アリスの簡易魔法陣。
「第三回戦、第八試合の選手入場」
最早聞き慣れた審判さんの声に従い、私は闘技場へと足を踏み入れます。
短い階段を登ると対戦相手が目に入りました。
またも服を着ているので犯罪者ではないのでしょうが、顔は犯罪者そのものと言えるでしょう。
「とんでもない嬢ちゃんだな。俺はこれまでの相手のように油断しねぇ。可愛がるのは勝負がついてからだっ!!」
「………」
勝負がつく前に勝った後のことを考えている人が油断していない…?
まぁ相手の言葉通り、これまでの様にはいかないでしょうが、中身は同じですね。
「では、始めっ!!」
審判の合図と同時に相手は大きな身体を小さく構えました。
私の脚だけを気にしているようです。
来ないのであれば好都合。
「『fire』『wind』」
私は二枚の魔法陣を取り出し、この世界に存在しない言葉を紡ぎます。
高さ2mはある火柱に強い風が吹き込み、相手に火柱が向かいます。
ゴウッ
「なっ!?魔法!?」
魔法に見えるでしょうが違います。私に魔法の教養はありませんから。皆さん一生勘違いしていて下さいね?
男に向かった炎では、火傷を負わせることが精一杯でしょう。
しかし、人…いえ、動物や魔物は本能的に火を過剰に怖がります。
ダッ
「こんにちは」
「えっ……?」
ドゴッ
火を避けた男は先回りしていた私に驚き、その驚愕を顔に貼り付けたまま気を失いました。
炎は目眩しです。
「これからはあの程度の火であれば突っ込む事をお勧めします。その方がダメージは少ないですからね。……聞こえていませんか」
その試合はこれまでで最大の歓声が上がったようです。
そんな事を伝えられても、『はあ』としか答えられませんでしたが。
あれから四日。私は常に瞬殺で決勝まで残りました。いえ、殺してはいないので厳密には瞬殺ではないのですが。まぁ、それは置いておいて。
苦戦こそしませんでしたが、手の内はほぼ晒されてしまいました。
決勝の相手は、以前コロシアムの受付嬢さんが仰っていた殺人鬼の方のようです。
控室に私を呼びに来てくださるいつもの係の人曰く、その人は強さに驕ることなく相手をしっかりと観察するタイプの人間らしいです。
異常者であっても強者はやはり強者ですね。私も油断が一番の敵だと思うので、その人とは気が合いそうです。
「気が合うので必ず殺します」
向こうも殺す気…いえ。殺す事にしか興味がないようです。私は殺人に興味はありませんが、その人の罪を聞いて生かしておけるほどの聖人でもありません。
控室でその時がいつ訪れてもいいように、私は気持ちを昂らせていました。
ある所に、真面目な討伐者がいました。
その人は毎日真面目に魔物を討伐してはギルドに納品しており、誰の目から見ても優良討伐者として見られていました。
しかし、そんな男には秘密の趣味がありました。
真面目で実力も確かな男はすぐに高ランクの討伐者として多額のお金を稼ぐようになります。
しかし、いくら稼いでも男が浪費している姿を見る者は現れません。
お金を貯めているのか?貯めてどうするんだ?
誰が聞いても男は笑って誤魔化すだけでした。
男の住む家は、独身男性が一人で住むには大きな、そして他の家から離れた位置にある家でした。
そんな盗人にとっては絶好の場所にある家が安全なわけはありません。
高ランク討伐者の住まう家だとしても本人不在であればそれはただのモノ。
その家が高ランク討伐者のモノだと知らなかった泥棒が入ってしまいました。
誰もいない筈の家。そこに日中忍び込んだ泥棒は悲鳴を上げました。
その悲鳴を聞いて近所の人達が衛兵を呼んだ事で、泥棒は捕まるのですが、当然ながら話はそれだけで終わりません。
何故泥棒は悲鳴をあげたのか?
男の家の中には老若男女問わず多くのバラバラ死体と、まだ生きている人達は皆喉を潰されていて、身体はいたる部分が欠損していたのです。
しかし、男は捕まりません。
『私が買った奴隷をどう使おうが私の自由である』
法を犯してはいないので捕まえる事はできません。しかし、法だけが全てではないのです。街は男を追放しました。
その後、男は無差別に街の人達を襲い、殺した人の家で死体と共に寝ていた男は捕まりました。
『奴隷が手に入れられなくなったから、タダで玩具を手に入れた。これまで街を守ってきた料金を徴収したに過ぎない』
もちろん司法に男の言い分が通るはずも無く、男には百の殺人の罪が言い渡されました。
『コロシアムで優勝する限り死刑の執行は止まる』
男の罪を完済するには百回の優勝が必要。そんなものは時間的に不可能ではありますが、この国の法で男を処刑する事が不可能になった瞬間です。
「これより、決勝戦を開始する!!選手入場!」
これまで私にはいくつもの声援が贈られてきました。最初、中には罵倒する言葉も含まれていましたが、全て結果で見せてきたのでそのような言葉は次第に無くなってきました。
しかし、今はどうしてでしょう?
