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ダイヤモンドの向日葵  作者: 水研歩澄at日陰
明姫月高校野球部の始まり
49/56

第42話 虎の尾を捕まえろ!


「な、なるほど……確かにそれなら少しは楽にスイングできるかも」


 葵の戦略を一通り聞き終えた菜月は腑に落ちた様子で、ふんふんと首を縦に降っていた。


「それじゃあ、その作戦でランナーを溜めてメイちゃんまで回せれば……」

「いや、この回メイちゃんはアテにできません」


 誰もが思いもよらなかった葵の発言に、真っ先に不満の声をあげたのは当の本人であった。


「はぁ? なんなら私今日一番ヒット打ってるんだけど。アンタはいったい何が不満なワケ?」


 苛立ちを隠そうともせず食ってかかるメイに対して、葵はわざとらしいほどの大きなため息を漏らした。


「まったく、メイちゃんはす〜ぐまた見出しだけ拾って感情的になる。もう高校生なんだから人の話はちゃんと最後まで聞けるようになろうね〜?」

「アンタ、ほんっとにムカつくわね……」


 傍らでフツフツとフラストレーションを募らせるメイに構うことなく、葵は説明を続けた。


「前の2打席、明らかに他の選手よりキツくマークされた中でメイちゃんはヒットを打ちました。そんな選手に逆転のチャンスで打席を回したとしても、おそらくまともに勝負してもらえないでしょう」

「それは、そうかもしれないけど……」

「この作戦もいつまでも通用する訳じゃないでしょうし、勝負はその前までに、ってことです。デッドラインはおそらく、8番のシオリちゃんまで」

「はい……ッ!?」


 不意に名前を呼ばれて、栞李は思わず頓狂な声を上げてしまった。


「そこまでに最低でも同点にしておかないと、そこから先は相当マークが厳しくなるだろうから。厳しいとこ、任せるよシオリちゃん」

「や、私は……」


 勢いを取り戻しつつあるチームに水を指すのが怖くて、栞李はそれ以上言葉を挟めなかった。


次の打者(ネクストバッター)! 代打がないなら打席へお願いします!」

「はい! 行きます」


 栞李が逡巡してる間に、球審から声をかけられ先頭の沙月が打席へ向かった。


「先頭ファイトです! 沙月先輩!!」

「初球から積極的に行きましょー! キャプテン!」


 後輩たちの声援を受けながら手馴れたルーティンで川神沙月が左打席に入る。その様子を横目で眺めながら、本塁の後ろにポジションを取る大矢優姫乃は密かに警戒心を強めていた。


 前の回チームのエースが復調し勢いを取り戻している上に、この回は打線の中軸(3番)からの攻撃。チームの守備を取り仕切る捕手としては警戒して然るべき場面であった。


「ボール! ワン!」


 その初球、誘い球のチェンジアップを低めに沈めたが沙月はまるで反応を見せなかった。

 最初の打席のように狙い球を絞って待っているのかと打者に視線を飛ばした優姫乃は、そこでふと違和感を覚えた。


 3番打者の彼女が打席から半分足を出してベンチのサインをうかがっていたのだ。


 ノーアウトでランナーもいないこの場面でベンチのサインを確認する必要(セオリー)はない。よくよく思い出してみれば打席に入るの前も彼女はベンチのほうへ目をやっていた。その時はチームの声援に応えているだけかと思っていたが、どうもそうではないらしい。


 もう一度、様子を見るためにボールゾーンへ沈むチェンジアップのサインを出したが、マウンド上の陽野涼が首を振った。

 これについては彼女が単なる気まぐれで首を振った訳ではない。試合(ゲーム)におけるこのイニングの重要性を理解した上で、その先頭打者に対してボール先行のカウントを自ら献上してしまうのは得策ではないと考えていたのだろう。優姫乃もそれはすぐに理解できた。


「……」


 疑念はある。

 しかし、あくまでも純粋な力関係は優姫乃たちバッテリーのほうが上。変に警戒して後手に回れば、それこそ相手の思うツボだろう。


 そう結論付けて優姫乃が出したサインは左打者の外角(アウトコース)から入ってくる見逃し狙いのスライダー。陽野涼がカウント球として最も得意としている球種だった。


「ふっ……!!」


 涼もその要求に迷うことなく頷き、テンポ良く腕を振るった。

 コースは悪くない。キレもスピードも健在。まだ涼の集中は切れていない。優姫乃がそう確信した次の瞬間、視界の右端から白球に吸い付くように墨色のバットが飛び出してきた。



 ────キィンッ!!



