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新月堂の一日

 

「――ご依頼の件、無事に終了致しました。こちらは、その証です」


 言って、東雲桃馬(しののめとうま)は向かい合って座る老婦人に、封筒を差し出した。

 彼女はハンカチを握り締め、両目に涙を溜めながら、それを震えた手で受け取る。


 震えのせいで指先がもたついて、上手く開封出来ずにいる様子を、桃馬は静かに見守る。

 時間を掛けてやっと取り出されたのは、一枚の便箋だった。


「……っ、河野富子(こうのとみこ)様、初めまして……」


 老婦人は涙ながら、そこに書かれた文章を音読し始める。

 河野富子とは、彼女の名前である。


「私は、清崎栄治(きよさきえいじ)の孫です。

 お話は全て、東雲さんから伺いました。


 突然の事で驚きましたが、“友達は皆、先に逝ってしまった。自分も早く皆の所に行きたい”と生前疲れ切った様子でいつも言っていた祖父に、貴方のようにずっと想って下さっていた方が居たのだと知り、嬉しく思います……」


 ぐす、と富子は一度鼻を啜り、持っていたハンカチで鼻と目を拭う。


「今となっては、祖父が貴方の事をどう思っていたのか、そもそも憶えていたのかも確かめる術はありません。

 ですが貴方の事は、祖父の墓前に必ず伝えます。

 きっと祖父も、あの世で凄く喜ぶ事と思います。

 生きて会わせてあげる事は出来なかったけれど、どうか、祖父の事、これからも忘れないでやって下さい。


 そしてどうか、祖父の分も幸せに、長生きして下さい。

 本当に、ありがとうございました。


 清崎慎吾(きよさきしんご)――」


 読み終えて、富子はその場で声を上げて泣いた。

 悲しそうな……けれど確かな安堵が混じった、号泣だった。





 ――ここは、行き場のない想いを届け、繋ぐ店。

 名を『新月堂』


 遠い昔に届けられなかった想いや、何処に居るのかも分からなくなってしまった相手への想い等、言葉通り、「行き場のない想い」を届けて繋ぐ、今時珍しく風変わりな店である。



 □□□



 昼間は学生、夜は仕事帰りの社会人達で賑わう繁華街の裏手。

 一歩足を踏み出せば、街の喧噪がすぐに遠退く路地を抜けた、静かな一画に、それはあった。


『想い届け屋 新月堂』


 一見するとかなり胡散臭い売り文句ながら、外装は落ち着いたカフェのような造りだった。

 店先に置かれた看板には、こう書かれている。


『行き場を失くした想い、届けます。

 あの時伝えられなかった想いを届けたくなったら、是非当店をお尋ね下さい。

 元探偵の店主が、責任を持ってお相手をお探しし、貴方の想いを必ずお届け致します。

 お時間を頂戴する事もございますので、食品や生花等の物品はお預かり出来ません。


 貴方の届けられなかった、伝えられなかった想いを、一言でも手紙に綴ってお持ち下さい。


 伝えたいけど、良い言葉が浮かばない、という場合でも大丈夫。その際は手ぶらでご来店頂くか、紙とペンだけお持ち下さい。

 店主がお話を聞きながら、文面も一緒に考えさせて頂きます。


 勿論、元探偵の名に懸けて、個人情報及びその他の秘密は厳守致します。


 この看板を御覧になり、伝えられずに疎遠になってしまった誰かの顔が浮かんだ、貴方。

 是非一度、お立ち寄り下さい』


 胡散臭いのに、何処か心の端を掴むその文言に、道行く人は少々気になる様子で店を数秒眺める人、「何これ、新たな宗教?」と嘲笑しながら去って行く人、怪訝な顔で離れていく人、と様々だった。


 いつ通り掛っても、その店に誰かが入っていく様子を目にする事はなく、誰もがそのうち知らない間に閉店するだろう、と噂する程だったが。


「――ねえちょっとこれマジなの、しのちゃん!?」

「ああ、残念ながらな」


 店内はいつも、割と賑やかだった。


 店主、東雲桃馬は割と一般的な風貌の男だった。

 イケメンではないが、不細工ではない。

 人込みに紛れれば三分で見失い、擦れ違った女達は見向きもしないばかりか気にも留めない、至って普通の青年。


 と言っても、やがて三十を迎える歳なので、そろそろ青年という言葉も不相応になるのだが。


 街の裏手で『新月堂』を構えて二年、この店は色んな意味でいつも繁盛していた。


「信じらんない! あいつ、もう絶対浮気はしない、私の事裏切らないって言ったくせに!!」


 テーブルの上に置かれた書類と写真を食い入るように見つめながら、桃馬の目の前に座る年若い女性が、半ばヒステリックに叫ぶ。


 彼女は、近くの大学に通う女子大生だった。


「もう頭来た! 今度という今度は許さない! 別れてやる!」

「ああ、その方が良いよ。君とその写真の子以外にも女が居るみたいだし」

「はぁ!? マジ最っ低! もう……何であんな奴好きになったんだろ!

