第11話 いつかの肉刺
「今日の倭田さん、何だかこの前とは別人みたいだったね」
「うん、そうだね……」
その夜の食卓を囲む会話は決して晴れやかなものではなかった。
上級生たちの活躍で同点に追いついてもらった後も莉緒菜の調子が戻ることはなく、予定していた4回もたず、3回1/3で被安打8、5失点でマウンドを降りた。
何よりも彼女の不調を如実に物語っていたのが、10個のアウトの内、たったの1つしか三振を奪えなかったことだろう。これは莉緒菜の本来の投球スタイルからはかけ離れており、ストライクひとつ取るのに苦労するその姿は、思わず目を逸らしたくなるような酷い有り様だった。
「試合も結局負けちゃったし、早くもゴレンショーの夢が……」
新入生の思わぬ乱調で主導権を奪われた明姫月は、打線の粘り強い追い上げで最終回1点差にまで迫ったものの、一歩及ばず。最終スコア『6-7』で合宿初日の試合に敗れていた。
「で、でもほら、今日は乗り物酔いしてて本調子じゃなかったワケだし、得意のストレートも全然走ってなかったしさ……」
「なんで栞李が言い訳してるの?」
「あ……いや、なんでもない」
末永栞李の箸は時折目下の焼き魚をつつくだけで、かれこれもう五分近く彼女の口元から離れたままだった。
「まーまー、そんな顔しないでもシオリちゃんは今日もいい感じの活躍だったよぉ?」
「げ、葵先輩……」
栞李のふたつ隣に座っていた幼顔の先輩が、気まぐれに2人の会話に割り込んできた。
「2打数1安打で1打点、フォアボールも1つ。だけどなぁ〜、簡単に3塁線抜かれるし、最後あっさり見逃し三振してたし、全面的に『あと1歩』ってところだねぇ。惜しかったね!」
「はぁ、どうも……」
2人にとっては日常的な会話も、その間に挟まれた彼女からはまた違って映ったようだ。
「あおい……しおりちゃんにあんまりちょっかいかけたら、かわいそう…」
栞李と葵の間に挟まれたタレ目の少女、芝原あやめは落ち着かない表情で2人の顔を交互に覗き込んでいた。
「ダイジョーブだよ、アヤメちゃん。シオリちゃんとはいつもこんな感じだから」
「そう、なの?」
「え……ま、まあだいたい?」
彼女にそれ以上不安そうな顔をさせるのが忍びなくて、栞李はついいい加減な返事をしてしまった。
「そうだ! 葵センパイ! この後ワタシのスイング見てもらえませんか? 今日の試合もまた三振だったので」
そんな2人の雰囲気に構うこともなく声を上げたのは栞李の左隣に座る、トレードマークのポニテを下ろした仲村実乃梨だった。
「ん〜、見てあげたいのはヤマヤマなんだけど、この後はちょっとした先約があってね〜」
「そうですか……残念です」
「それ、バッティングなら私じゃなくて、アヤメちゃんに見てもらえば?」
「へぅ……っ!?」
あまりに突然の飛び火に、あやめは瞳孔の輪郭を失くす勢いで揺らした。
「け、けど……わたしとみのりちゃんじゃ、打席の左右とか……ちがうし」
「確かに右左は違うけど私より打順上だし、タイミングのとり方とかよく似てるから」
「ワタシもあやめセンパイと一緒に練習したいです!」
「で、でもわたしじゃ……」
「ワタシ、あやめセンパイのスイング、シャープでカッコいいなっていつも思ってたんですよ! ぜひコツとか教えてください!」
実乃梨の晴々と輝く瞳には、やはりあやめも適わなかった。
「……わかった、よ。じゃあ……ゴハンのあとに、ちょっとだけね」
「やった! それじゃあよろしくお願いしますね! あやめセンパイ!!」
「う、うん……よろしくね」
満面の笑みを浮かべた実乃梨は、勢いよく手元の白米をかき込んだ。
「ところで、シオリちゃんはいつまでゴハン食べてるつもりなのかな?」
「え? あ……」
言われて目を落とせば、そこには数十分前の着席時と何ら変化のない光景が広がっていた。
「ゆっくり味わってるつもりかもしれないけど、あんまりのんびりしてるともうみんな食べ終わっちゃうよ〜」
ひらひらとテキトーな笑顔を振りかざしながら、葵はさっさと席を離れていった。
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「ゔうっ……さすがに慌てて詰め込みすぎたかも」
結局、栞李は葵の言葉通り食事会場に残る最後のひとりとなってしまった。そもそも末永栞李という少女は少食と偏食の域に両足を突っ込んでいるような人間で、大食いも早食いも得意ではない。そんな日常に甘やかされた胃腸が今まさに、慌てふためいて火を噴き出しそうになっていた。
ふらふらと足取りも定まらない彼女が宿舎の玄関を出ると、心地の良い涼風が少女の前髪を揺らした。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、すぐ傍らに設置されていた自動販売機に小銭を呑ませようとしていたその瞬間だった。
────ドゥッッ!!
大木を叩いたような鈍い音が、栞李の耳に飛び入ってきた。
「なっ、なになに? なんの音?」
栞李が驚いて辺りを見回している間に、また似たような音が響く。
「こっちって、確か駐車場だけしか……」
恐る恐る音のしたほうへ足を向けると、人気のない駐車場の白々しい灯りの下、見覚えのある人影が荒い息を吐き出していた。
「……莉緒菜ちゃん?」
薄い光の中でもはっきりと目を引くほどの存在感を放つ彼女が向く先には、馴染みのある幼顔がキャッチャーミットを構えていた。
「うん、まだまだだね。どのみち明日もバンバン使うからね〜、この球」
ほとんど車の停まっていない駐車場の傍らで、2人は試合さながらの強度で白球を交えていた。
何やら会話を交わしているようだが、栞李の位置からでは遠くてうまく聞き取れない。
「あの2人、こんな所で何して……」
「あれ〜、栞李?」
「ヒュああっっ!?」
その光景に見入っていた栞李の背後から、緊張感からはかけ離れた気の抜けた声が彼女を呼んだ。
「み、実乃梨ちゃん? どうしてここに」
「どうしてって、8時までならココで自主練してもいいって聞いたから」
「そ、そうだったんだ……」
言葉通り、その左手には試合用のバットが、一歩後ろには同じくバットを抱えたあやめが心配そうにこちらを覗いていた。
「そうだ! 栞李も一緒に練習してかない? と言っても、できるのはせいぜい素振りくらいだけどさ」
「え?」
思いもよらない誘いを受けたために、一時の間返答が滞る。
「お風呂閉まるまでまだ少し時間あるし、明日の試合のためにちょっとだけ。どう?」
末永栞李はちゃんと考えるそぶりを見せてから、ぎこちない笑顔でゆっくりと首を横に振った。
「いや、私は今日はいいや。バス移動長くてちょっと疲れてるかも」
「そっか……うん! じゃあまた後で部屋でね!」
「うん。また……」
残念そうな表情をする実乃梨から逃げるように、栞李ははや足でその場を後にした。
右手中指の先に残る、いつかのマメをさすりながら。
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