 迷いのない鋭いスイングにとらえられた白球は地を這うような弾道で二遊間を破り、あっという間に外野手の前まで転がっていった。


「センター前ヒット!」

「よしっ! ひっさしぶりにランナー出た!」

「ナイバッチです! キャプテ〜ン!!」


 主将の一打に明姫月ベンチも目に見えて活気づく。


「よしっ! アタシも続くぞ」


 その波に乗って、続く明山伊織がネクストサークルから立ち上がった。大きく一度素振りをして、彼女もまた打席に入る前にベンチのサインを確認する。


「ボール!」


 その初球、空振り狙いのナックルカーブが外れ1ボール。

 このボールも前の打席までは面白いほど簡単に空振りが取れていた球だった。しかし、この打席では早々に見切りをつけられ、いとも簡単に見逃しているように見えた。

 もはや無視できないほどの違和感を抱えながら、優姫乃は明姫月ベンチに目をやった。


 すると、キャッチャー防具を付けたままの津代葵が打者に向かって何やらサインを送っていた。


 この行動もやはり違和感がある。

 状況はノーアウトランナー1塁。一見サインプレーを仕掛けてきてもおかしくなさそうな場面だが、試合はまだ2点差。ここでバントしてランナーを2塁に送ったとしてもヒット1本では1点しか返せない。ここから打順が下位に回ることを考えても送りバントは明らかに得策ではない。

 かといって、川神沙月(1塁ランナー)に警戒されるこの場面で盗塁(スチール)を決められるほどの脚力はなく、空振りの多そうな明山伊織(この打者)にエンドランを指示するのもリスクが高い。


 そんな現状で尚、打者が1球ごとにサインを確認する必要があるのだとすれば、それはベンチの彼女が狙い球を指示している(・・・・・・・・・・)場合。


 捕手として配球のセオリーを熟知しており、明姫月ナインの中でも一際駆け引きに長けている様子の津代葵(彼女)が次の球種やコースを予測し、打者に伝える。にわかに信じ難いが、それが現状では最も理にかなった戦略だった。


「ボール! ツー!!」


 その可能性を考慮し2球目もゾーン外の誘い球で様子を見るが、やはり反応はない。

 その1球を余裕を持って見逃した明山伊織は、また同じように幼顔の少女のサインに目を向けていた。


 カウントは2ボール0ストライク。バッテリーとしては是が非でもストライクが欲しい場面。こんな時、普段の大矢優姫乃であれば迷わず変化球でカウントを稼ごうとしていただろう。

 不利なカウントでも速球勝負(リスク)を冒すことなく変化球でストライクを稼げることこそが陽野涼の最大の強みであり、それを活かさない手はない。


 しかし、その配球が相手に読まれているのだとしたら話は変わってくる。


 この打者がもし本当にベンチからのサインで配球を予測しているのならば、おそらくセオリー通りの変化球を待っているだろう。

 そうとわかっていながらわざわざ変化球を要求する理由もないだろう。相手の頭にないであろう速球(ファストボール)で見逃しを取る。


 優姫乃のサイン(要求)に対してマウンド上の涼は一瞬怪訝な表情を見せたが、今度は首を振ることなく頷いてセットポジションに入った。

 1塁走者に気を使いながらクイックモーションで白球を投じた瞬間、打席の彼女が吐息混じりの声を漏らした。



「────きたッ!」



「え……っ」


 狙いを外したはずの速球に対して、明山伊織は完璧なタイミングで力強いスイングを繰り出した。



 ────キィィッ!!



