■18 ヴィタリスの誘惑。逃げてくださいミハイル様
あれからどうやってリカルド様の側を離れたのかはよく覚えていない。
気が付くと一人で王宮の回廊をさまよい歩いていた。
ぼんやりと考えていたことと言えば、ミハイル様のことばかりだった。
入れ替わった直後、身体中を駆け巡っていた熱い衝動の正体についてが半分。
そしてもう半分は、とてもおこがましいことだけれど、もしも、ミハイル様から正式に求愛されるようなことがあれば、わたしはどうすべきなのかという問題。
いいえ、それ以前に、そのときのわたしがどんな気持ちでそれを受け止めるのだろうか、という想像で悶々としていた。
あれ? この場所さっきも通った?
同じ場所をぐるぐると何周もしていたのかもしれない。
庭の方から見える陽の光は、すでに朱色に染まりつつあった。
か、帰らなきゃ。
一体何をしに来たのか分からないけど、こんな時間まで一人で出歩いたことのなかったわたしは、十六の娘らしい律儀な発想で出口を探して振り返った。
「まあ、見つかってしまいましたわ」
さほど驚いたふうにも聞こえない声で驚いてみせたのはヴィタリス。
いつからそこにいたのか、わたしの真後ろにはヴィタリスが立っていた。
今日もあの日と同じような上下別に分かれた衣装を着ている。
あまり気にしたことはなかったけど、このドレスって、アダナスの方の民族衣装なのかもしれない。
アダナスはオリスルトの敵対国なのに、亡命してきた先でもその土地の衣装を着て歩き回るなんて、なかなかいい根性をしている。
「難しい顔をなされて、一体どちらへ行かれるのかと思っておりましたけど……」
そう言いながらミハイル様の腕にピトリと身体を張り付ける。
「もしかして、わたくしをお探しではなかったですか?」
そうだったんだけど、今日はもうそんな気分じゃなくなったのよねぇ。時間も遅いし。
「自意識過剰ではないか? 私に用はない。失礼する」
ピシャリと言って跳ねのけてやった。
くくっ。いい気味。
そう思った途端、後ろから力強くぶつかって抱き締められた。
「もうっ。相変わらず冷たいおかた。ねぇ、わたくしにお尋ねになりたいことがあったのでございましょう? もしかしたら、ミハイル様のお役に立てるかもしれません。二人っきりで、静かなお部屋の中でなら、こないだお尋ねになられたことも思い出せるかも……」
甘ったるい声に、べったりとこすりつけてくる肉の感触。
女であることを存分に利用してわたしを誘惑してくる。
前回リカルド様にやっていたことと同じ手口。
それが分かっているせいなのか、今のわたしは随分と冷静にヴィタリスの仕草を眺めることができていた。
こいつは敵。はっきりとそう認識したことで、頭や身体がそういう対象だと認識できなくなったのかもしれない。
触れられたところなんて、ちょっと寒イボが立つぐらいの嫌悪感。
「…………」
少し考えたけど、向こうから来てくれるなら好都合。
誘惑されたふうを装い、わたしは無言のままヴィタリスに腕を引かれて行った。
貴女がミハイル様にマジ惚れしてるのは分かってるんだからね。
見てなさい。逆に手玉に取って洗いざらい吐かせてやる。
*
ヴィタリスが後ろ手にカチャリとドアを閉じた。
何に使うための部屋なのか、ほとんど正方形の部屋の中央には大きなテーブルが一つと、それを囲むように椅子が一脚ずつ。
椅子の後ろのスペースは、人一人すら満足に通れないほどで、まさに密室といった雰囲気。二人でいるだけでも狭苦しく感じるような小部屋だった。
「それで? 何を教えてくれるんだ?」
なるべく冷たく、余裕めかしてミハイル様がヴィタリスを見下ろす。
それを言わせているのはわたしだ。
散々期待を持たせた挙句、こっぴどく振ってやろう。
ちょっと底意地が悪いけど、わたしやヒーストン家が被った被害に比べれば、このくらいの仕返し可愛いものでしょ?と思う。
「そんなことよりも。まずはお互い楽しみませんか?」
ヴィタリスが下からすり寄り、豊満な胸を押し付けようとしてくる。
破廉恥! この女、女性の身でありながら、恥というものがないのかしら?
わたしは汚いものでも避けるように、顔を背けながら後退った。
こんな女の身体をミハイル様に触れさせることが我慢ならなかった。
けど、狭い室内だ。逃げ場などなく、わたしの脚は後ろのテーブルに当たって行き詰まる。
あれ? おかしい。こんなはずじゃ……。
体格では遥かに勝るうえ、女であるわたしはヴィタリスの誘惑に屈したりはしない。
けれど、あれよあれよという間に、わたしは物理的に追い詰められ、ヴィタリスの身体に押されるがまま、臀部をテーブルの上に乗り上げてしまっていた。
思わずバタつかせた脚が椅子を蹴ってしまいガタリと倒れる。
ヴィタリスはさらに身体を寄せてきて、ミハイル様に覆いかぶさるようにした。
だ、大丈夫大丈夫。
いざとなれば力づくで振り払えばいいんだし。
男と女じゃ全然に勝負になりっこないわ。
ヴィタリスがミハイル様の太腿に手をかけ、いやらしくまさぐるようにした。
「…………」
ほら。なんともないわ。
そんなことされたって、ミハイル様は貴女なんかになびいたりしないんですからね?
わたしは身体の反応を探るようにジッと待ち、そして心の中で勝利の声を上げた。
ふふん、というように不敵な笑みを浮かべてヴィタリスを見下ろす。
さあ、そろそろ反撃しようかしら、などと悠長なことを考えて。
でも、わたしは間違っていた。
所詮わたしは十六のおぼこい娘。
この痴女のような手練手管を使うヴィタリスを手玉に取ってやろうなどという考えが甘かったのだ。
お前の誘惑などまるで効いていないぞ、と睨みつけようとしたそのときには、わたしの唇はヴィタリスの口によってふさがれていたのだった。




