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ダイヤモンドの向日葵  作者: 水研歩澄at日陰
明姫月高校野球部の始まり
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第31話 ツケイルスキ


「あー、スライダーだったかぁ。スゴいなぁ、振るまでストレートにしか見えなかったよ〜」


 名前も知らない1年生投手相手にあっさり三振を喫しておいて、藤宮柚希は変わらずあっけらかんとしていた。


「アンタ、本当に人の心ないのね」

「えぇ? いやぁ、それはあると思うけどなぁ」

「それならもう少し落ち込むか悔しがるかしなさいよ。毎度のことながら気味悪いのよアンタ!」

「あはは、酷いなぁヒメちゃん」

「ヒメちゃん言うな」


 貶しているのか励ましているのか分からない優姫乃の言葉に柚希もしばらくは苦笑いを浮かべていたが、ふと思い出したかのように顔をしかめた。


「まあでも確かに、悔しくない訳じゃないか」


 入部以来長らく付き合いのある優姫乃や涼にとってはすっかり慣れたものだったが、この危うさすら覚える感情の起伏のせいで時に上級生でさえ近寄り難い雰囲気を放っていることもまた事実であった。


「おっ! いいなぁ、初回から燃えてるな〜! ユズ」

「あ、リョウくん。初回のピッチング、カッコよかったよ! さすがだね〜」

「別に良くないわよ。メイ・ロジャース(先頭打者)の時だけは集中してたけど、それ以降は制球もキレもバラバラだったじゃない。相手見て手抜くのヤメなさいって、いつも言ってるでしょ?」

「はァ〜、相変わらずヒメ様は手厳しいなぁ」

「だからヒメちゃん言うな!」

「だァからアタシは一度も言ってねーぞ? ソレ」


 グダグダと一向に守備に就こうとしない3人を注意できる上級生は今このグランドにはいない。


「お前たち。仲が良いのは結構だが、そろそろ守備に就け」


 代わりに3人をたしなめたのは、老成した黒縁眼鏡の女性だった。


「すっ、すみません監督っ! すぐ行きますから」

「ゆかりん、(なぁに)ピリピリしてんだ? 初回に点取れなかったからか?」


 一代で蘭華女子を全国屈指の強豪(ハイランク)校に育て上げた百戦錬磨の名将は、まっすぐに明姫月のベンチを見据えていた。


「今日の試合、どうやら向こうは本気で勝ちに来てるようだ。あまり気を抜いていると足元を掬われるぞ」


 その瞳が見つめる先、明姫月ベンチの内では2回表の攻撃を前に作戦会議が行われていた。



「────この勢いのまま先制点取りましょう!」


 その輪の真ん中に座る幼顔の少女は力強くそう言い切った。


「も、もちろん早い回に先制できれば理想的だけど、そう簡単にはいかないんじゃない? メイちゃんが手も足も出ないような投手(あいて)だし」

「あっ、あれはたまたま最後反射的に避けちゃっただけで、別に手も足も出なかったワケじゃ……」

「確かに相手のバッテリーは2人とも全国的に名の知れてる選手ですからね。メイちゃんが手も足も出ないのも無理ないです」

「聞ッきなさいよアンタ! 人の話をォ!!」


 倭田莉緒菜の好投のおかげで何とか意気消沈することなく踏みとどまっていた明姫月ナインだったが、依然として試合に勝つことはおろか、陽野涼(蘭華のエース)から得点を奪うことすら想像(イメージ)できずにいた。


「手強い相手なのは確かです。けど、ツケイルスキ(・・・・・・)はあります」


 そんな中、一人そう断言した津代葵の瞳にはただの強がりとは違う確かな自信(みらい)が映っているようだった。


「初回のメイちゃんの打席は投球(ボール)のキレや配球を見てもかなり厳しく攻められてる印象でしたけど、後の二人に対してはそうでもありませんでした。遥香先輩は最後三振しましたけど、それまで何球かは粘れてましたし、キャプテンの打球はコースが違えばヒットでした。両打席とも、メイちゃんの時とは明らかに投球の()が違います」


 実際に打席に立っていた二人もそれに同意するように頷いていた。


「つまり、蘭華のバッテリーが警戒してるのはハナからメイちゃん一人で、ソコさえ抑えておけば勝てると踏んでゲームプランを立ててる可能性が高いです」


 そこまで聞いてようやく、他のメンバーにも葵が口にした『付け入る隙』というものが見えてきた気がした。


「もしそうなら、メイちゃん以外の打者(バッター)にはある程度決まったパターン、自分たちの持ち球(手札)を最大化するようなオーソドックスな配球で攻めてくるはずです」