 躊躇のないスイングにとらえられた白球は低い弾道で三塁線を襲った。


「ふっっ!!」


 抜ければ長打は免れない鋭い打球だったが、深めにポジションを取っていた三塁手が反応よく飛びついて間一髪グラブに白球を収めた。


2塁(セカンド)! 間に合う!」


 ライナー性の当たりで一瞬スタートが遅れていた1塁走者(川神沙月)を優姫乃は見逃していなかった。


「シズアウッ!」


「あぁ……惜しいっ!」


 惜しくも沙月は2塁フォースアウトとなったものの、連続した快音に明姫月ベンチの雰囲気も確実に上向いていた。


「いい当たりだったよ〜、イオリちゃん!」

「菜月センパイ! じゃんじゃん続いてきましょー!!」

「先輩、ファイトです!」

「菜月! リラックスだ! 気負わずいこう!」


 その声援を片耳に入れながら、優姫乃は1人静かに思考を巡らせていた。


 確かに相手の裏をかいたハズだった。

 そのハズなのに、明山伊織(あのバッター)はあたかも待ち構えていたかのようにフルスイングを繰り出してきた。

 念のためにツーシームを選択していたおかげで打球に角度は付かなかったものの、もし仮にストレートを要求していたら確実に三塁手の頭上を抜かれていただろう。


「ストライク! ワン!」


 緋山菜月(この打者)にしても、簡単に初球を見逃してきた。

 前の打席で三振を喫しているだけに、打者心理としては1つ目の(ファースト)ストライクから積極的にスイングをかけたいはず。

 そうしないということは、やはり打者本人(ソコ)とは切り離された他人の思考に依存して行動していることは間違いないはず。


 優姫乃はそう結論付けてミットを構える。

 この場面、バッテリーが最も警戒するべき結果は長打でランナーを得点圏に溜められること。それを考慮すればセオリーはアウトコース中心の配球。そこからゾーン内に曲げて内野ゴロ、あるいはファールを打たせる。

 前の打席でしつこくインコースを攻めているだけに、指示があろうとそう簡単には反応できないハズ。


 そう、今回もそのハズ(・・)だった。



 ────キッ!!



 明姫月の打者はまたしても優姫乃の予想を裏切り、待ってましたと言わんばかりの強振でその一球をとらえた。

 緩やかなライナーとなった打球は二塁手の頭上を越えてライトの前にぽとりと落ちた。


「ライト前! ランナー3つ行ける!」

「回れ回れーっ!!」


 明姫月ベンチの歓声を受け走り出した明山伊織は大きなストライドで2塁を蹴り、一気に3塁へと向かおうとしたが、素早く打球に追いついた蘭華の右翼手藤宮柚希から矢のような送球が返ってくるのを見て慌てて2塁ベースへ逃げ帰った。


「肩つよ……」

「けど、これで1アウトランナー1、2塁!」

ココ(・・)っ! ココココ!! ココですッ! このワンチャンスで一気に追いついちゃいましょう!!」


 訪れたこの日一番のビックチャンスに明姫月ベンチも最高の盛り上がりを見せる。しかし、大矢優姫乃はもはやその歓声も耳に入らないほど深く頭を悩ませていた。



 ────明姫月打線(あいて)の戦略の全貌が、まるでイメージできない。



 1人目の打者、川神沙月には陽野涼が最も得意としている配球パターンを狙われた。

 続く明山伊織にはあえてセオリーから外した配球を試したが、それも待ち構えていたかのように強打。

 そして、緋山菜月にも反応できないはずの球をストレスなく強振された。


 どれもこれも優姫乃の想定を裏切る動きだった。まるで自分の考え全てが見透かされているようで、心底気味が悪かった。


「お、おねがいします……」


 優姫乃があれこれ思案している間に、続く6番打者の芝原あやめが左打席に入っていた。

 優姫乃が直接覗きたいとさえ願うその脳内は、予想に反して非常にシンプルに整理されていた。



『────各々、自分が一番(イッチバン)得意な球に狙いを絞りましょう!』



 それはこのイニング開始前の葵の言葉だった。


『そもそもあれこれ狙いを変えながら打てる投手(相手)じゃないので、それぞれが打ちやすい得意な球ひとつに狙いを絞ってスイングしましょう。例えばキャプテンなら外から入ってくる変化球、イオリちゃんなら内よりの速球(ファストボール)みたいに』


 葵の提案は至ってシンプルなものだったが、シンプルすぎるが故にチームメイトの心中には不安が残った。


『けど、アタシたちは似たような作戦(こと)を一巡目でもしたろ? さすがに同じ手が二度通用する相手だとは思えねーけどな』

『そうだろうね。だからひとつ、カモフラージュのためのブラフを張る』

『ブラフ……ですか?』

『そう。あくまでもブラフだからただの“フリ”だけど、ベンチからワタシが全打席1球ごとにバッターへサインを出すからみんなはソレを見てて欲しい』


 核心をついた葵の発言に、チームメイトたちの表情もつられて引き締まる。


『1球ごと、ということは相手の配球に関するサインを出す……という訳か』

『はい。ワタシが逐一バッターに次の配球を予想してるように見せてバッテリーを撹乱します。捕手の意識をワタシに向けることができれば、打者への頓着が薄れてどこかでそれぞれの得意な球を引き出せるはずです』

『な、なるほど。確かにそれなら…………』


 葵のその言葉を頭の中で何度も復唱しながら、打席に立つ芝原あやめは自分の得意球『内よりのカーブ』をじっと待っていた。


「ふっッ!!」


 その初球、陽野涼が投じた一球はまさにあやめの狙い通りのボールだった。




 ────キィィンッ!!




