繋がれたもの
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『春生へ。
元気にしていますか?
今更、突然こんな手紙を届けさせて、きっとびっくりさせてしまったね。
ごめんね。でもどうしても伝えたくて、この手紙を書いています。
どうか最後まで、聞いて欲しい。
春生。十五年前のあの日、お前の気持ちを少しも考えず、頭ごなしにお前の全てを否定し、傷付けた事、本当にすまなかった。
今更何を、と思うかもしれないし、今頃になって詫びても、お前は私達の事などとっくに親とは思っていないだろう。
許しを乞いたい訳じゃないんだ。
お母さんがね、去年病気で死んだんだ。お母さんは最期まで、お前に会いたい、お前に謝りたいと言っていた。
お前の気持ちを分かってあげられなくてごめん。ちゃんと女に産んであげられなくてごめん、と。
そのお母さんの気持ちだけでも、どうしても届けてあげたかった。
そしてこれは、お父さんからの最後の願いです。
春生、私達の事は、許してくれなくてもいい。私達の所に帰って来てくれなくてもいいから、どうか、いつまでも元気で、幸せでいて下さい。
今、お父さんが春生に望むのはそれだけです。
男でも女でも、お前は私達の、かけがえのない、たった一人の子供です。
お父さんも天国のお母さんも、春生の幸せを一番に願っているよ。
でも一つだけ我が儘を聞いて貰えるなら、お母さんの事、たまには思い出してやってな。
瀬戸浩二』
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「……そうですか。春生は、受け取って、くれましたか……」
瀬戸浩二は深い息をゆっくりと吐き出しながら、そう、呟くように言った。
「春生は、何と……?」
「さあ……受け取っては下さいましたが、読んだかどうかまでは分かりません。最初は受け取りさえ躊躇っておいででしたので」
「そうですか……」
ほっとしたようで、残念がっているようでもある瀬戸に、桃馬は以前と同じ茶を勧める。
「春生は……元気でしたか」
「はい」
「……今、何処に居るんでしょう……?」
何処か恐る恐る問うて来る瀬戸に、桃馬は一瞬目を細めて、一度顔を伏せた。
――よくある問い掛けであり、答えるべき文言も決まり切っている。
それでも何となく、答えようと口を開く瞬間、腹の辺りがずしりと重くなるような感覚には、いつまで経っても慣れない。
「……申し訳ありませんが、それは個人情報ですので、お父上の瀬戸さんにもお教えすることは出来ません。春生さんが、瀬戸さんに伝えてくれと仰ったのなら別ですが」
「何処に居るかも分からない相手を探す事と、手紙を渡す事はセットなのに、ですか?」
「すみません。確かにそうですが、あくまで俺の仕事は、想いを届ける事ですので……探偵ではない以上、突き止めた相手の居場所を差出人に無闇に明かす訳にはいかないんです」
少々怪訝な顔をする瀬戸に、桃馬は努めて誠意を以って答える。
むっとして半ば瀬戸は桃馬を睨んだけれど、すぐに諦めたように深いため息を吐いた。
「……元探偵、というのを売りにしている割に、その辺りはシビアなんですね」
「申し訳ございません」
深く頭を下げて詫びると、瀬戸は深い息を吐き出した。
諦観であるようで、それでいて、安堵が入り混じったような、重い吐息だった。
「……まあ、仕方ないですね。屁理屈のような気もしないでもないですが、長い間疎遠だった相手に想いを伝えたいというのは、結局のところ、こちらの自己満足ですし」
あっさりと引き下がった瀬戸に、桃馬はゆっくり頭を上げた。
「受け取った側にしてみれば、疎遠になった相手から突然手紙が届くだけでも困惑してしまうのに、勝手に突き止められた居場所を差出人に勝手に言いふらされたら、そりゃ良い気持ちはしないでしょう」
自分からの手紙など、絶対に喜んで貰える筈がないという思いからか、瀬戸は桃馬の言い分に一定の理解を示した。
恐れ入ります、と桃馬が再度頭を下げると、瀬戸は出された茶を飲み干して、ほっと息を吐く。
そのまま立ち上がり、そろそろ失礼します、と言った。
見送るべく、玄関先まで同行する。
外に出た時、瀬戸は改めて桃馬に向き直り、丁寧にお辞儀をした。
「本当に、お世話になりました」
「いえ。ご利用、ありがとうございました。どうぞお気を付けてお帰り下さい」
最後には桃馬も丁寧に挨拶をして。
それを以って今回の依頼は、終了した。