「な、なるほど。それなら少しは狙いが絞りやすくなる……かも?」


 そこまで聞いてようやく、これまでずっと首を傾げていた菜月が小さく首肯した。


「だからまずは、カウント球の“スライダー”を狙っていきましょう」


 葵の言説がひとつの結論にたどり着いたところで、相手の投球練習が終わりこの回先頭の明山伊織が打席に呼ばれた。


陽野涼(あのピッチャー)が使うスライダーは大きく分けて2つです。1つは空振りを狙ってストライクゾーンからボールゾーンへ逃げる(・・・)球。これは2ストライク追い込んだ時や初球から積極的にスイングしてきそうな打者(バッター)に対して投げることが多いです」


「ストライーク! ワン!!」


 打席の伊織は初球、葵が口にした通りのスライダーを空振りしてカウント 0ボール1ストライク。


「そして、もう1つが見逃しを狙ってボールゾーンからストライクゾーンに入ってくる(・・・・・)球。ワタシたちはまずこの入ってくる(・・・・・)スライダーを狙いましょう」


「ストライク! ツー!!」


 続く2球目も葵の言った通り、右打者のインコースからストライクゾーンへ曲がり込んでくるスライダーだった。伊織はこの球をスイングできず、あっという間に追い込まれてしまった。


「この球を打ち崩せれば相手のカウント球をひとつ潰せます。そのためにも、右打者(バッター)ならインコース、左打者(バッター)ならアウトコースに目を付けて、そこから曲ってくる球を積極的に叩いていきましょう!」

「で、でも……もし打席の中で1球もその球がこなかったら?」


 葵の割り切った作戦に対して真っ先に不安の声を上げたのは、この後6番打者として打席を控えている芝原あやめだった。


「その時は見逃し三振でも構わないよ。ただでさえ相手は格上なんだから、ワタシたちはできる限り頭の中を整理して打席に立たなきゃね」

「……あおいちゃんが、そういうなら」



「────ストライク! バッターアウト!」



 結局、伊織は続く決め球のチェンジアップを空振りし、三球三振に倒れてしまった。


「それじゃあナツキ先輩。先輩の打席からお願いします」

「わっ、わたしから!?」

「はい。イオリちゃんには説明してる暇がありませんでしたし、実力的にもナツキ先輩が適任だと思います」

「で、でもわたしは……」

「次の打者! メンバー変更がないなら速やかに打席に入ってください!」

「あ、はい! ごめんなさい!」


 菜月の心の踏ん切りがつかないうちに、球審から打席に入るよう促されてしまった。


「菜月センパイ! 初球から積極的にいきましょー!!」


 ベンチからの声援に送り出された緋山菜月は打席の中で縋るように葵の立てた作戦を思い起こしていた。

 左打者なら外のコースに目を付けておいて、そこから曲ってくる球を叩く。それだけを意識して初球を待っていた。


「よッ!!」


 しかし、その初球はインコースのボールゾーンへ切れ込むスライダーだった。


「ボール! ワン」


 菜月は狙いと全く違うその球に体勢を崩されながらも何とか見逃し、1ボール。

 初球はその球(・・・)が来なかった。例えそれで打者有利のカウントを作れていたとしても、菜月の心には少なからず焦りが滲んでいた。

 それは初回の陽野涼の圧倒的な投球を目の当たりにしてしまったため。あの遥香でさえ簡単に三振に仕留められた決め球(チェンジアップ)がある以上、2ストライクに追い込まれたらほぼ後はない。

 「三振でもいい」と口で言われていても、頭では理屈を理解していても、()がそう簡単には付いてこない。


「……ッ!!」

「ストライーク! ワン!」


 2球目はインコースの低めへ沈むツーシーム。これも葵の言う狙い球とは違う。

 これでカウントは1ボール1ストライク。勝負は、おそらく次の一球で決するだろう。


「……っ」


 勝負の一球を前に、菜月が吐き出した息は弱々しく震えていた。


 緋山菜月という少女は心の芯から優しく、そして臆病な性格だった。

 そのため、自分の失敗(ミス)のせいで誰かを怒らせたり、悲しませたり、感情的にさせてしまうことを何よりも恐れていた。だから彼女はいかなる時も穏やかな口調で話すよう心がけていた。常日頃誰の前でも優しい自分であろうとしていた。

 けれど、彼女はその全てを叶えられるほど器用な人間ではなかったから。時に不用意な一言で誰かの機嫌を損ねたり、感情的になった人に同調できずに突き放されることもあった。その度に真面目で臆病な少女は人一倍落ち込み、人一倍自分を責めるようになっていった。


