように去っていく、もみじを置き去りにしたまま。あー、これ嫌われたな、うん。
「……よいしょっと、あのーえっと……いつでも待っていますので」
その様子を見かねたのか高跳はもみじを背負うと、俺にそんな言葉をかけてくれた。健気な後輩だ、なんかとても申し訳なくて泣けてくるよ。
「さくらのこと、大事にしてやってくれ。」
「え? な、何か僕勘違いされてる⁉」
-その後高跳とも別れ、俺は寮に帰った。夜ベットの上で、寝る前に今日一日のことを振り返ってみた。
やっぱ言い過ぎたな、からかうのはさすがに悪手だった。
そうこう考えるうちに俺はいつの間にか眠りに落ちていいた。
~続く~
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