 あやめの迷いのないスイングが白球をとらえ、一二塁間へのヒット性の打球となった。


「抜け……ッ!!」


 一二塁間を抜けてヒットになる。明姫月ナインの誰もがそう確信した当たりだったが、この打球も深めにシフトを取っていた二塁手がまた間一髪でグラブに収めてみせた。


2塁(セカン)取れる!」


 見事捕球した二塁手は優姫乃の指示通り素早く2塁に送球しランナーを封殺。その間に打者走者のあやめは1塁を駆け抜けていた。


「なぁ〜ッ! 惜しいっ!!」

「抜けてたら1点だったのに……」


 ベンチにいる明姫月ナインがその結果を惜しむのも無理はない。

 このイニングの頭から葵の戦略が奏効して鋭い当たりが出始めている。あの蘭華バッテリーを相手に一度も三振を喫することなく、いずれの打席でも明白に明姫月の打者が優位に立っている。


 そのはずなのに、あと一歩ホームが遠い。要所で尽く蘭華の堅守に阻まれ、試合の流れを変える決定的な“一打”が出ない。


「葵ちゃん! まだチャンスだよ! ここで一本お願いッ!!」

「葵センパイ! ここでどうにかこうにか1点返してくださいっ!」

「お願いだから何とか繋いで〜っ!」


 気づけばアウトカウントも2つ灯っている。ベンチからの声援もいよいよ縋りつくようなものばかりになってきた。


「ふぅ……ワタシにはちょっと荷が重いなぁ」


 チーム全体に募る焦りを背に受けて、津代葵が右の打席に入る。

 葵は明姫月(チーム)の中でも特段打撃が得意な選手ではない。ボールをとらえるコンタクト力も遠くへ飛ばすパワーもない彼女が打撃でチームに貢献するには、思い切って配球にヤマを張る他なかった。


 このイニングはここまでいずれも早いカウントからスイングをかけている。それを考慮すれば初球は空振り狙いのボール球から入ってくる可能性が高いだろう。


「ボール! ワン!!」


 葵の予想通り、その初球は真ん中低めにチェンジアップが外れ1ボール。

 バッテリーとしてはこれ以上無駄なボールカウントを与えたくないはず。

 狙うなら次の一球!


「……ふッッ!!」


 葵の予想通り、2球目はストライクゾーン内への速球だった。

 躊躇うことなく鋭いスイングを繰り出す葵だったが、陽野涼の投じたストレートはまたしても彼女の想定を上回るノビを見せた。


「ファールボール!!」


 その球威に押され、打球はフェアゾーンとは真逆の方向へ飛んでいった。


「くッッ……!!」


 読みは当たっていた。タイミングも完璧に合っていたはずなのに結果は同じ。打球はフェアゾーン()に飛ばなかった。

 それほど陽野涼の球がまだ走って(・・・)いた。試合も終盤、一打同点のピンチを迎え投球数が嵩んできても一向に球威が衰える気配がない。むしろ、この試合最大の佳境を前に集中力が増しているようにさえ見える。


 前の打者たちはそれぞれ自分の最も得意な球を狙い打ちしたにも関わらず、誰一人として長打にはできていない。それどころか、アウトを2つも計上してしまっている。明姫月が押し戻しているように見えて、未だに主導権は蘭華に握られたままだ。


 策を講じたからといって、この絶対的な実力差が消えてなくなる訳じゃない。


「…………ふぅぅ」


 本当に、この世の中は腹が立つほど理不尽だ。平等も対等もあるべきところにありはしない。


 津代葵という少女は誰よりも強くそれを疎み、憎んで、嫌悪してきた。


 だからこそ彼女は、その現実に直面しても容易に諦めるという選択肢に手を伸ばさなかった。絶望せず頭を働かせることができた。



 今の一球でストレートにタイミングが合っていたことに気づいたバッテリーが速球系の球種を続ける可能性は限りなく低い。初球のチェンジアップにも反応しなかったことを考えると、次の投球はスライダーかカーブでくる可能性が高いだろう。カウントにもまだ余裕はある。


 仕掛けるなら、ここしかない!!



