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双界のアルシュリオン  作者: あかつきp dash
第三章『クレスの婚約』
32/69

3-5

 初春ということもあり、昼の最中は少しだけ暖かくなる。その時間を利用してリーナとエンフィトスはカナルディアの城の裏にある湖で水浴びをしていた。

「水が少し冷たいですね」

「そう? 私はこのくらいの冷たさが好きだけど」

 季節がまだ春なのもあって水は冷たかった。それでも陽光が暖かいので水浴びができないほどというわけではない。むしろ、この冷たさがリーナにとっては体が引き締まる感じがして心地いい。

「異世界に来てまで政略結婚なんてね。まるでロマンがないわ」

「結婚するのは私ですよ?」

 エンフィトスがくすりと笑う。

「大事な妹が政略結婚させられる様を見せられれば文句の一つもでるわよ」

「為政者の子供が政略結婚というのは珍しくもなんともないことですよ」

「そりゃそうだけど、この状況下で聞き分けがよすぎるのも考えものよ?」

 突然、異世界に連れてこられたという状況で思考停止をしたまま、誰かに言われたことをそのまま鵜呑みにするというのはひょっとしたすごく危険なのではないだろうか。エンフィトスを見ているとそう感じる。

「ですが、ラインのやろうとしていることが間違っているようにも思えないのです」

「でも、正しいともかぎらないわ」

「それでも何かを信じなければいけないというなら、私はラインを信じてみたいと思います。もちろん、クレスのことも」

 リーナの問いかけに対してエンフィトスの答えは凜としたものであった。そこに諦めは一切感じられない。彼女は本当にラインを信じようとしている。

「エフィは強いのね」

 リーナの言葉には羨望が混じっているように感じる。彼女もきっとラインを信じたいのだろう。だが、いまは様々なことに対してのわだかまりがそれを妨げていた。

「リーナは何が許せないんですか?」

「ガルダートがアトラスを選んでくれていれば、無事に帰って来れたんじゃないかって思うことがあるのよ。でも、ガルダートが選んだのは異世界の見知らぬ男。その男と義理とは言え姉弟になろうとしているのよ。とっても複雑な気分だわ」

 リーナは憂いに満ちた瞳で水面に浮かぶ自分の顔を見つめていた。そんな彼女に対してエンフィトスはどんな言葉をかけていいかわからないでいる。二人がそうやって沈黙をしていると茂みのほうから音がした。

(覗き?)

 物音がした茂みへと鋭い視線を投げる。

「エフィの未来の旦那は初夜を待たずに裸を覗きにくるのね」

 茂みからバツの悪い表情を浮かべて現れたのはクレスだった。

「……こっちに湖があるって聞いたから見てみたかっただけですよ。俺はお二人がここで水浴びをしているなんて知りませんでした」

 それはない。なぜなら湖を囲んだ森の入り口に女官を配置して、森へ入る者に注意するよう命じておいたはずだからだ。にも関わらず、クレスが湖に近づいてこれたということはその女官が意図的にクレスを通したということだろう。

(優秀な女官を持ったわね……)

 自分たちの裸を直視できずに慌てふためいているクレスを見て、リーナはため息をつく。

「リーナ、着替えましょうか」

「そうね……」

 顔を真っ赤にしているクレスに対して、リーナとエンフィトスは落ち着いたものだった。リーナとエンフィトスにしてみれば、これから家族になろうというクレスに裸を見られてもあまり気にならないということなのだが、クレスはどうやら違うらしい。

 二人は湖からあがると枝にかけていたタオルを取り、濡れた体を拭いて、布地が薄いワンピースを着た。

 布地が薄いのは布地が濡れてもすぐに乾くようにするためなのだが、そのせいで若干透ける構造になっている。体も若干濡れているせいで布が体に少し張りついて体のラインがしっかり見えるのもクレスにとっては目の毒であった。

