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クレスが目を覚ますとまず驚いたのは、自分と同じ年くらいの少女が食事を持ってきてくれたことだった。
ウェーブのかかった銀髪は腰まで伸び、群青色のつぶらな瞳は引きこまれそうになる。
「おはようございます、クレスさん――でいいんですよね?」
クレスは言葉が出ない代わりに首肯した。
「私はラインの娘でレミリアといいます」
ラインという名前にクレスは昨日出会った男の顔を照らし合わせる。ラインが既婚者なのはそれなりに納得できるのだが、自分と同じ歳くらいの娘がいるとは思わなかった。
「口に合うかはわかりませんが、朝食をお持ちしました」
そう言ってレミリアはトレイに載せたパンとスープを差しだしてきた。クレスはそれを物珍しそうに見ている。
「何か?」
「ああ、すみません。まさか食事を出してもらえると思っていなかったので……」
「寝床が牢屋だからといって、クレスさんが客人に違いありませんから」
「ここ数日はそういう感覚が麻痺する環境に身を置いていたものだったせいかもしれません。人の善意というのがむず痒いんですよ」
クレスは苦笑いを浮かべつつトレイを受け取る。ここ数日ろくなものを食べていなかったクレスにとってはありがたいものであった。
「スープが熱いのでゆっくり食べてくださいね」
クレスが「ありがとう」と礼を述べて、食事をはじめる。
「朝食が終わったら、カナルディアの中を案内しますね」
「案内してもらえるんですか?」
「クレスさんは客人ですから。その証拠に牢屋の鍵もずっと開けてありますしね」
そんなクレスの物言いが可笑しかったのか、レミリアはくすくすと笑いながら答えてくれた。
それからクレスは朝食をすませると、レミリアに連れられて牢屋を出た。
まず最初に向かったのが厨房らしきところだ。そこでレミリアはエプロンを着た女性にクレスの使った食器を渡して、その場をあとにする。
厨房を出て、廊下を道なりに歩いていくと中庭らしき場所を横切る。そこにはクレスと同じくらいの少年や少女たち、それよりもっと小さい子供の姿まである。そういえば厨房にいたのもクレスと年の変わらない少女だった。
それにしてもここはいったいどういうところなのだろうか。いま建物にいるというのは間違いない。おそらく、ここは山賊たちが突然現れたという島なのだろう。カナルディアというのがいまいるここを指しているのは間違いない。それが島の名前なのか、この建物の名前かはとりあえずさておいてである。ということは、いまカナルディアを案内してくれているレミリアを含めて、このカナルディアの住人たちはある日突然、現れたということになる。そういう意味で何かと謎は多いが、いまはレミリアと共に行動するのが得策だろう。彼女といれば自分の欲しい情報が手に入るかもしれないという期待もこめて。
「いまは剣の稽古の最中なんですよ」
レミリアが指さすと、そこには人だかりができていた。レミリアが「行ってみましょう」と言うので、クレスもそれに従う。
クレスとレミリアは人の海を掻き分けて、稽古の姿が見える位置まで進んでいく。開けた場所に出ると二人の剣士が互いに刃をぶつけ合っていた。どうやら、これから試合がはじまるらしい。
「右にいる金髪の青年がロウィンです。若手でもっとも腕がいいと言われてます。左にいるのはグラッテ。彼はロウィンに次いで有望視されている剣士なんですよ」
いつの間にか隣にいたレミリアが解説してくれる。つまり、この勝負は一番手と二番手の戦いなわけで、現状でもっとも注目されている札なわけである。それならこの人だかりも納得だった。
最初に仕掛けたのはロウィンである。縦に振るった剣がグラッテの頭上を狙う。
それをグラッテが剣の腹で受け止めて、それから一拍置いてロウィンは一旦引き下がると、今度はグラッテが剣を横薙ぎに入れて、ロウィンがさらに剣で受け止める。
攻撃をする側はやけに大振りで軌道も読みやすいし、攻撃の間隔も長くて攻守がはっきり分かれている。試合というよりは演舞に近い。どうやら、これは稽古というよりもギャラリーに見せるための試合らしかった。だが、それでも両者の腕の差というのは如実に出るもので、少しずつグラッテのほうが押されていくのがクレスの目からでも理解できた。
一見するとロウィンとグラッテのやっていることは同じにしか見えない。だが、斬りつけるときの角度や受け止めるときの姿勢など、ほんの少しのことではあるが、そういった技術の差が斬り合いを続けることで如実に現れていた。
そして、グラッテが肩で息をはじめた頃、ロウィンの攻撃になった。ロウィンは鋭く踏み込んで剣を足下から斬りあげる。グラッテがハッとなったときには既に遅く、グラッテの剣は跳ね飛ばされる。跳ね飛ばされた剣は弧を描きながら観衆たちのほう――クレスのほうへ跳んでいく。クレスは剣が自分を狙っているということに気がついたときは逃げられるような状態ではなく、かわす暇もなかった。幸いだったのは剣の突き刺さったのがクレスの頭上ではなく、足元だったということだ。これにはたまらずクレスは腰を抜かして、尻を地面につけてしまう。
言葉もでなかった。ただ、命拾いしてよかったというばかりだ。
「ク、クレスさん大丈夫ですか?」
レミリアがすぐに駆け寄ってクレスに無事を確認してくる。
「あ、ありがとう。何とか無事だったよ」
クレスは乾いた笑いを浮かべて、レミリアに顔を向けた。
レミリアはホッと安堵の表情を浮かべて、クレスに手を差し伸べる。彼はその手をとるとよろめきながらも立ちあがる。
「失礼した。見かけない顔だと思ったが、ひょっとして君が噂に聞く客人か?」
「ええ。そうですが……」
「やはりそうだったか。これは客人にとんだ無礼をした」
ロウィンはクレスのほうに近寄ってきて、足元に刺さった剣を引き抜くと深々と礼をする。
「いえ。お気になさらず」
「お許し感謝する。客人よ、試合ははじまったばかり。時間が許すならば観覧されよ。我々はあなたを歓迎する」
ロウィンは爽やかな笑みを浮かべて、試合場へと戻っていく。それとは逆に引きつった愛想笑いしか浮かべられなかったクレスは自分が情けなかった。
「ロウィンはああ言いましたけど、どうします?」
「ああ言われたら観覧していくしかないですね。俺も剣技の心得はあるので、嫌いというわけではありません」
そう言うとレミリアは意外という表情を浮かべる。
「自分の出身がそういうところなんですよ。好きとか嫌いでは選べませんでした」
それを嫌って国を出て、学問の道を選んだわけなのだが、いまの自分を見るかぎり正しい選択であったかはよくわからない。
「ごめんなさい。クレスさんが剣を振るう姿が思い浮かばなかったものですから」
クレスの表情から何かを読み取ったのか、レミリアは気を遣うような仕草を見せる。
「いえ、お気になさらず」
それだけ言うとクレスは試合をじっくりと観覧することにした。そこにかつての情景を重ねながら――。