 しのちゃん、ありがとう! これでやっと決心付いたよ!」

「役に立てたようで良かった」

「お代っていくらくらい? 私。バイト代そんな多くないし、出来れば分割でお願いしたいんだけど……」

「要らないよ。俺の今の本業は探偵じゃない。お金なんて取ったら法律違反だ」

「そんなの私の気が済まないよ! 今は違うのに私の為にそのスキルで助けてくれたんだもん。ちゃんと御礼しなきゃ、罰が当たっちゃう!」


 半ば必死に言い募る彼女に、桃馬は苦笑が漏れる。

 素直で真っ直ぐなこの少女の何が気に入らなくて、彼女の彼氏は浮気なんてしたのだろうか、と内心呆れた。


「……じゃあ、今度、二丁目のケーキ屋さんの生チョコケーキ奢って。お代はそれでいいよ」


 桃馬は彼女の顔の前に人差し指をぴっと差し出して、片目を瞑りながらそう言った。


「え? あ、うん。それくらいならいくらでも奢るけど……でもそれだけなんて駄目だよ……! だってしのちゃん、調査してくれたのに……」

「調査なんて大袈裟なものじゃないよ。言ったろ? 俺はもう探偵じゃない。

 言い方は悪いけど、暇を利用して君の彼氏を二週間見張ってただけだし、依頼料なんて取る訳にはいかないんだ。

 どうしても御礼がしたい、って思ってくれるなら、今度ケーキ奢って。あそこの生チョコケーキ、俺大好物なんだ」

「~……っ、ありがとう、しのちゃん! 大好き!」


 言って彼女は感激し切った顔で桃馬に抱き着く。

 最近の若者は男女問わずスキンシップに躊躇わないんだな、と桃馬は何処か年寄りみたいに思う。


 その時、店のドアが開き、吊り下げていた鐘が客の来店を告げる。


 躊躇いがちに店内を覗き込んで来たのは、皺の深い男性だった。


 じゃれつく女子大生の腕をそっと離す。男性はそれを見て少しの警戒を匂わせたけれど、「じゃあ私、帰るね。本当にありがとう、しのちゃん」と彼女が言って老人にも丁寧にお辞儀をして帰って行ったのを見て、老人は少し警戒を緩めた。


「あの……こちらで、疎遠になってしまった相手を見付けて、手紙を届けてくれる、と伺ったんですが……」

「はい。それがどうしても届けたいお相手で、届けたい想いなら。

 必ず探して、必ず届けます。

 『新月堂』主人の、東雲桃馬です」





 老人は瀬戸浩二(せとこうじ)と言った。

 一見、七十を超えた老人に見えたが、まだ六十五だという。

 よく老けて見られます、と苦笑する瀬戸は、刻まれた皺の上にかなりの疲労と苦労が蓄積されているようだった。


「どうぞ」


 桃馬は瀬戸に緑茶を差し出す。

 瀬戸は一つ深くお辞儀をして、振る舞われた茶を一口啜った。


「……美味い……」


 特別寒い日でもなかったが、瀬戸は心底ほっとした声でそう言うので、桃馬も自然と口許を綻ばせた。


「あの、失礼ですが、先程の女性は……?」

「近所の大学に通ってる生徒です。ちょっとした相談を受けてまして、その問題が解決したので、今日報告の為に来て頂いてたんです」

「……あの子も、貴方に手紙を?」

「いえ、詳しくは言えませんが、それとは無関係の相談です。

 俺、実はここを始める前は探偵をやっていまして。

 それを知って時々、ああやって人に言えない話や悩みを聞いて欲しいって、わざわざ来てくれる人達が居るんです。

 とはいえ、もう探偵は本業ではないので、話を聞くだけか小さな手助けをするくらいの事しか出来ないしやってないんですけど」


 桃馬が肩を軽く竦ませつつ言うと、瀬戸は「そうなんですか……」と何となくどんな顔をしていいか迷うような表情を見せた。


「そういう場合でも、やはり代金が発生するんですか?」

「いいえ。さっきも言いましたがもう探偵は本業ではないですからね、依頼料は一切頂戴しません。

 ただ、中には何も御礼をしないなんて気が済まない、と仰って引かない方もおられます。先程の女性がそうです。

 そんな時は、差し入れや店の宣伝をお願いして、それをお代とさせて頂いてたりします」


 へぇ……と、瀬戸は何度か頷いた。

 見知らぬ商売の形に、新鮮な気分になっているようだった。


「それで……想いを届けたい相手、というのは?」

「は、はい……」


 自身も一口茶を啜り、本題を切り出すと、瀬戸は一瞬躊躇うように俯いて。

 持って来ていた小さな鞄から、封筒を一枚、取り出した。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  文章も読みやすいですし、心情描写もしっかりしていてとても良い小説だと思います。  主人公がどう言う人なのか、何をしているのかがよくわかる初回としては素晴らしい構成だと思います。 [気にな…
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