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瀬戸は何処か放心したような顔で、家路を歩いていた。
がっかりしたような、何か、裏切られたような気分がしていて、もやもやしている。
あんな物分かりの良い事を言ったが、実際、瀬戸は桃馬が無事春生に手紙を届けてくれたら、春生の居場所も教えて貰えるものだと思い込んでいたのだ。
何処に居るのか分からない相手に想いを届けるという事は、そういう事なのだと。
なのにあの店主は、それをにべもなく断った。
何と理不尽で、何と冷たい話だろう。
何処に居るのかも知りたいから、皆、彼に頼むのだろうに。
だが一方で、桃馬の言う事も分からないではなかった。理解出来た。
疎遠になった相手が、人を使って自分の居場所を突き止めさせて、手紙を届けさせるなんて、考えようによっては怖い話である。
その上、相手が自分の居場所を知りたがっているからと言って、勝手に居場所まで言いふらされては、身の危険さえ感じることだろう。
人間というのはこういう場合、殊更自分の都合の良いように他人の商売や人間性を考える。
差出人の気持ちを考えたら、教えるのが当然だと思ってしまう。
そこに、受取人の気持ちは考慮されない。
――瀬戸は深くため息を吐いて、首を大きく横に振った。
何にせよ桃馬は、春生の居場所を突き止めて、長年溜め込んでいた気持ちを、妻の想いを春生に届けてくれた。
春生がどう思ったかは分からないけれど、春生が元気にやっているということも分かったし、もうそれで十分だ。
どの道春生は、自分達の事などもう親だとは思っていないだろうし。
後は余生を静かに生きよう。
息子の幸せと、息子と同じ境遇にある人達が、これから先、これ以上傷付かないような世の中になることを、祈りながら。
そう、心を静まらせながら歩いているうちに、家のすぐ近くまで辿り着いた。
上着のポケットに入れておいた鍵を取り出しながら、角を曲がって――
「……、」
その時。
一人の女性が、瀬戸の自宅の前に佇んでいるのが目に入った。
シンプルなワンピースを着た可愛らしいその女性は、何処か強張った表情で、自宅をじっと見上げている。
「あの……うちに何か……?」
少々不審がりながら近付いてそう声を掛けると、女性はびくっとして瀬戸の方を振り向く。
彼女は瀬戸の顔を見た瞬間目を瞠り、やがて、瞳に涙を滲ませて。
見ず知らずの女性にそんな反応をされて、瀬戸は困惑するばかり、だったけれど――
「――……春、生……?」
女性を見つめるうち、自然と、その名前が唇から滑り落ちた。
「春生、か……?」
重ねて瀬戸が問う。
そう、彼女は――東雲桃馬が離れた土地で出逢った、瀬戸春生、だった。
春生は答えない。
が、怯えたように数歩後退って、遂には逃げ出そうとしてしまう。
その背を必死に引き留めるように、もう一度瀬戸が春生の名を呼べば、彼女はまたびくりと肩を震わせながら、立ち止まった。
「春生……お前、来てくれたのか……」
瀬戸の瞳にも、涙が浮かぶ。
父の声が震えているのに気付いて、春生は恐る恐る振り向いた。
「春生、お前……綺麗になったなぁ……お母さんよりずっと美人じゃないか」
「え……?」
「そんな別嬪さんになって……ははっ、なんか父親なのに照れるな」
泣き笑ってそう言う瀬戸に、春生ももはや涙を堪え切れなくなる。
「……お、父さん……」
自然と春生もそう口にしていた。
瀬戸は驚いて目を見開いたけれど、すぐに、とても嬉しそうに顔を綻ばせる。
まるで子供みたいな父の顔に、春生は堪らず駆け寄った。
「お父さん……っ」
父の首に飛び付く我が子を、瀬戸はしっかり受け止める。
「お父さん……ごめん……っ! ごめんなさい……! 私……っ」
「いいんだ。謝らないといけないのは私の方だ。逆にお前は謝っちゃいけないんだよ。だって、自分のその気持ちを、決意を、間違いだったって後悔している、って事になってしまうからね」
「……っ」
ぽんぽん、と何度も頭を撫でてやれば、春生は幼子のように父の腕の中で尚も泣きじゃくる。
三十を過ぎた息子、である筈なのに、親の自分が照れてしまう程魅力的な女性になった子供を抱き締めて、瀬戸は己の心の中にあった蟠りが、消え去っていくのを感じた。
「さあ、家の中に入ろう。お母さんにも顔を見せてやってくれ」
「うん……」
「でもほんと綺麗になったな。こりゃ母さんの奴、やきもち妬いて化けて出て来るかもしれんぞ」
「ふふ……やだ、お父さんったら」
『親から子へ』完