辞退してくれぇっ!!やめてくれっ!
はやまるなぁっ!!ここまでよくやった、強いのはわかったから、やめてくれ!!
私が戦う事を止める声ばかり聞こえます。
確かに私の対戦相手は強者でしょう。私にはない洗練された技術。強靭な肉体。理解不能ですが、安定した精神。
どれか一つでも私が優っているところはないでしょう。
自慢の脚も恐らく大差ないでしょうし。
理解しました。観客は私に惨たらしい最期を迎えてほしくないと思っているのですね。
・
・
・
アホですか?
「両者準備はいいか?」
審判さんが遠くから確認を行います。
私はそれに対して頷いて応え、対戦相手は細い目をさらに細くして笑みで応えました。
「では、始めっ!!」
審判さんの合図と共に客席からは悲鳴が聞こえました。私はまだ生きてますよ?
「さあ。君はどんな最期の顔を見せてくれるのかな?」
「一つ言っておきます。この戦いを戦いにするつもりは毛頭ありません。これは火葬です。貴方がこれまでに殺めた力無き人達の」
この男は私にとって許されない事をしました。
私は弱かった。それも自分で自分の事を自由にする事も出来ないほどに。
そんな弱者である私を救ってくれたあの人。
あの人は私以外の弱者にも手を差し伸べていました。私はその意志を受け継いでいます。
その人も私も聖人ではありませんが、この男が殺したのは過去の私。
仇は自分で討ちます!
「『fire』『wind』」
「それは以前見たよ。もうネタ切れかな?」
男は余裕ぶっていますがその表情はすぐに曇りました。
「『fire』『wind』」
私の呪文は止まりません。
「『fire』『fire』『fire』『wind』『wind』『wind』」
瞬く間に闘技場は火の海になりました。
「私と共に地獄の業火に焼かれましょう」
「馬鹿なっ!?お前も死ぬんだぞっ!?」
場外に飛び出せば私は助かりますが、この男は私がここに残っている限り、降りる事は出来ません。
場外負けイコール死刑ですからね。
「『wind』『wind』」
火の勢いが弱まると私は呪文を唱えます。
中途半端ではいけません。
「くっ……」
「やめろっ…やめろぉぉおっ!?」
男に余裕がなくなったのか言葉遣いが取り繕えていません。
かく言う私も皮膚が爛れてきました。脚はこの程度でどうこうはなりませんし、髪も燃えないように準備はしています。そしてこのメイド服も溶岩にでも漬けない限りは問題ないでしょう。
しかし、生身の肉体ばかりはどうしようもありませんでした。
皮膚が爛れて、肉の焼ける嫌な臭いがします……
まさか自分が焼かれる臭いを嗅ぐ事になるとは…
あの人に言えば怒られるでしょうか?笑われるでしょうか?
あの方に言えば間違いなく叱られてしまうでしょう。
「がぁっ!!」
痛みのあまり、私の声とは思えない叫びが口から出てしまい、その影響で喉も少し焼けてしまいました。
「どぅっ、どぅこぉだあ!?」
あの男が私を探しています。
そうでしょう。私を倒せばこの地獄が終わるのです。
私は音を立てないように動きます。男とは違い、足は関係なく動かせるので私が捕まる事はないのです。
視界に白いモノが混ざり始めました。恐らく眼球が熱に耐えられなくなったのでしょう。
ここまでのようです。
「『water』」
ドバーーンッ
私の呪文と共に大量の水が魔法陣から放出されました。
流石に熱しすぎたのか、爆発するように水蒸気が辺りを包み込みました。
観客席からも男からも私は見えない事でしょう。
「『recovery』」
これは私と出会う前、あの人が最初に手に入れた思い出の魔法陣。
その魔法陣が赤く輝くと、私の身体から痛みが無くなります。
痛みが全て消え去ると魔法陣は青白い輝きに戻りました。まぁ魔力が見えない私にその光は見えないのですけど。いいのです。こういうのは気分なのですから。