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ダイヤモンドの向日葵  作者: 水研歩澄at日陰
明姫月高校野球部の始まり
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第29話 エースとエース


「ストライーク! ワン!!」


 続く2番打者、小坂遥香への初球は外のボールゾーンから大きく曲がり込むスライダーだった。


「ふぅ……」


 その表情はいつも通り起伏に乏しかったが、内心に余裕なんてなかった。

 普段、メイをたしなめる役回りに立つことも多い遥香だが、明姫月野球部の誰よりも彼女の実力を高く評価していた。だからこそ、そのメイが相手の思うがままに三振を喫してしまったことは少なからず遥香の精神状態に影響を及ぼしていた。


「ストライク! ツー!!」


 2球目、シンカーのような軌道で逃げながら沈むツーシーム。外低めいっぱいのコースだったが、捕手キャッチャー大矢優姫乃の捕球技術も相まって球審のコールはストライクだった。

 メイに引き続き、遥香もいとも簡単に追い込まれてしまった。しかし、遥香はこんな時何としてでもヒットを打ってやろうと思えるほど自分を高く評価していなかった。


「ファールボール!」


 こと打撃に関しては、遥香はチームの中でも苦手な部類に入る。打率もさほど高くはないし、どれだけ思いっきりスイングしても飛距離は外野の頭を越えない程度だった。


「ファールボール!」


 それでも、小坂遥香はこれまでずっと“メイの後ろ”を任されてきた。それはひとえに彼女の“空振りをしない”という能力スキルを信頼されてのことだった。


「ボール!」


 遥香はその能力を用いて、早打ちの多いメイの後ろで他の選手に変化球の軌道を見せる役割や相手投手により多く球数を投げさせる役目など、打線の中で欠かすことのできない重要なポジションを担っていた。


「……はァ、面倒だな」


 不意にマウンドの上からそんな声が遥香の耳元まで聞こえてきた。次の瞬間、陽色の彼女はマウンドの上から殺意にも似た威圧感プレッシャーを撒き散らした。

 次の1球、彼女が投じようとしているのはヒットにされるどころかバットに触らせるつもりもないような、絶対の自信を持った決め球。

 遥香はそう直感し、無意識のうちに顔に緊張が貼り付いた。



「────んッッ!!」



 吐息を握り潰すような声と共に放たれた1球はまっすぐストレートと同じ軌道を描いた。

 遥香の目に映るその1球は低めいっぱい(ストライクゾーン)に入っているように見えた。しかし、何とかカットしようと遥香がバットを出した瞬間、白球は彼女の視界から音もなく姿を消した。


「──ッ!?」


 ソレに気づいた時にはもう、遥香のバットは空を切っていた。


「スイング! バッターアウッ!!」


 ホームベースの手前で急速にブレーキがかかり、視界から消えるように変化するその球種こそ、陽野涼のもうひとつの決め球チェンジアップ。


「あの遥香センパイが……空振り!?」

「無理もないよ。アレは全国の強豪相手でも空振り率が50%を切らない魔球・・だからね。正直、何とかあの球を打ち返すっていうより、あの球が来る前に何とかするってほうが余程現実的だろうね」


 全国区の決め球とわかっていても、遥香ならバットに当てることくらいはできるかもしれない。葵の胸の内にはそんな考えもあった。けれどそんなものは全くにもって甘い見通しに過ぎなくて。


 実際に目の前で相対した“ホンモノ”はずっと大きく見えるのに、手が届きそうもないほど遠かった。



 ────キィンッ!!



「いい当たりっ!!」


 続く3番、川神沙月が初球のスライダーをとらえた打球は低い弾道で二遊間へ飛んだ。しかし、その打球は運悪く二塁手の正面に飛んでしまった。


「アウト! スリーアウト! チェンジ!!」

「ああっ……いい当たりだったのに」


 チェンジがコールされると、応援席からより一層の声援が沸き起こった。


「よーし。ラクショー」

「こら涼! アンタいちいち相手を煽るんじゃないわよ!」

「別に煽ってなっ……いてっ!」


 声援を浴びて悠々とベンチに戻る蘭華とは対照的に、明姫月ベンチには既に重苦しい空気がまとわりついていた。

 それほどまでに陽野涼《相手エース》の初回の内容は圧倒的だった。明姫月ナインが最も頼りにしていたメイがされるがままに三振を喫し、明姫月で最も空振りの少ない遥香がああも容易く空振りを奪われてしまったのだ。

