最後の前
ちょっと長くなったかも。深夜テンション。
ただひたすらに僕のことを妄信する君が、愛しかった。愚かな君が可愛らしかった。僕の役に立とうとして、空回りして顔を赤くしながら恥ずかしがる君が愛しかった。僕の同級生に白い目で見られようとも毎日根気よく僕の教室まで通う健気な君が可愛かった。僕が適当に言った言葉を信じ切って誇らしげに後輩に語る姿が愛おしかった。僕の言葉通りに行動したために友達を失って涙を浮かべる君は可愛かった。僕の好みに沿おうと行動して先生に好まれる優等生を止めた君が愛おしかった。
君の全ては僕の想像の域に居て、君の全ては僕が望んだとおりになって、君の全ては僕が操作できた。君は僕の可愛い操り人形。独りでは何もできない可哀そうな陶器。君は僕のせいで全てを失い、今君がおぼれている物といえば僕くらい。あんなに大好きだった君の母親も、今は君を腫れもの扱いしているようだね。
ああ可哀そう。なんて愚かなんだろう。……ああ、なんて可愛らしいんだろう。
すべて僕のせいだと知らずにその真っ直ぐな目を向けてくる君が可愛くて仕方ない。悪いのは自分だと割り切ろうとして引き摺って涙に暮れる君が愛しくてしょうがない。
どうして君の友達は君をある日突然無視しだしたんだろうね。
どうして君の母親は君をある日突然聞き分けのない子供のように扱いだしたんだろうね。
どうして君の後輩は君をある日突然見えないものとばかりに無視しだしたんだろうね。
どうして君の教師は君をある日突然残念なものを見るような眼で見て、失望するような息をついたんだろうね。
もし僕が彼らに甘い嘘を囁いたんだとしたら君は一体どうする。内容は勿論ご想像にお任せするけど、ゴシップが大好きで、後ろ向きな偏見に包まれた脳を持つ彼らは簡単にその餌にありつく。君も見たでしょう?
その灰色に曇る顔を見ながらほくそ笑む日常は僕の卒業後も続いていたし、君の卒業後も続くんだと思っていた。
残念なことにそれは叶わなかったけど。
誰だったかな、君のクラスメートの男。あいつは君をここから遠く離れた馬鹿な人間どものいるところに送ろうとしたようだね。折角僕が哀れな君を見守るためにここの大学を選んだって言うのにどうしてわざわざあんな馬の骨の言うことに従うんだい。今が幸せなんだったら僕の支配下に置かれていろよ、とその頭を掴んで叫びたかった。でも、僕にもプライドというものがあるから、先輩として、惚れられている側として余裕のある態度を見せた。
それがいけなかったのかな。君は寂しい顔をしていたのかもしれない。寂しかったら寂しいという君は、すべての判断を僕に委ねる君は、どこに行ってしまったのかい。そして、君を哀情とほんの少しの蔑みで照らした僕はどこに行ったんだろうね。
君が志望大学を決めた話をしたときは、柄にもなく君の手に触れた。僕と会えなくなっても後悔はないとそういった君の目は引き留めてと言っているようにも見えた。そうやって愚かにも苦しむ君を見たら、少し安心したんだ。君はまだ僕が居なきゃそんな顔をしてしまうんだ、僕だけがその顔をそんな風にできるんだと。
受験の勉強の際は君も学校に来なかったし会う機会もなかった。次に君の予定に合わせて母校を訪れたときには僕に喜ばし気に、でも申し訳なさげに合格を通知する君がいた。先輩として、惚れられた側として余裕な態度であろうというちょっとしたプライドだけで僕の表情は歪んでいなかったかがきがかりだった。
幸せそうな君の髪にそっと触れてみたら、前とは違う匂いがして、手触りも変わっていた。フランスの有名なコンディショナーの説明を嬉しそうにする君は、誇りをかなぐり捨ててまでに引き止めたい存在から殺したいほどに憎い存在に変わった。その白い首を見る。二つ並んだ黒子はまるでそこに刃物を突き立てろとばかりにその存在を主張しているように思えた。
目を細くして笑う君の首にそっと手を伸ばす。
ぐっと力を入れると君は生を支配されるまいと僕の手に爪を立てるのか、それとも僕の望むものを自分も望むべきだとまたお人形に戻るのか。
想像して、止めた。
少し眉を下げて笑う君を困らせたのは分かっていたけど予定より早く家路についた。自転車を漕ぎながら頭は君のことでいっぱいだった。
自分の持っていたはずの余裕が消え去っていることに、そして何より執着されているはずの自分が執着していることに僕は驚いていた。手に残る君の首の太さは生々しかった。
……ああ、どんな風に殺せば幸せになれるかな。
卒業式に日にちを知らせる連絡は、その日の前日に来た。アルバイトに休みを取る旨の電話を入れ、思考に没頭した。きっと明日が最後のチャンスだ。さあ、何にしよう。
自分は地頭がいい方だと思う。だから勉強に関しては大方の人間たちよりもよく出来たしそこまで苦労もして来なかった。だが、殺人についての経験はさすがにないし、指南書があるわけでもない。ミステリー小説を読み漁り、非現実的な殺人事件簿を捲り続ける。夜は、そうして明けていった。
一睡もする余裕がなかった僕はなかなかひどい顔をしている自覚はあったけど、それで少しでも君の関心を引けるのならそれで良かった。
昼過ぎに指定された場所へ向かう。睡眠薬の入ったプラスチックの瓶をペンギンのキーホルダーがついた鞄に入れながら。
学校の中でも人気のない、集会所のある棟の裏側。桜の花びらが風に運ばれて、薄く汚れた白の絨毯を織っていた。そんな薄暗い景色の中で、君はうすぼんやりと光って見えた。その白い頬と目の腫れ具合にどれだけ泣いたのだろうか、誰のための涙を流したのだろうかと頭が思考を始める。
それを彼方に放って君に向き直る。
君は、残酷は告白を始めた。
その目は僕の鞄についたペンギンを見つめていた。
君が僕のことを好いているのなんて百も千も承知だった。なんだよ今更。ばいばいってなんだよ。
ふざけるな。
動けない僕のことを変な顔だと笑いながら駆けていく君。遠くなるその背中を追いかける、彼女と揃いの制服を着た男。
そうか、あいつか。
準備しておいた睡眠薬は自室の隅に放る。
さあ、先ずは危険物乙種から始めようかな。