9
夜の中庭から星空が見える。
今日は会食の日だったらしく、カナルディアにいる人々が集まって食事をしていた。その中にクレスも呼ばれたのだ。
いまクレスは中庭の隅にある木の下で一人食事をしていた。そもそも知り合いと呼べそうな人物はレミリアくらいだが、彼女のまわりには人だかりができていて話しかけられそうもない。そんなこともあってクレスは自然とこのような行動をとることになっていた。
食べる以外にやることもないので、クレスは広場を観察してみることにする。それで気がついたのだが、妙に男性の比率が少ないことだ。もっぱら見かけるのは女性や子供ばかりで、男性はまばらである。だが、ひょっとしたら夜の警備で出張っているだけかもしれないが、それにしても少ないように感じる。男性の比率が少なくて、見かけるのは若い娘や子供ばかり。そういえば戦争が起こると男たちが戦場に駆りだされて、戦死してしまう関係で女性の人口比率があがってしまうと聞いたことがある。という考えがふとよぎるが、すぐにその考えは間違えであると否定する。理由は単純で、周辺で戦争らしい戦争など近頃ではまったく起こっていないからだ。
だからといって事情の知らないところのことをいつまで考えていてもしょうがない。
クレスは食事を口に運びつつ、これからのことを考えることにする。このカナルディアで自分を使ってもらえないかとふと考えるが、食事の内容を見るかぎりはあまり財政のほうはいいとは呼べないようだ。では、ここを出てどこへ行くのかということになる。となれば――。
「こんなところで客人が一人で食事とは寂しいことだな」
「考え事ですよ。ここを出たあとどうしようかって」
声をかけてきたのはラインだった。その右手にはグラスが握られていて、顔も少し赤い。どうやらお酒を飲んでいるらしい。
「ほう。何か妙案はあったか?」
「なかなかありませんね。とりあえず、故郷にでも帰ろうかと思っていますけど」
「故郷か。クレス君はどこの出身なんだ?」
「ファルディア王国のエルレーン領ってところなんですけど。……いまはもう名前が変わっているはずですが」
「変わっている?」
「エルレーン家による領地運営が難しくなったので、領主になる予定だった人物が手放したんです。いまは違う領主の管理になっているはずですから名前も変わったはずです」
ちなみにその人物というのが他ならぬクレスのことであった。と言っても、ここでわざわざ公言する必要もなかったので、そのことについては触れないようにした。
「そうか。それにしてもここからファルディアは少々遠いな」
「ええ。そこに帰るまでの路銀の問題もありますしね」
「お金か……。協力は少し厳しいな。カナルディアも財政は逼迫していてね。この会食も何とか切り詰めたうえでできたものだからな」
「わかりますよ」
クレスがそう答えるとラインは微笑を浮かべて、「そう言ってくれると助かる」と言った。
「ラインー!」
少し湿っぽくなったところに少女がラインの名前を呼びながら、こちらに走ってくる。白金色の髪を後ろで括ってポニーテールにした、エメラルドグリーンの瞳をした少女だ。
「エフィ、どうした?」
「お客人の紹介をしてくれると言ったではありませんか。そしたら、いつまで経っても戻らないんですもの」
エフィと呼ばれた少女は頬を膨らませつつラインを睨んだ。そんな仕草にもどこか愛嬌を感じさせる。
「すまなかった。彼との話に夢中になってしまってね」
そう言ってラインはクレスに視線を落とす。それに釣られるように少女も視線をクレスに向ける。そこで少女としっかり視線が合ってしまったクレスは改めて少女をしっかりと見ることになる。レミリアとはまた違う。目鼻のくっきりとした美人系というところか。その言い知れぬ美貌にクレスは言葉も出なかった。
「私の顔に何かついてますか?」
少女はクレスがジッと見つめてくることに違和感を感じたのか、その理由を訊ねてくる。
「え、あ、いや……」
「エフィがあまりに綺麗な女性だったので言葉も忘れてしまったんじゃないかな」
ラインは意地の悪い笑みを浮かべて、エフィをからかう。
「もう、ラインったら」
「クレス君、紹介しよう。彼女が君と話をしたいと言っていたエンフィトスだ。彼女はアルテナの娘にあたる。話そびれていたが、アルテナはカナルディアで一番偉い人にあたる。そして彼女はその娘だ」
「そんな娘が何で俺に用があるとは思えないんですが?」
「それを決めるのは君じゃないだろ?」
その通りだ、と思ったのでクレスは何も言わなかった。
「はじめまして、クレスさん」
