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十字架を背負って  作者: しむ
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神の御国

 神に、今日の私の愚行を覗かれてはいないだろうかと恐怖しながら、私は歩を進め始めました。

そうして少しすると、あの青空はすっかり雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨が降り始めてきました。特有の土の匂いが、私の不幸を浴びたい気持ちに甘く寄り添い、染み渡る。

この様子だと元々、あの場所に留まり続ける事は叶わなかったようです。

徐々に雨は強くなり、雲のせいか日が暮れたのか、辺りもすっかり暗くなる。私はそれでも、ゆっくりと歩を進めました。

雨に濡れ、使い物にならなくなった例の書物を投げ捨てる。

雨でぬかるんだ地面が、私を引き留めようとしているようでした。



代わり映えしない景色の中をひたすら歩き、足に溜まった疲労や、靴の中に入り込んできた泥水などの不快感が気にもならなくなってきた頃、ようやく集落のようなものが見えてきました。

 果たしてどれだけの人が、私の事情を知っていて、どれだけの人が、私を疎むのか。どれだけの人が、私を襲うのか。そのことを思うと足がすくみ、しかし立ち止まるわけにもいかず、意を決して中に入ろうとした時。


「こんな天気の中、よくここまで。旅の方ですかい?」

「はい、そうです」

 

 突然の声に驚き、脊髄反射で振り返る。見下ろすと、灰色でみすぼらしく汚れのついた、布製の服と帽子を身に纏った、シワだらけの年老いた男性が、低い丸太のようなものに腰掛けていました。


「何処からここまで」

「ヘー・バシレイア・トーン・ウーラノーン、という所から」


 忌まわしきあの書物に示されていた、私の名乗るべき出生地。

意味もわからぬこの単語を口に出した瞬間、目の前の老人が微かに、体を震わせたように感じましたが、


「そんな遠い所から、よくここまで。大変だったじゃろ」


 と、特に声色の変わった様子もなくそう返されました。


「若いので、なんてことないですよ。貴方こそ、どうしてここに居るのですか? こんな天気の中」


 ふと気になったことを尋ねてみる。すると老人は深く俯き、そのまま縮こまり、消えてしまいそうなほどでした。


「儂は、囚われておるのじゃ。救世主に」


 やがて老人は、そう呟きました。

 訳が、分からない。しかし老人の、酷く憔悴したような様子から、それ以上の追求は憚られました。


「儂のことはいいから、ささ、中へ入りなされ」


 そう言われ、村の宿に案内されました。


「これをもって行きなさい、一晩は泊まれるはずじゃ」


 そう言うと老人は、一枚の金貨を私に投げ渡してきました。


「えっ。あ、ありがとうございます」


 礼を言い終える前に彼は私に背を向け、手を振りながら元の場所へと戻っていきました。

 どうやらこの世界に、優しさというものが存在していたようです。しかし初めて触れたあの優しさは、雨の中、一人丸太に座りうずくまっていた。一体何が、彼をそうさせている? 確か、救世主といったか。あの優しさ一つ救えず、何が救世主だというのか。

 そんな憤りを覚えながら、宿の入口に足を運ぶ。彼から受け取った金貨に描かれた肖像画は、微笑みを湛えていました。


 宿に入ると、受付と思しき女性が、机に顔を突っ伏し眠っていました。


「あの、すみません」

「こんな昼間に、なんの用だい」


 しゃがれた声を発しながら、女性は顔を上げました。三十代ほどでしょうか。髪に布を巻いたものを被り、薄水色の麻の服を纏っていました。


「一泊したいのですが、これで足りますか?」


 と言い、先程受け取った金貨を見せる。


「ああ! 金貨、金貨だ!」


 甲高い声を発しながら、女性は急に飛び上がりました。

そして少し経ち、落ち着いたのか、


「こいつあ失礼した、なんせ久々に見たもんでね。ほら、お釣だ」


 そう言い、銀貨1枚を渡されました。


「飯はもう暫くしてから出すから、それまで暖炉にでもあたってな。部屋は二階にあるやつならどこを使ってもいい」


 気だるそうにそう言うと、再び机に頭を伏せてしまいました。

 仕方ないので、少し宿の中を歩き回ってみる。

 どうやら客は私だけのようで、彼女以外にここで働く人も見当たりませんでした。そしてそれにしては、部屋や机の数が多いように感じました。

 それから一階の広間に戻り、暖炉の手前の席に座って深呼吸する。

この村の人々が優しいためか、はたまたあの迫害が、ただの夢であったせいか。私は拒絶されず、そのことに一先ず安心しました。しかしこの静寂故、私に出来ることは思考のみであり、自然と私の大罪や、贖罪、そして例の救世主とやらについてが頭をよぎってしまう。

依然ざあざあと響き続ける雨音が、果てのない迷宮の入口に立った私の背中を、後押しするようでした。


「おーいマリア、いい加減起きたら? 確かに客はいないけど、差し入れ持ってきたから」


 暫くしてそのような声が聞こえ、ようやく現実に引き戻されました。入口のほうを見ると、受付の方と同年代に見える、格好も同じような女性がいました。

 少し華奢な体つきをしていて、野菜の幾つか入ったかごを持っていました。


「ふっ。今日は珍しく、客がいる」

「なら尚更起きなさい」


 そう言いながらどさっとかごを置き、ようやく私の存在に気づいたのか、


「あら、旅人さん? ごめんなさいね、酷い接客だったでしょう。この子、昔から人と関わるのが、許してちょうだい」


 と、接客の方とは打って変わり、流暢に話しかけてきました。


「全然、大丈夫ですよ」

「なら良かった。優しいのね」



 優しい。優しい。ああ、そのような言葉を、こんなことでかけてくださるだなんて、本当に、なんてお優しい方なのでしょう。もしかすると此処こそが、神の御国というやつなのだろうか。私の罪も贖罪もあの悪夢だって、何もかも現実のものではなかった、そうだ、きっとそうに違いない!

 そうしてすっかり現実逃避に成功した私は、


「そういえばあの方は、人と関わるのが苦手なのになぜ、受付をしているのですか?」


 と、ついに自分から発言することに成功しました。


「え、あなた、もしかして何も知らずこの村に来たの?」


 彼女は目を見開き動揺の素振りを見せましたが、一拍置いて口を開きました。


「私たちはね、アヴォダザラ教徒なの」


最近、世界≒DV夫

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