 今もそうだ。

 それぞれがそれぞれの意気込みを持ってこの場に立っていて、チームとして遥か格上の相手に立ち向かおうとしている。

 その中で後輩がようやく見出してくれた活路。先頭に立った自分が失敗すればチームの士気に関わるだろう……とか。(後輩)の作戦が通用することを示すためにも、チームに勇気を与えるためにもここはどうしても“結果”が出さなければ……とか。そんな後ろ向きな緊張ばかりが菜月の胸の内を巡り巡っていた。



「────菜月っ!」



 そんな時、不意に菜月の耳に飛び込んできたのは聞き馴染んだ沙月(幼なじみ)の声だった。


気負い過ぎない(・・・・・・・)!! 普段(いつも)通りの菜月で!」


 ベンチの向こうの彼女は柄にもなく大きな声を張り上げて、打席に立つ菜月をまっすぐ見つめていた。


「……うんっ!」


 菜月にとって川神沙月は気心知れた幼なじみであり、ずっと傍で努力を見守ってきたライバルであり、お互いを尊敬し合ってきた無二の親友であった。そんな彼女の言葉は自分のもののように菜月の心にまっすぐ届いた。その言葉を胸に、強い心持ちを持ってバットを構え直す。

 カウントは1ボール 1ストライク。次こそ必ず“狙い球”が来る。そう自分を騙し込んで次の一球を待った。


「ふうッ!」


 力感なく投じられたその1球は菜月が目付けしていたコースとぴったり重なった。白球の軌道はまだストライクゾーンの外。それでも、菜月は自分の眼を疑わなかった。


 “迷うな! 必ずここから入ってくる!!”




 ────キィンッッ!!



「いい当たりっ!」

「抜けろぉぉ!!」


 迷いのないスイングでとらえた打球は地を這うような弾道で三遊間を襲った。二遊間寄りにポジションを取っていたショートが懸命にグラブを伸ばすが、打球は勢いを失わず間一髪のところでそのグラブの先を転がっていった。


「抜けたぁっ!!」

「やったぁ! この試合初ヒット!!」

「ナイスバッティングです! 菜月センパぁイ!!」


 両チーム合わせてこの日初めてのヒットが出て一気に明姫月ベンチの雰囲気が明るくなった。


「ありがとうみんな! さあ、この回一気に畳み掛けていこう!!」


 緋山菜月は確かに臆病でおっちょこちょいな一面もあり、川神沙月のように言葉や存在感でチームを牽引することはできなかった。

 それでも彼女は誰よりも心優しく、悩み苦しんでいる仲間(チームメイト)の心に敏感だった。自分が辛く苦しい時でも誰かの心に寄り添おうと努めていた。

 そんな菜月はポジションや学年を問わず多くの部員から慕われ、チームの精神的な拠り所となっていた。彼女の成功はチーム全員が喜び、後に続けという勢いを生んできた。

 だからこそ葵はこの作戦の命運(キー)となる先頭打者を、チーム全体の重圧(プレッシャー)を背負ってしまうであろう彼女に任せたのだった。




「……ッ!!」


 続く6番打者の芝原あやめも1ボールからの2球目をとらえた。


「センターの前…………っっゥ落ちた!」


 ふらふらと上がった打球には勢いがなく、中堅手(センター)の前で大きく跳ねた。


「やった! 2者連続ヒット!!」


 これで1アウトランナー1、2塁。葵のたった一つの作戦から、試合の流れが今、明姫月へ大きく傾こうとしていた。




 ────カィィィンッ!!


 続いて打席に入ったのはこの作戦の提案者でもある津代葵。彼女もまた初球のスライダーを迷わず強振した。


「上がった! いい当たりっ!」


 打球が上がった瞬間、応援席からは悲鳴のような声が上がった。

 天高く舞い上がった打球はセンターの後方まで飛んだが、葵のパワーではフェンスを越えることはできず。打球はウォーニングトラックの手前で中堅手(センター)のグラブの中に収まった。


「あー! おしいっ!!」

「もうひと伸びでタイムリーだったのにぃ……」


 しかし、その間に2塁ランナーはタッチアップで3塁へ進み、2アウトながらランナー1・3塁のチャンスを作った。


「栞李ちゃん! リラックスしていこー!!」

「栞李ぃ! ファイトぉ!!」

「ここ一本で先制しよ〜!」


 下位打線で作った先制点のチャンスに、明姫月ベンチから飛ぶ声援も明るくなっていた。

 チームで狙い球を絞り、頭を整理した状態で打席に立つことで、実力では格下の明姫月打線が強豪蘭華のエースを相手に互角以上に渡り合っていた。

 しかしそれも、百戦錬磨の蘭華バッテリーがいつまでも好きにさせてくれるはずもなく。


「すみません。タイムお願いします」



 作中で分からない野球ルール、用語等ございましたらTwitter、コメント等で気軽にご質問ください。


 私に分かる範囲でお答え致します。

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