表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十字架を背負って  作者: しむ
2/4

罪のない者だけが、石を投げよ

 今までの全てが夢であったとか、あの意識が飛んだ瞬間に、実は私という存在が、消されていたんじゃないかとか、そういった淡い理想は儚くはじけ、気がつくと私の五感は、完全な状態を取り戻していました。


 ひんやりとした空気、古びた本の匂い、静寂ゆえに響き渡る、子鳥のさえずり。その全てが、私を押し潰そうとしてくるようで。

 嫌だ。何も受け入れたくない。

 そんな思いから、意識が戻ってからもしばらく目を閉じ、逃避を続ける。

 しかし、


「転生者の方、ですよね」


 と、年季の入った声で話しかけられ、いよいよ逃避にふけっていられなくなった私は、ようやく覚悟を決め、


「は、はい。多分、そうです」


 となんとか言葉を発しながら、目を開ける。

 話しかけてきたのは還暦ほどに見える男で、灰色のチュックの上にそれっぽいローブを纏っていたため、それなりの身分の聖職者であるような印象を受けました。

 周囲を盗み見ると、色とりどりのガラスに光が差し込み、その光の中央に、祭壇がありました。そしてその祭壇の前に配置された、途方もなく多い長椅子の一つに、私は座っているようでした。

 美しい光景だなと、頭では理解しましたが、私の体の奥底がどういうわけか、深い深い拒否反応を示していました。


「ようこそ、神の御国に最も近い世界、地球へ、大罪人さま。私は召喚の儀を承りました、コーヘンと申すものです」


 戸惑う私を気にせず話し始めた男の声色は、ちっぽけな温和の上に、精一杯の皮肉を塗りたくったようなもので、その隠す気の無さが気味悪く、身震いしました。

 それに何故。


「な、何故、私が、大罪人であることを..?」

「我が全能の主、神からお告げをいただいたまでですよ」不気味な笑みを浮かべ、コーヘンはそう言いました。

「そうそう、神より、貴方へ御言葉をいただきました。ずっと、貴方を見ている、とのことです」

「っ..」


 見ている。見て、いる。

 それは確かにあの老人が、別れ際に放った言葉でした。あの老人はつまり、神。たしかにそう考えると、色々と腑に落ちる。

 しかし、私の感情は何故か、脈絡のない怒りで満たされていました。

 何故? なんだ、この怒りは。

 そんな疑問を抱いた刹那、私は普段の私を取り戻し、私の感情はまた、あの老人、神に対する恐怖へと突き落とされました。


「どうやらとても動揺しているようですね。ですが、あいにく礼拝の時間が迫っているのです。早く、外に出てもらえますか?」


 ゴミを見る目で見られた私は、ゴミらしく、そのまま裏口まで彼の視線に蹴飛ばされ、とうとう正門を見ることは叶いませんでした。


「それではさようなら、お元気で」


 そう淡々と言い捨てられ、私は、この荘厳な建物を後にしました。

 別れ際、彼の目にあの老人、神が映ったような気がして、彼に対する身震いは、強さを増す一方でした。

 

 あの建物を後にしたはいいものの、次に何をすればいいのか、この世界に降り立って間もない私には、分からない。

 とりあえず近くにいた人の後をつけ、路地を歩き、歩き、気づくと大通りについていました。あちこちからの騒ぎ声がぶつかり合い、生まれた巨大な騒音が、私の気を紛らわしてくれてる。


 そこでは人々が、壮大な建物の正門に向かい吸い込まれているかのように、足を進めていました。私も吸い込まれるのに身を任せていましたが、突然水門が閉められたように、足が止まる。

 あの男、コーヘンの顔が見えたのです。

 逃げるように近くの木陰に隠れ、そのまましばらく、恐怖で動けないでいました。そうしてじっとしていると、これまで気にかけていなかった喧騒が、具体性を持って押し寄せてきました。


「許してください許してください許してください許して」

「きっと今日の献金で、救われる、救いをいただける..」

「誰か、誰でもいい、パンを一切れ、お恵みください」

「ルキウスの野郎、今日も教会に来ないつもりか? 全く、お怒りを買っても知らんぞ」

 …


  吐き気がしました。これだけの声がありながら、前向きなものが一つとしてないのです。

 そしてこの阿鼻叫喚の中にもかかわらず、彼らは足を止めないのです。ただがむしゃらに、あの正門へ向かうのです。


 これは私が間違っているのでしょうか。あの老人、神は、私を異世界に送ると、たしかにそう言いました。

 つまり私が持っている感覚は前の世界のもので、今の世界では、これは地獄と形容される光景ではないのではないか、と。そう考えたのです。というか、そう考えないとこの状況を、説明できませんでした。しかしどうも、この説が正しいとは思えませんでした。


