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出発は夜が明けてすぐのことである。クレスは寝ぼけ眼をこすりながら山賊たちとともに湾を目指していた。
拠点から小休止を挟みながら歩くこと三時間ほど。湾に着いた頃には陽もすっかり高くなっていた。
「今日は霧も晴れてよく見えるな」
ギエンが湾を眺めながら言った。クレスもギエンの視線の先を追いかけるように湾を眺める。
湾から見えるのは船のような形をした島であった。と言っても、ここからはそれ以上の情報は入ってこない。島のことをもっと知るには上陸しないといけないだろう。
「ここから何かわかるか?」
そう思った矢先からギエンが問いかけてきた。クラスはこめかみを押さえたい気持ちを抑えてギエンに説明をする。
「残念ながら、普通の島にしか見えませんね。やっぱり上陸して調査をしないと」
そういうとギエンは渋い表情を浮かべる。どうやら軽く期待を裏切ってしまったらしい。それでも嘘を言って、いたずらに期待を膨らませるよりはマシだろうと自分に言い聞かせた。
「あの島まで行く橋はありそうでしたか?」
「……そういう調査もこれからでな」
ギエンはクレスに疑うような視線を投げかけてくる。これは一体どういう意味合いの視線だろうかと考えてみる。おそらくはクレスがあの島を一目見れば何でもすんなり行くと思ったのではないだろうか。それこそ魔法を使ったように。
だが、実際はそんなことはなく、地味な探索をこなさなくてはいけない。これはそう言った批難の視線なのかもしれなかった。
つまり、ギエンはクレスを疑いはじめているということになる。クレスから見れば理不尽このうえないが、それが自分の命に関わるとなれば話は別だ。そういう意味でもある程度はこの男から信頼を得ておく必要はあった。
とは言え、遺跡探索というのは基本的に地味なモノである。これからもこの山賊たちをイライラさせることは容易に想像できる。となれば問題はいかにして、そのイライラをこちらに向けないようにするかだ。
そのためにも橋の探索はできるだけ早く済ませて、彼らの期待を膨らませる必要がある。しかし、島へ行く橋があるかはわからない。そこは祈るしかなかった。
「本当に橋はあるんだろうな?」
ギエンが目をぎらつかせながらクレスに訊ねてくる。
――むしろ、最近になって突然現れた島へ渡る橋が都合よく架かっていると思うのかと言ってやりたがったが、そこは腹の底で留めておく。その代わりにクレスはこう返した。
「島が突然現れたというのなら、ひょっとすると島はいままで魔法の結界を張られていたのかもしれません。それが何らかの拍子に切れて姿を現したのかも。となると、あの島は古代王国の遺跡である可能性が出てきます。もし、あれが遺跡であれば何らかの形で渡る手段を残されているかもしれません」
――もっとも、それが橋とは限りませんけどね。と最後に心中で付け加えた。
ここまで言って、山賊たちの反応を見てみると、やはりわかったようなわからないようなという感じの表情を浮かべている。とりあえず橋はあるかもしれないというニュアンスが伝わればいいので、相手が理解しているかは二の次だった。どうやら、そのあたりのニュアンスは伝わっていると思ってよさそうだ。
岸辺まで降りてくると、クレスは改めて島を眺めることにした。
(本当に橋なんかあるのか?)