エンフィトスは眩しいくらいの笑顔で挨拶してくる。一方のクレスはたどたどしい挨拶を返した。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
エンフィトスはそんなクレスをおかしそう笑っていると、さらに向こうから別の女性がこちらへやってこようとしている。
「ちょっとエフィ、急にいなくなったから探したじゃない」
クレスがその少女に驚いたのは、顔立ちや髪の色などがエンフィトスと瓜二つだったことだ。違いがあるとすればその少女は髪がストレートのロングでエンフィトスよりも利発な雰囲気を醸し出しているということか。
「こちらも紹介しますね。彼女はリーナ、双子の姉です」
なるほど。それなら納得であるとクレスは頷く。
「で、この人は誰なの?」
リーナはクレスに気がついたのかエンフィトスに訊ねる。
「この方はクレスさん。お客人ですよ」
「ああ。泊まらせるところがないから牢屋の中で寝泊まりさせてるっていう。そういえば今日、稽古場にもいたわよね」
リーナはからかうような視線でクレスを一瞥する。どうやら今日のあの場面をしっかり見られていたらしい。
気まずくなったクレスはリーナから視線を避けるようにして身をよじっていると、間にエンフィトスが入ってくる。
「あんな目に遭えば誰でもああなりますよ。それよりクレスさん、よければ私と少しお話ししませんか? ここに来てからカナルディアを出る機会もあまりなかったので、外の話を聞きたいんです」
「エフィも好きねぇ。そういう話」
そう言いつつもリーナはその場に座って、話しこむ体勢を作る。エフィもそれに習った。
「たしかに俺も少し興味があるな」
そう言ったのはラインだ。
「と言われましてもね……。どんな話をすればいいんでしょうか?」
エンフィトスが聞きたいという話の内容が少し抽象的なせいかもしれない。話としてはいろいろ思い浮かぶが、最近は暗い話題しか持っていないのも災いしていた。
「クレスさんはここに来るまでは何をしていたんですか?」
「そうですね……。俺はこの近くにある町の学院生でしてね。そこで遺跡の研究なんかをやっていました」
「まあ、学士さんでしたか。それがどうして山賊の仲間に?」
「学院をクビになったんですよ。それで行くアテもなくて路頭に迷っていたんです」
そこを山賊に拾われたというかうまく利用されたというか、何とも情けない話だ。
「そういえば故郷はファルディア王国だと言っていたな。家族とは連絡は取れないのか?」
「両親は事故で亡くなりましたよ。頼れる親族もいなかったので、いまは天涯孤独です。それに住む家も手放して帰るところもありません」
そう言うとラインは「すまない」と謝罪をしてくる。だが、このやりとりもクレスにとっては慣れた行事でしかなかったので、「気にしないでください」と言って返した。
「学院ではどういうことをしていたんですか?」
エンフィトスが空気が重くなりそうなところで話題を振ってくれる。これはクレスにとって助け船になった。
「遺跡と研究と言ってもフィールドワークじゃなくて、遺跡の場所を割り出す仕事がほとんどでしたね。古い文献を漁っては検証の繰り返しでした。まず遺跡を見つけないことには発掘できませんから」
「ずっと文献を読み漁っていたんですか?」
「それが仕事でしたから。空いた時間に他の書物も読んだりしていたんですけどね」
クレスの場合は遺跡の発掘が好きだったというより、本を読んだりするのが好きだったからこの道を選んだというのが大きい。遺跡研究は食いぶちを得るための手段でしかない。
だからといって、遺跡の研究が嫌というわけでもなかったのだが、結果的にはどの道も閉ざされるという結果になってしまった。
「そういえば、このカナルディアは遺跡なんですか?」
「気になりますか?」
エンフィトスが逆に訊ねてくる。遺跡研究をやっていた身としてはもちろん興味はあった。だが、これはどちらかというと知的好奇心に突き動かされたもので、研究内容を発表して学会の場に躍り出てやろうというような欲ではない。そもそも研究したところで、発表する場がない。
「部外者にあまり詳しくは言えないが……、そうだな。カナルディアは一種の船だとだけ言っておこう」
答えたのはラインだった。だが、それ以上のことは誰も答えてくれない。この会話でわかったのはカナルディアと住人には何か秘密があるようだということだろうか。それからはラインにカナルディアの美味しい飲み物や食べ方について講義を受けて、話に華を咲かせることになった。
こうして会食の時間は過ぎていく――。