「今度はあなたが水浴びしてきたら?」

「……どうしてです?」

「収まりそう?」

 クレスがその場に座りこんで前屈みになっているところをリーナが面白がるように覗きこんでくる。

「からかうのはやめてくださいよ。あなたの女官に嵌められただけなんですから……」

「女官がここを通したということは、あなたがここで私たちに何をしようが咎められないということよ」

「では、俺が何かをしようとすればリーナ様はどうなさるのですか?」

「それはいい質問よ。もちろん、あなたのナニを再起不能してやるわ」

 リーナはツンとした仕草で「あとはごゆっくり」とだけ言い残して、この場を去っていった。それにはエンフィトスも苦笑する。

「リーナ様に邪険されているように感じるのは気のせいでしょうか?」

「気のせいではないですよ。リーナはあなたのことを嫌っています」

「はっきり言うんですね……」

「現状認識は正しくしておくほうがいいと思いますから。それと、どうして敬語なんですか?」

 エンフィトスの表情は笑ってはいるものの、どこか凄みを帯びていた。

「……ど、どうしてでしょうね?」

 クレスが引きつった笑みで申し訳なさそうに言うと、エンフィトスは大げさに肩を落とす。

「とりあえず、もう他人ではないのですから、私のことはエフィとお呼びください。もちろんリーナを様づけするのも禁止です」

「……そこに抵抗があるんだけど」

 クレスがぼそりとつぶやくのを制するように、エンフィトスは顔を近づけて「いいですね?」と念押しをしてくる。それにはクレスも「はい」と答えるしかなかった。

「クレスはもっと堂々としていたらいいんですよ。あなたはカナルディアで二番目に偉い人なんですから」

「そうは言っても、未だに実感が湧かないというか……」

 クレスがその場に座りこむとエンフィトスも寄りかかるように傍に座る。ふわりと漂う甘い臭いと扇情的な姿がクレスをどぎまぎとさせた。

「ところで一つ聞いてもいいですか?」

「ああ」

「クレスの言っていた故郷のエルレーンという領地を継ぐはずだった人物ってクレスじゃありませんか?」

 その質問にクレスは言葉に詰まって、何も返せなくなる。

「やはり、そうでしたか」

 その沈黙が何よりの答えだとエンフィトスは少し満足そうに頷く。

「……どうして、わかったんだ?」

「あからさまとは言いませんが、ヒントはいくつかありましたよ」

 クレスがエルレーン領主の息子だったのは事実である。身分で言えば一応は貴族だった。士官学校へ通っていたのも貴族の義務から生じたものである。

「そう、か……」

 そのことについてクレスはあまり語りたくはなかった。両親が死んだというは彼にとって何より辛い思い出であったし、本来であれば自分が統治すべき領地を権利と共に売り払って、そのお金で学院に入ったという経緯があまり褒められたものでもないという自覚があるからだ。

「あまり話したくない過去でしたか?」

「いや、そんなことはないよ。ただ、自分ではどうにもならないことばかりだからさ」

「気が向いたら……。話したくなったら、いつか聞かせてもらえますか? クレスの昔話を」

「ああ。そうだな。そのときはエフィのことも教えてくれるんだろ?」

「もちろんですよ」

 エンフィトスはくすくすと笑う。

「エフィは、どうして俺にこうも親しくしてくれる?」

「わかりません。ですが、一目見たときからあなたが気になっていたのは本当です」

「一目惚れってやつか?」

 クレスはまさかと思いつつも期待を含めつつ訊ねてみる。するとエンフィトスは笑いながら首を横に振った。

「どうでしょうか? 少し違うような気もします」

 ――やっぱりとクレスは少しうなだれる。

「私はこう思っています。クレスはきっとガルダートに導かれてここに来たんだと」

「そう言うと少しだけロマンチックに聞こえますね」

「あら、いいではないですか。それくらいのロマンはあって然るべきです」

 エンフィトスは祈るような仕草をして目をつむる。それは静寂があたりを溶かそうとした瞬間である。信じたいと祈ること、それが彼女の思いなのかもしれない。

「エフィと話していると自分が凄い人間みたいに聞こえるな……」

「みたいではなく、クレスは実際に凄いんですよ」

「……実感がないな」

「あなたはカナルディアを山賊から救って、いまも先頭に立ってカナルディアのために力を尽くそうとしている。とても健気な英雄だと思います」

「好きでなったんじゃないよ。気づいたらなっていただけなんだから」

 クレスが嘆息すると、エンフィトスが可笑しそうに笑いだす。

「クレスはとても謙虚なんですね。せっかく大きな力を手に入れたんですから、もっと堂々としていればいいのに」

「過ぎた力なんて持て余すだけでさ。自分のために使いたいって思ってもどう扱っていいかわからないんだよ。そもそもカナルディアでどう振る舞えばいいかも検討がつかない。いまの俺は宙に浮いた存在なんだ……」

「だったら――」

 エフィがクレスを優しく抱きしめてくる。

「だったら、私があなたの両足を地につけてみせます。それでどうですか?」

「あんまり嬉しくないのは何でだろうな……」

 それはここから逃さないと言われているようでもあって、エンフィトスから妙な威圧感を感じたような気がした。 

「何ででしょうね?」

「……お手柔らかに頼むよ」

 クレスは引きつった笑みを浮かべながら、空を仰いだ。


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