「────なッ!?」



 陽野涼が足を下げるのと同時に、葵は本塁の上でバットを横に寝かせた。野球を知る者なら誰にでも通じるバント(・・・)の構え。

 それを見て瞬時に、蘭華の内野手たちがバントシフトを展開した。


「……」


 しかし、打席の津代葵は涼の投球(カーブ)を追いかけることなく、あっさりとその構えを引いた。


「ボール! ツー!」


 結果として、津代葵はボールカウント1つを獲得したが、蘭華バッテリーにはただそれだけのための行動(うごき)には思えなかった。

 2アウトからのセーフティバントは1巡目で実際に仕掛けてられている。その際は運良く打球がファールゾーンまで転がったために失点を免れたものの、作戦としては十分に機能していた。この場面で再び仕掛けてきてもおかしくはない。



 ────そう考えさせることこそが津代葵の目論見だった。



 守備側にとって、予想のできるセーフティバントほど恐れる必要のないものもない。その可能性が頭の片隅にさえあれば鍛えられた蘭華の内野陣であれば十中八九アウトにできるだろう。

 となればこの場面、むしろセーフティバントをさせたほうが蘭華にとってはアウトが計算しやすいはず。しかし、バッテリーは今の一球でセーフティバントは諦めてヒッティングに切り替えてくる可能性も考慮しなくてはならない。


 ストライクは欲しいものの、相手の出方も伺わなくてはならないようなこんな時、大矢優姫乃はある球種に頼るきらいがあった。

 投手にとってコントロールしやすい速球系(ファストボール)でありながら、手元で沈んで打ち損じを誘いやすい球種。

 そして、打者の頭にない時にこそ最大の威力を発揮する球種。


「……またっ!」


 今度は投手が足を上げた瞬間にバントの構えを見せる。それを見るや否や蘭華の内野陣がバントシフトに動き出す。1歩2歩、あと1歩でも多く。葵はギリギリまで内野手たちを引き付けてから素早くバットを引いた。


「──ッ!? バスター!!」


 バットを引いた勢いでそのままヒッティングに移る。狙い通りの球種なら強くスイングするだけで勝手にゴロになってくれるはず!


「ふッ!!」


 白球が投手の指を離れた瞬間、津代葵は確信した。



 ────きたッ! ツーシーム(・・・・・)!!



 予想通りの一球に対して、葵はまっすぐバットを走らせる。強く、速く。ただ、それだけを意識して。



 ────キィッ!!



 白球は、狙い通りスイングの下に潜り、鋭い打球がバントシフトで大きく開いたセンター方向へ飛んだ。


「……っ、いかすかッ!!」


 センター前に抜けようかという打球に対して、投手の陽野涼が咄嗟に利き手の右手を伸ばした。


「バッッカ涼!!」


 “ばちッッ!”という鈍い音上げて陽野涼の右手を弾いた打球はバントシフトで前にきていた三塁手とそのカバーにきていた遊撃手のちょうど真ん中に転がった。


「サード! 後ろッ!」

「いや、ショートのが速い!!」

「1塁でいい! まだ殺せる!」

面白い(イイ)とこ転がってる……!」

「葵ちゃんダッシュ!! 1塁間に合うよ!」

「葵センパイ!! 走れぇーーーっ!!」


 それぞれの声援が交錯する中、津代葵はただまっすぐに1塁ベースを目指していた。チーム内でも決して足が速いほうではない彼女が、ヘルメットを飛ばしながら懸命に足を回していた。

 彼女が塁間の3分の2ほどを通過した辺りで蘭華の遊撃手が打球に追いついた。タイミングは間一髪。アウトになればイニングが終わる。この絶好機を逃せば、もう二度と得点のチャンスは作れないかもしれない。


 走れ。走れ! 届けッ!!

