■19 わたくし悪役令嬢になりましてよ?
ドスン、と大きな音を立ててミハイル様の身体が仰向けに倒れた。
ヴィタリスになったわたしは、そのミハイル様の身体を上から呆然と眺めることしかできなかった。
嘘。また!?
呪いは、わたしの身体と直接じゃなくて、入れ替わった先の身体がキスしても発動してしまうらしい。
もはや入れ替わること自体には驚かなくなっていたけど、間接的にも入れ替わりが成立するというのは想定していなかった。
わたしは無意識に口を手で拭う。
そして、本当に拭いたいのは、今の自分のこの口元じゃなくて、ヴィタリスの唾液が付いたミハイル様の口の方であることに気がついた。
いや待って。わたし、ヴィタリスになってる。汚らわしい!
いや、流石にそれはあんまりな言い草なのは分かるんだけど……。わたしの正直な心情としてはまさしくそうだった。
思わず自分の両腕を撫でさする。
擦ったところで汚れが落ちたりしない。
なにしろ今のわたしは頭の天辺から足の先、皮膚の上から肉の内側まで全てヴィタリスなのだ。
「…………」
…………。
なかなかの重量感だった。
わたしは興味本位で持ち上げてみたものを下して溜息をついた。
もういいわ。早く戻りたい。
そう思ってテーブルの上で寝転がっているミハイル様の身体の方を見る。
いや、でも待って。
これはとんでもないチャンスなんじゃないかしら。
ヴィタリスなら───実の娘相手になら、あの男、ヴィタリスの父であるルギスも隠し立てせず、色々しゃべってくれる気がする。
その思いつきは、ミハイル様の身体を使ってヴィタリスから情報を聞き出すよりもずっと簡単であるように感じられた。
よ、よし……!
いっちょやってやりますか。女は度胸よ……。
そう意気込んでドアノブを握る。
そのとき、自分の腹の下あたりにちょっとした痒みがあることに気づいた。
そう言えば、あの火傷痕……。
自作自演とは言え、一生残る傷をこさえてまでわたしを陥れようとしたんだ。
そのことだけは、このヴィタリスという女の執念に、畏怖とも呼べる感情を抱いていたのだ。
怖い物見たさも手伝って、わたしはこっそりその腹の火傷痕を覗いてみる。
上下別に分かれた、めくりやすい衣服であったため、そうすることは容易かった。
「……あれ?」
なんだか腑に落ちない思い。
ヴィタリスの白い腹の上には、確かに赤く腫れた痕があったけど、それはあの謁見の間で見たときのような醜くただれた皮膚とは違って見えた。
遠く離れた場所からでも、はっきりと分かるほど大きな痕だったのに、今見ているこれはあのときよりも単純に小さい。
それに色も薄く、ジッと目を凝らすとただのかぶれのように見えた。
どれだけ頑張って見ても、今のこれは、一生残る火傷の痕のようには見えなかった。
これもフェイクだったのか、と呆気に取られる。
むしろ清々しい思いがした。
絶対に悪だくみの証拠を暴いてやると、わたしは決意も新たに小部屋を後にした。
*
「ヴィタリス様。ご夕食のご用意ができております」
勢い込んで部屋を飛び出したものの行く当てもなく王宮の中をさまよっていたわたしを呼び止める者がいた。
どうやらメフィメレス家のお付きの小間使いらしい。
運が巡ってきたと調子付き、わたしはその女性に案内させ、ルギスの元へと向かう。
聞けばメフィメレス家はこの王宮の区画を借りてそこで寝起きしているらしい。
この王国での領地や屋敷を持たないのだから当然といえば当然か。
「喜べヴィタリス。婚約発表の日取りが決まったぞ」
自室に入ってきた娘に対し、ルギスは開口一番そう言った。
わたしの主観でしかないのだけど、なんて小狡い悪党じみた笑みなのかしら。
「……お父様。わたくし、やはりミハイル様の方がいいわ」
ヴィタリスになりきったわたしは、いかにもヴィタリスが言いそうな駄々をこねてみる。
機転を利かせたその鎌掛けは、なかなか的を射ていたようだ。
「またその話か。物には順序というものがあるのだ。最終的にはお前の好きな男を与えてやるから、今は我慢して王子を篭絡しろ。肩書きだけでなく、しっかりお前に溺れさせておくんだ。夜伽はまだか?」
「よとっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまいそうになる口を慌ててふさぐ。
大変だわ。早くなんとかしないと。
「どうした?」
「い、いえ。お夜伽をするには、これが……」
そう言って腹にある赤いかぶれの痕をめくって見せる。
「ん? お前、毒草を塗り込むのをやめてしまったのか? まだ続けろと言ってあっただろうが」
「だ、だって……、痒いのですもの」
「あれはこの国の者たちには馴染みのない毒草だ。今はまだ他の者にバレては不味い。もう半月程我慢しろ。毎晩寝る前に練り込んでおけよ」
そう言ってルギスは、机の引き出しから小箱を取り出し、それをわたしに手渡す。
そうして、腹が減った、早く飯にしよう、などと言いながら一人でさっさと部屋から出て行ってしまった。
一人残ったわたしは渡された小箱を開けてみる。
中にはあまり見たことのない色形の草の束が入っていた。
これが火傷痕のタネかしら?
王の前での偽証は十分な罪になる。
これをミハイル様にお見せすれば、などと考えたところでわたしは、はたと部屋の中を見回した。
なんということだろう。
首尾よく入り込んだルギスの自室の中は、彼の悪だくみの証拠の山に違いない。
わたしは手あたり次第に、引き出しを漁り、ミハイル様にお持ちする証拠資料を探し始めた。
王家に嫁ぐ準備として、学を修めてきた努力が役に立った。
読める読める。アダナスの言葉で書かれた密書の数々。
一体どれを持ち出せば一番センセーショナルだろうかと目移りするくらいだった。