 それからしばらくして、ようやく人々が、教会?という建物の中に入り切りました。そうしてコーヘンもいなくなり、元の静寂が戻ったのを確認し、ようやくほっと一息つく。

 落ち着いてあの正門を眺めてみると、その荘厳さに少し心惹かれて、気づくと私の足は正門に向かっていました。


 正門は灰色のレンガで埋め尽くされ、他の部分と比べ突き抜けて高い双塔の間には、薔薇を模したような窓があり、さらにその上には、大人一人ほどの大きさがある、巨大な十字架が立てられていました。

 近くで見るとより厳かな雰囲気が増していき、それに圧倒されながらも、一つの違和感がありました。


 先の地獄の様子が、まるで感じられないのです。

 静かに門を少しだけ開け、中の様子を見ると、奥の方でコーヘンが何やら喋っているのが分かりました。そうしてその声が、ここまで届いてきたのです。つまりあの嗚咽に似たものを放っていた人々が、物音一つ立てずに彼の話を聞いていたのです。

 気味が悪い。いくら世界が違うといっても、これが異常であることは、流石に分かりました。

 そして目眩がし、扉にしがみついたちょうどその時。


「ところで皆さん、今日この街に、いや世界に、新しい住人がおいでになりました。恥ずかしがらず、前に出てきたらどうですか?」


 突然、コーヘンがそう言い放ったのです。そして次の瞬間、急に正門が開かれ、それにしがみついていた私は、地に叩きつけられました。


「ほーら、奥にいらっしゃるあちらの方ですよ。皆さん、歓迎してあげてください!」


 その声を皮切りに、礼拝堂に座る人々が皆、何かを手に持ち、それを投擲してくる。


「う、あ、やめ、ああぁっ!」


 その大半は石やゴミで、強烈な痛みとともに、私の体が、急激に重くなっていくのを感ました。

 情けなく上ずった声を恥じる余裕すらない。

 血の匂いと腐臭の混じったものに嗅覚もひどく苛まれながら、急いで重い体を反転させ、逃亡を試みました。が、振り返るといつの間にか、目の前に広がる家々の扉が開かれており、その間からも、例の投擲を受ける。


「こ、こっちに寄るな大罪人」

 「神よ、我らにご加護を、彼の者天罰を!」


 などと叫ぶ彼らは、口角が少し上がり、その目の中に、あの神が映っているような気がして、体全身を駆け巡る痛覚など、気にもならないほどの恐怖で満たされました。

 震えの止まらない手で、唯一所持している物である、あの神から受け取った分厚い本を取り出し、それで頭を守りながら、なんとかこの地獄から抜け出そうと足を進める。

 走って、走って、...。


 「っ!」


 しかし恐怖と痛みでぎこちなさを極めた私の足は、足元に投げつけられた石に抗うすべを持たず、とうとう倒れ込んでしまいました。

 転げ落ちる視界。頭の中を埋め尽くす、死の文字。けれどもその死すら、叶わぬ幻想でした。


 どうやら彼らは、私をすぐ殺すつもりはないらしいのです。先程から全く、急所に投擲を食らわないのです。

 自分から死のうにも、それはあの神との再開を意味し、それを自から選ぶ勇気はありませんでした。

 それ故薄れゆく意識の中、この状況から逃れるという、果てしなく儚い可能性にすがり、私は這いつくばりながらも前進を続ける。



 辛い。この仕打が。重い体が。いつの間にか嘲笑に変わった、人々の声が。そして、このような罰を受けるに値する行いを犯した、前の世界の自分が、たしかに存在していたという事実が。

 そうしてとうとう前進する気力も尽きた、ちょうどその時の事でした。私の横を、鋭く爽やかな風が通り過ぎたような気がしたのです。


 頭を上げると、木造で骨組みも丸見えである、馬小屋の側面が見えました。辺り全体が、甘く、またどこか苦い、没薬のような匂いで包まれているその小屋の脇には、巨大な黄金のラッパが。頂点には、天使の背についているような翼が、飾られていました。そのどちらも、何故か初めてみた気がしませんでした。


 どうやらその翼から吹く鋭い風が、私を囲むようにしているらしく、その風の通る道に沿い、幾つもの羽が駆け抜けていく。

 そうして、意識が朦朧としてきたからか、はたまた風が守ってくれたおかげか。私は背後の投擲と叫び声から切り離され、感覚全てが徐々に、無という幸せに、落ちていきました。


最近猫にとても懐かれて嬉しい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