 そんな無意識下からの叫声が彼女の背中を突き飛ばした。


「ふぐッ!!」


 最後は足がもつれたようなヘッドスライディングで1塁へと駆け込んだ。

 ショートからの送球と葵の手のひらが1塁に到達したタイミングはほぼ同時。どう判定(ジャッジ)されてもおかしくないプレーだった。

 グランドにいる誰もが固唾を飲んでそのジャッジを見守る。



「────セーフ! セーーーフッ!!」



 一拍の静寂を経て、一塁塁審は大きく両手を広げた。


「うしゃっ! ナイスガッツだ葵!!」

「カッコイイ! カッコイイよ! 葵ちゃん!!」

「よし! よしっ! よッし!!!」

「1点差! これで1点差っ!!」


 決死の走塁で待望の1点をもぎ取った葵に対して明姫月ベンチから惜しみない声援が送られていたが、当の本人は塁上でほっと安堵の息を漏らしていた。


「ふぅぅぅぅ……これはもうちょっとバッティングも練習しなきゃかな〜」


 明姫月ナインがようやく見えた反撃の兆しに一層士気を高める他方で、蘭華の内野陣は試合を止めマウンドに集合していた。


「アンタ、右手は大丈夫なの?」

「あ? 別に指先にちょっと当たっただけだろ。大した痛みもないし」

「まったく、打球に反射で右手出すクセ直しなさいってワタシは何度も……」

「あー、ハイハイ。悪ぅござんしたよ」


 その中心に立つ陽野涼は煙たげな表情で捕手の優姫乃の忠告をあしらっていた。

 虫の居所が悪そうなエースの態度を見て、優姫乃はふと視線を落とした。


「……みんな、ごめんなさい。この回点を取られたのは完全にワタシのせいだわ。向こうのキャッチャーに配球を読まれてたみたい」


 チームの主軸が肩を落とす姿に、その場にいた誰もが声をかけるのを躊躇した。


「割と早い段階でその事に気づいていたのに、対応できなかった。みんなは一生懸命守ってくれたのに、ワタシ一人が足を引っ張った」


 励ますべきか、慰めるべきか、誰もすぐには判断できなかった。


「だから、本当に……」

「────ホンットにお(ヒメ)様みたいな脳ミソしてんだな。オマエ」



 ただ1人、|同じくチームの主軸を担って《長く優姫乃と並び立って》きた彼女以外は。


「涼……?」

「いちいち複雑に考えすぎなんだよ、ヒメ様は。キャッチャーなんだから、もっとシンプルに投手(アタシ)実力(ちから)に頼ってればいーんだ。そっから先は投手(アタシ)責任(せい)だからな」


 わざとらしくイヤミっぽい口調でそう告げると、不意に無防備になっていた優姫乃の額を爪先で弾いた。


「だから出た結果に対してイチイチ謝る必要はないし、アタシも謝らない。そんなのは試合中にすることじゃねーからな」

「……そうね。うん、わかった」


 優姫乃が神妙な面持ちで頷くのを見届けると、涼は面皮に貼り付けていた深刻な表情をさっさと捲り上げた。


「けどま、もしどーしてもその責任を負いたいですってゆーんなら、試合に負けた後で気が済むまで謝って回ればいーだろ。そうやってシオらしくしてれば他のみんなには同情してもらえるだろーし? 悲劇のプリンセスみたいでカワイイんじゃね」


 その軽佻浮薄な一言がスイッチとなり、堰を切ったかのように優姫乃の口が回り始めた。


「…………アンタは相変わらずひと言もふた言も余計ね。喉にブレーキってものを搭載してないのかしら」

「はァ?」

「そんなんだからいつまで経ってもワタシたち以外友達できないのよ。いい加減自覚しなさいよね」

「や、別に友達くらいいるだろ。廊下でもよく歳下のヤツから話しかけられるし」

「それはアンタのことよく知らない後輩の子たちでしょう? ファンの子のこと友達カウントしないでよね。聞いてるこっちが虚しくなるから」

「あァ!?」

「アンタ、どうせSNS(ソシャメ)でもフォローされてるだけでメッセージとか一切こないんでしょ? 普段から傍若無人に振舞ってるから露骨に周りから避けらるのよ」

「関係ねぇだろソレ」


 試合中だろうとお構いなしに繰り広げられる日常的な小競り合いのおかげで、他の内野手たちも不思議と落ち着きを取り戻していた。


「さ、取られたものは仕方ないわ! みんな! さっきの守備、よく足動いてたわよ! 集中切らさずこっから先はゼロで終わらせましょう!」

「『おー!!』」

「んで、アンタはサイン通り構えたところに寸分の狂いもなく投げ切りなさい」

「んでアタシだけ命令なんだよ!」

「あ、そうだ! 2アウトだから基本バッター勝負で行きましょう。もしランナーに動かれてもみんなは守備優先で良いからね」

「ついには無視か……」


 改めてチームの気を引き締め直し、ポジションに戻ろうと振り返った瞬間にふと、優姫乃は明姫月(あいて)ベンチの異変に気づいた。




「……え? えと、ごめん、栞李ちゃん。もう一回言ってくれるかな?」


 そのベンチの隅で、菜月や他のチームメイトたちの驚きや戸惑いから成る関心を集めていたのは、次打者であるはずの末永栞李だった。




「────次の私の打席(ところ)、代打出してくれませんか?」




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