 陽野涼のたった1イニングの投球に、明姫月ナインはすぐには守備に出れないほどに戦意をへし折られてしまった。


「み、みんな! まだまだ試合は始まったばっかりだよ! ほら、切り替えて守備いこう! ね?」


 そんな重く苦しい雰囲気の中、ひとり次のマウンドだけを見据えて呼吸を整えている少女がいた。


「ふぅぅぅ……よし」


 迷いなく立ち上がった彼女は真っ先にベンチを飛び出すと、落ち着いた足取りでゆっくりとマウンドに登った。どんな状況でも自分を疑わないその背中が折れかけたチームの心を何とか繋いでみせた。


「みんな! 切り替えていこう。まだ試合はこれからだ!」

「は、はいっ! キャプテン!!」

「そうですよね。切り替えていきましょー!」

「あ、あれ? 私の時と反応が……」


 倭田莉緒菜、川神沙月に続いて明姫月ナインが続々とグランドに飛び出していった。

 末永栞李もその最後尾から三塁手(サード)のポジションにつくと、不意にマウンドの上に立つ莉緒菜と目があった。その瞳は私から目を逸らすなと強く語りかけているようだった。


「ラスト1球!!」


 イニング前の投球練習を終えると、莉緒菜は一度マウンドから降り、ホームベースに背を向けた。目を瞑り静かに息を吸い込むと、そっと左手の甲を唇に当てた。

 それはまるで、その左手に己の生命を吹き込んでいるかのようで。その一連の所作は息を呑むほど美しく、広間の彫刻のような存在感を誇っていた。


「それじゃあ初回! しまっていこうッ!!」


 初回の守備を前に、葵は珍しく気合いの入った掛け声を上げた。

 相手先頭打者が打席に立つとより一層緊張感が高まる。莉緒菜の球威が戻っているのか、戻っていたとしてそれが蘭華女子相手に通用するのか。数え切れないほどの不安がナインの胸の内に押し寄せる中、莉緒菜と、その正面に座る葵だけがそれとは別の確信めいたものを瞳に映していた。


「プレイっ!!」


 堂々と、そして迷いなく両腕を振り上げる姿を見て栞李も確信した。

 帰ってきたんだ。マウンドの上に、“倭田莉緒菜”が。期待も不安も、全部1人で背負って立つチームの“エース”が。



「────んんッッ!!」



 肺を潰すような吐息から放たれた1球は見惚れるような美しい軌道を描いた。


「ストライーク! ワン!」


 初球は真ん中低めいっぱいに決まった。初球は定石通りの見逃しで0ボール1ストライク。


「ナイスボール! リオナちゃん」


 葵からの返球を受けると、サインを確認することなくまた大きく振りかぶる。しなやかで、淀みないフォームから放たれた1球は今度はど真ん中へ。相手先頭打者も逃さずその1球に対してスイングをかけたが、まっすぐ浮き上がる莉緒菜のストレートはそのスイング軌道の更に上を通った。


「ファールボール!」


 莉緒菜の投球はバットをかすめるようにしてバックネットを叩いた。

 これで2ストライク。追い込んだ。

 倭田莉緒菜という投手の情報をほとんど持たない蘭華の打者はまだ見ぬ決め球を警戒して少し深く(・・)構え直す。

 けれどもう、明姫月ナインには莉緒菜が次に投じるであろう球なんてわかりきっていた。


「んッッ!!」


 3球連続のストレートは前傾気味になっていた打者の胸元、内角高め(インハイ)へ容赦なく飛び込んだ。反射的に腰が引けそうになる打者だったが、その1球はギリギリいっぱいストライク(ゾーン内)と見てスイングをかける。が、白球はまたしてもそのスイングのを通過した。


「スイング! バッターアウッ!!」


 3球三振。それも遥か格上の蘭華の先頭打者に向かって臆することなくストレート3つを投げ込んでみせたのだ。


「やっ、たぁああ!! ナイスピー倭田さぁん!!」

「ナイスピッチ! 莉緒菜ちゃん!」

「ナイスボール」


 その結果を見て、一躍沈みかけていたチームが息を吹き返した。ベンチも野手も活気を取り戻し、盛んに莉緒菜へ声援を飛ばしていた。

 それはまさに1回の表に陽野涼が見せたのと同じ、相手を圧倒しチームに勢いをもたらすピッチング。紛うことなきエースの姿だった。



 ──キャィ!!


 続く2番打者、大矢優姫乃も高めのストレートを打ち上げ、打球は平凡なライトフライとなった。


「アウト!」


 ライトを守る菜月がそれを大事に掴みツーアウト。ランナーなし。明姫月ナインが少しずつ活気を取り戻しつつある中、不意に観客席からこれまでにない大歓声が上がった。

 打席に向かう彼女の姿を見て、思い出した。まだ初回の守備は終わっていないということを。

 この打者を抑えないことには明姫月の勝ちはない。明姫月にとってメイがそうであったように、彼女もまたチームの命運を背負う大黒柱(キープレイヤー)であったからこそ。




 ────3番右翼手(ライト)藤宮柚希。


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