2-1
ラインが目を開けるといつの間にかたくさんの兵たちに囲まれていた。
「ライン様、準備は整いました。いつでも出撃できます」
兵の一人が報告してくると、ラインは「わかった」と答える。
「ダルジス、先導は任せる」
「はっ。お任せくだされ」と答えたのは顎に白い髭を生やした熟年の男だった。
ラインが兵たちに号令をかけようとしたときである。建物のほうからラインと同じ髪色の少年が走ってくる。
「父上!」
走ってきたのはラインの息子であるアトラスだった。
「アトラス、何故お前がここにいる? 俺はマリアナたちと一緒にカナルディアへ避難するように言ったはずだぞ」
ラインの口調はアトラスを咎めるもので、少し厳しく聞こえた。
「父上、本当に行かれるのですか?」
見ればアトラスは全身を鎧に包んでいた。まるで、これから戦場へ赴くような出で立ちである。
「お前には大事な家族を守るという役目があるはずだ。早くカナルディアへ行け!」
「その通りです。だからこそ、私は父上を問いただしにきました」
アトラスは怒鳴るラインに一歩も引かず、まっすぐに見つめ返していた。
「どういうことだ?」
「父上はこの戦をどう考えておられるのですか?」
「いまは問答をしている場合じゃないんだ。そういうのは俺が帰ってからにしろ」
ラインはアトラスに背を向けて、その場を去ろうとすると、アトラスが呼び止めてくる。
「父上は本当にこの戦から帰還できるとお考えか?」
ラインは答えない。
「父上は死に急いでおられるように感じます。バッハム様を守れなかったことが無念なのはわかりますが、その仇討ちに兵たちの命をさらすべきではない。彼らにも家族がいるのです。玉砕覚悟の策には承伏しかねます」
「ぼ、坊ちゃん!」
ダルジスが慌てて親子の間に割って入る。二人はまさに一触即発の状態だった。いまにも剣を抜いて決闘をはじめそうな勢いである。
「バッハム様がどんな思いでここに残れとおっしゃられたのか、まだご理解されていないようですね」
「……お前ならわかるというのか?」
「バッハム様は万が一のことを考えて、父上にすべてを託されたのです。なのにあなたは自らその役割を放棄しようとしている。それがファルローネ家の当主としてあるべき姿なのですか?」
「では、お前は俺にどうしろというのだ? もう城の陥落は避けられん。できるといえば、少しでも女子供たちを避難させる時間を稼ぐくらいだ」
二人は互いに睨みあい、一歩も引こうとしない。最初に口を開いたのはアトラスだった。
「死を覚悟して出陣をする父上の姿を見て、母上は悲しんでおられました。私は母上の頬を伝う涙を見て確信したのです。母上は父上の無事を祈って送りだしたのだと。いまのあなたはバッハム様どころか母上の願いまでを無下にしようとしている」
すると兵たちの合間から二人の若い兵が現れて、ラインの腕を掴んで取り押さえる。二人の若い兵はロウィンとグラッテであった。
「お、お前たち、これはどういうことだ? その手を早く離せ!」
ラインは命令するが、ロウィンとグラッテはその手を離そうとしない。
「連れて行け」
ロウィンは「わかりました」と答えると、二人はラインを引きずりながらでも連れて行こうとする。
「父上、玉砕では何も守れません。生きようという強い意志こそが大切なものを守る力になるのだと私は思います。父上の考えでは兵たちが無駄死にします。そのような男に軍を預けることはできません」
「アトラス!」
ラインは咎めるような口調でその名を呼んだ。
「父上、私も自分の家族を守りたいのですよ」
ラインは「家族を守りたい」という言葉をアトラスの口から聞いて脱力してしまう。抵抗がなくなったことを見てとったロウィンとグラッテはラインを引っ張って、アトラスから引き離していく。
「爺、これより軍は私が預かる。異存はないな?」
「いつのこのときが来るか、ずっとお待ちしておりました」
ダルジスはアトラスを前に膝をついて、恭しく頭を下げた。
「ダルジス、今日で爺は卒業だ。お前も坊ちゃまは卒業しろ」
「かしこまりました、アトラス様」
そう言ってダルジスはニヤリと笑い、アトラスと同じように笑った。
「皆よ聞け! 父、ラインに代わり指揮官になったアトラスだ! これから我々が赴く戦場は九死に一生を得るも難しいだろう。だが、私は敢えて言いたい。必ず生還してみせると!」
その言葉に兵たちからどよめきの声があがる。それでもアトラスは演説を続けた。
「諸君らが承知の通り、私は妻を娶ったばかりである。私は妻のために! もう一度、愛を伝えるために必ず生還してみせるつもりだ!」
次は兵たちから黄色い声があがる。
「ここには家族のいない者、家族を失ってしまった者、家族がいる者、それぞれ立場の違う者が一堂に会している! だが、その目的は一つである! これは富を、名誉を得る戦いではない! この国を、女たちを守るための戦なのだ! そして女たちは私たちの帰りを待ってくれているのだ!」
アトラスは剣を引き抜いて、天に掲げる。すると、ここにいる兵たちもアトラスと同様に剣を抜き、天に掲げた。
「戦友たちよ、再びこの地で再会し、杯を交わしあおうと誓おう! そして、女たちの元へ帰ろう!」
そのアトラスに呼応するように、皆が鬨の声をあげる。それを聞きながらラインの意識は少しずつ遠くなっていくのを感じていた。