山頂の方から眺めるのと、岸辺まで降りて眺めるのではやはり印象は変わる。それがまさにいまだ。そのうえで出たのが先ほどの感想だった。
誰が最初に呼んだかは定かではないのだが、この世界はスヴェインオードなどと呼ばれている。大陸は空に浮かび、大陸の下には分厚い雲海が広がっている。
だから、岸辺から下を覗けば、すべを吸いこんでしまいそうな分厚い雲海が見られた。当然、ここから落ちれば命はない。島へ渡るには橋が必須であった。
「小翼艇があればなぁ……」
山賊の一人がぼやいた。小翼艇というのは鳥の姿を模した一人用の飛空挺である。軍隊はもちろん日常でも使用されるものなので安価なものも存在する。なので、小翼艇を使って活動する山賊も存在する。
どうやらギエン率いる山賊たちは小翼艇は持っていないようだ。おそらく理由は経済的な事情というより、身動きをしやすくするためなのだろう。小翼艇の管理には格納庫が必須になるし、拠点の位置も固定していく必要があるので、身を隠して生きていく山賊たちにとってはデメリットも多いというわけである。
「ないものねだりはやめようぜ。悲しくなるだけだ」
「だなぁ……」と山賊たちは橋を探している間、他愛もない話を続けていた。
そんなときだ。クレスがふと山頂のほうを振り返ると岩陰から何かが一瞬煌めいたように見えた。
クレスは気になってその方向を凝視していると、山賊の一人が「どうした?」と訊ねてくる。クレスはそれに答えようと山賊たちのほうに顔を向けようとしたときだ。足下からグサリと何かが突き刺さる音がした。おそるおそる足下に目を遣ると地面に鋭く突き刺さっている矢があった。
クレスは「ひい」と情けない声をあげて、尻餅をつく。一方の山賊たちは武器を構え、辺りを警戒しはじめた。
「おい。お前」
ギエンがクレスに声をかけてくる。その鋭い目つきに射すくめられるようにクレスは怖じけて「は、はい」という返事を返してしまう。
「あっちの岩陰の様子を見てこい」
――ああ、やっぱり。とクレスは落胆を隠せない。こうして見える貧乏くじをみすみす引かされるわけだ。だからといって、逆らおうともしないのだから情けないことこの上ない。
クレスは後ろ髪を引かれるような思いをしながら、とぼとぼと岩陰の方へ向かう。するとその態度にイライラしたギエンが後ろから「早くしろ!」と怒鳴り声をあげてクレスを走らせる。だが、近づいて岩陰の後ろを覗くも人の気配はない。
助かったと安堵を漏らす一方で、不可解にも感じた。先ほどの矢の弾道から考えても、この辺りから放たれたのに違いはないはずだ。確かに周辺は大きな岩が多くて身を隠すのはたやすい。ということは射主は既にここを離れて別の場所から、自分たちを狙っているということになる。だが、第二射は一向に放たれる気配がない。移動時間を含めてもう二射目を撃てる時間はとっくに来ているはずなのにだ。
妙に感じたクレスはふとギエンたちのほうを振り返る。――と同時、彼らの近くで大地をえぐる轟音が響き、巨大な砂柱が噴き上がった。
彼らの身長の三倍以上ある砂柱である。それがすぐ近くで現れたのだ。いうまでもなく山賊たちは狼狽えはじめた。
「ギ、ギエンさん……」
「ビビるんじゃねえ。こういうときこそ落ち着くんだよ」
そう言うギエンの膝は先ほどから笑いっぱなしだった。どうやら、あの大柄で強面の男にも怖いものがあったらしい。だが、それはクレスも同じで、あの砂柱を見てからというもの喉が渇きっぱなしである。
これであと一回でも、あんなものを見せられれば敗走せざるを得ないだろうと思っていたら、もう一度、今度は少し離れたところで爆発が起こり、砂塵が舞い上がった。
それを見た、山賊たちは「逃げるぞ!」という号令とともに走り去っていく。爆発も山賊たちを追いまわすようにして立て続けに起こる。
そんな光景をクレスは口を開けて見ていた。置いて行かれたことに気がついたのはそれから間もなくで、その頃には既にどうしようもなくなっていた。仮に追いつけたからといっても、どのみち待っているのは囚われの身としてこき使われる未来だけだ。いまの自分に選択肢はあまりないにしても、もう少しはマシな将来を選びたいとは切に思う。
クレスは『これからどうしたものか』と空を仰ぎつつ岩にもたれかかった。いまさら刃を喉に突きつけられたからといって、抵抗する気すら起きない。
「抵抗しないんですか?」
少女の声が質問してくる。この声質から察するに少女はなかなか可愛いのではないかと予想する。こんな状況でそんなことを考えられる自分には呆れるしかない。
「この状況では抵抗じゃなくて、命乞いじゃないかな?」
「それもそうですね。ですが、ご心配なく。抵抗させしなければ、あなたの命を奪うつもりはありませんよ」
「だからって、放っておくつもりもないんだろう?」
「ええ。残念ながら」
こうしてクレスはまた違う謎の集団に捕まることになったのだった。